Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

2022年10月 広島の旅⑦ 安芸の小京都・竹原 ~その2~

  すっかり広島旅行の記事の間隔があいてしまいました。週イチのペースではなかなか
 前に進みません・・・
  そういえば、ここ数日ドタバタだったので気が付かなかったのですが、いつの間にか
 大相撲の九州場所が始まっていたり、オッサンが好きなウインタースポーツのスキー・
 ジャンプやアルペン競技のワールドカップが開幕していたり、ウクライナ軍が南部へル
 ソン市解放に成功したり、インドネシアのバリ島でG20首脳会議が始まっているなど、
 めまぐるしい動きがありました。リアルでのTV中継や詳しいニュースを見逃していま
 した・・・残念。
  そうそう、もうすぐサッカーのワールドカップ・カタール大会も始まるとか言ってい
 たな・・・我らが日本代表は大丈夫なんだろうか? 予選の組分けは強豪ドイツとスペ
 インと一緒になってしまったので心配ですが、ガチンコ勝負でこれらの強豪国と相まみ
 えることは選手たちにとってもウェルカムなはず。結果が伴えば最高なのですが、悔い
 のない戦いをしてほしいですね。


  おいオッサン、広島旅行の記事はいつ始まるんじゃ!(by妻)
  あ、スミマセン。えーとどこまで書いたかな? 安芸の小京都と呼ばれる閑静な竹原
 の旧市街観光の途中でした・・・ここまで江戸時代から明治時代に建てられた由緒ある
 豪商のお屋敷などを見てきましたが、おや?このレトロモダンな建物は何でしょう?

    

  この建物は昭和初期に図書館として建てられ、今では竹原市歴史民俗資料館となって
 います。入館料200円ですが、館内には竹原が栄えた頃(江戸時代から明治)の貴重な
 史料が展示されています。
  竹原を豊かにした第一の要因は、江戸時代からの製塩業です。塩田の開拓と、製塩業
 の発展、そしてその塩が北前船のルートで運ばれる重要な交易品となったことで、街は
 繁栄したのだそうです。北前船って、明治30年代までは現役だったそうです。鉄道路線
 が全国に張り巡らされるまでは、大阪から北海道までは瀬戸内海から関門海峡を抜けて
 日本海沿岸を回っていくルートが最も確実で大量の荷物を運べる大動脈だったのですね。

  資料館にはこの製塩業にちなむ模型や、道具の実物などが展示されていました。

  そして製塩業とともにこの地の産業として有名なのは、日本酒の醸造業でした。竹原
 の酒造りは、塩造りよりも前に始められており、第1回全国清酒品評会では竹原のお酒
 が日本一を勝ち取るほどの名声を博していました。今でも、竹鶴酒造、藤井酒造、中尾
 醸造の3蔵がしのぎを削り、日本酒の通たちをうならせているそうです。

 そして、この資料館にはもうひとつ興味深いものがありました。

  竹鶴酒造の御曹司で、日本で初めて本格的なウィスキーの醸造を始めた男、北海道の
 余市で大日本果汁(今のニッカウイスキー)を創業した竹鶴政孝氏にまつわる展示品が
 ありました。そう、某国営放送の朝の連ドラ「マッサン」のモデルになった方です。
 竹原のご出身で、しかも竹原3大蔵のひとつ竹鶴酒造の出身だったとは・・・醸造法は
 違えども、穀物を原料にしたお酒ということで通じるものがあったのでしょうか・・・
  そして、「マッサン」でも描かれたように、日本風に言えば「内助の功」リタ夫人の
 紹介もされていました。やはりスコットランドの方のようですね。

    

  そういえば3年前にスコットランドのエディンバラで購入したスコッチウィスキーの
 ミニボトルをまだ開封していなかったな・・・いつ飲もうか・・・  


  この資料館の中庭には、マッサンとリタ夫人の銅像があり、訪れる人たちが記念写真
 を撮っていました。オッサンも人がいなくなった隙に・・・(アホ)


  この資料館の周辺も、昔の街並みが保存されていていい感じでした。

  しかし人通りが非常に少ない・・・そのぶん、静かで落ち着いています。地元の方が
 時折り自転車で通り過ぎて行きます・・・オバちゃん、紫色の髪をしていたけど・・・

  このエリアの商家のお屋敷を3つ見学できる共通チケットを購入したオッサン、前回
 ご紹介した旧松阪家住宅の次は、旧光本家住宅を見学しました。この塀のナマコ模様は
 西伊豆・松崎のお屋敷とよく似ている気がする。ここも豪商の館ですね。

  江戸時代に建てられた「復古館」の離れ座敷で、後年光本家が居住し、後に竹原市に
 寄贈された建物なのだそうです。
  ちなみにこちら ↓ が「復古館」です。江戸時代後期の文人、頼春風の孫の三郎が分家
 独立して現在の屋敷を構え,酒造業や製塩業を営んだとのこと。主屋は安政6年(1859)
 の建築だそうです。典型的な商家の造りなんだそうです。


  その復古館の離れ屋敷だったという旧光本家住宅、中庭も風流です。

  そしてこの敷地内の土蔵を改装してつくられた「今井政之 陶芸の館」では、幼少期
 からここ竹原に住んでいた陶芸家の今井氏が、幼い頃から親しんだ瀬戸内海の魚、草花
 や生き物など自然をモチーフにした作品約30点が展示されています。
 (写真撮影禁止でしたので、HPから写真を借用します。)

  ベースは備前焼のようですね・・・魚をモチーフにした現代風の作品が楽しいです。


  この後は、旧市街の街並みを早足で(笑)たどりながら、次の目的地に向かいます。
  旧市街(街並み保存地区)のはずれにある川のたもとには、「常夜灯」があります。
 その名の通り、夜間も常に灯りをともしていたのですね。豊かな街を象徴しています。

    

  川の対岸側にあるお屋敷が最後の3つ目です。旧森川家住宅です。
  竹原塩田の1番浜跡地に建てられた豪邸であり、大正時代にここに移築されたものだ
 そうです。

  主屋の他に離れ座敷・茶室・土蔵など屋敷構がそのまま残っています。茶室は小堀遠州 
 流の茶人、不二庵(ふじあん)が設計されたものと言われています。

  庭はかなり広いのですが、手入れされていて美しい。安芸の小京都・竹原らしい邸宅

 と庭ですね。

  3つの豪商のお屋敷の中で、最も広く、最も立派で風流でした。(どうでもえぇけど
 なんでパンダがおるんや? by妻)


  この日はお茶の師匠さんが茶会を開いていて、有料で参加できるのですが、先を急ぐ
 オッサンは当然のようにパスです。こんな場所で一服したら風流だろうなぁ・・・
 (オッサン、ワインの有料試飲なら絶対に立ち寄っているやろ・・・by妻)

  駆け足で約1時間半、安芸の小京都・竹原の観光は終了です。オッサンのように倍速
 の駆け足で観光してはいけない魅力的な街でした。(アホ)


  そしてオッサンはそのまま早足で歩いて駅まで戻ります。もうお昼近くになったので、
 駅前のさびれた商店街にあるお店で昼食をとりました。あ、竹鶴酒造の日本酒をグラス
 で出してくれるようですので、さっそく頼んでみました。

    

  やや黄色がかった色、香りも味も少々強め。辛口ですがとても濃い味がしました。
  そしてオッサン、再びお鮨を頼んでしまいました。😝 
  (前日の晩御飯もお鮨だったやん。どんだけ好きなんや! by妻)

  煮アナゴ、茹でエビ、イワシ、イクラ、赤貝、メジマグロ、マグロ赤身、白身魚です。 
 ランチだから8貫で十分です。それにしても休日のお昼なのにお客さんはオッサン一人。
 あ、まだ11時半過ぎだからね・・・
  そして何かに急き立てられるように旅を続けるオッサン、12:11発の呉線の電車に乗り
 次の目的地、呉(くれ)へと向かいます。
 (ホンマに忙しいの~、一緒に行かなくて良かったわ~ by妻)