Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

2022年10月 広島の旅 ⑨平和を願う広島へのオマージュ・・・

  このところちょっと調子がよくなかったのですが、今日は景気づけに禁を破って夕食
 時にワインを開けてしまい(普段飲み用)、ことのほか勢いづいてしまいましたので、
 二本目の記事をアップいたします。
  あ、今ベランダですごい音がしたと思ったら、立てかけていた園芸用の支柱が倒れて
 いました。関東地方南部は、今日の夕方から嵐のような天候なのですが、ますます酷く
 なってきました。外の気圧がだいぶ下がっているようで、窓を開けるのに力が要りまし
 た。こんな日にはワインをあけるのはご法度(低気圧だと香りや味が閉じこもってしま
 うので)なのですが、まぁいいか。


  さて、海軍の町呉からJR呉線の快速電車で約30分、広島駅には午後4時少し前には
 到着しました。うわ、なんて都会なんだ。人が多いし、駅も巨大で方向感覚がなくなる
 ほど。オッサンは広島の中心街は駅の北側にあるとばかり思っていましたが、北口に出
 ると殺風景なビル街があるだけ、しかも工事中。実は中心部は駅の南側に広がっていま
 した。(アホ)
  慌てて反対側の南口に向かうと、あぁ見たことのある風景。市電の駅もありました。
 オッサンはこれまで旅行で1回、仕事の出張で1回しか広島市には来たことがないので
 すが、実はきちんと市内の観光をしたことが無かったので、今回はせめて夕方の1時間
 だけでも平和記念公園と原爆ドームを見たいと思って、朝から強行軍をしていたので
 した。(イヤ、いっつも強行軍のスタンプラリー状態やと思うけど・・・by妻)


  オッサンは時間がもったいないので、タクシーで市街中心部にあるビジネスホテルに
 向かいます。5分程で到着して、フロントで受付をするのですが、あれ?ここはなんか
 違うような・・・なんと系列チェーンの別ホテルに来てしまいました。😱 タクシーの
 運ちゃん、最近オープンしたホテルを知らなくて間違えたようです。まぢですか!
  オッサン、「系列の●●ホテルまでの地図をください」と言いますが、フロントの方は
 想定外らしく、パニック状態になっています。3人目の女性係員がクリアファイルの中
 から探し出し、ようやく解決。幸いここから徒歩5分程の場所にありました。もう!
 紛らわしいだけでもイライラするのに、段取りが良くないわ~。(イヤ、オッサンみた
 いに宿泊ホテルを間違う人は滅多におらんちゅうこっちゃで。by妻)


  と、いうことで少し時間のロスがありましたが、コスパの良くないビジネスホテルに
 無事到着。めちゃくちゃ狭い部屋に荷物を放り込んで、すぐに平和公園に向かいます。
 だだっ広い通りを歩いて10分くらいで川を渡り、目的地に到着しました。

  ここは、世界で初めて原子爆弾の被害を被った広島の悲劇を人々の心に刻むために造
 られた施設です。時刻は午後4時半。既に閉館時間の一時間少し前ですが、滑り込みで
 入場できました。(このよう場所でもスタンプラリーか・・・by妻)
  しかしこの時間になっても入場する方が多くて、切符売り場で少々待たされました。
 そして意を決して館内の展示場に向かいます。
  最初は原爆が投下される前の広島の町を記録した写真などがありました。この平和公
 園のある中洲のあたりは、広島の庶民の集う商業地区だったようです・・・ということ
 は当時ここで生活する方、買い物や仕事に来る方はかなり多かったはず・・・


  戦争中とはいえ、毎日変わらない活気に満ちた広島の市街地の朝。しかし、1945年の
 8月6日の朝は、いつもと違う日になってしまいました。この原爆投下直後の展示物の
 あるメインコーナーの入口には、忌まわしい日付が刻まれていました・・・オッサン、 

 もうこの時点で涙目になっておりますが、再び意を決して入場します。  

  もう、平常心を持って直視できないような展示品が、これでもかとばかりに見学者の
 視線に飛び込んできます。誰が撮ったのか知りませんが被爆直後の市内の写真、被爆者
 が見たこの世の地獄を描いた絵、亡くなった方の着ていた服・・・しかもその方の生前
 の写真も一緒に展示されていたりしますので、年端も行かない子供たちがなぜこんな目
 に遭わなければならなかったのかと思うと、かわいそうでかわいそうで・・・

  焼野原の中に残された鳥居・・・なんだか象徴的な写真です。
  オッサンは人物が入った展示はもう直視できませんでしたので、写真に残っていたの
 は、これだけでした・・・


  会場内ではすすり泣くような声があちこちで聞こえていました。お子様連れの家族が
 かなり多かったので、衝撃を受けた女性やお子様が多かったのかもしれません。しかし
 真実を知り、それを受け止め、それについての思いを抱くことはとても重要なことだと
 思います。なので、お子様をここに連れて来るご両親は素晴らしい方々だと思います。


  なお、ここは広島だけではなく、長崎の被爆の記録もありますので、世界に向けては
 「ヒロシマ、ナガサキ」の悲劇と教訓を伝えるためのモニュメントになっています。


  かの戦争においては日本人は被害者であっただけではないですが、少なくともこのよ
 うな悲劇を二度と繰り返さないという強い意志が我々には必要だと思いました。
  あのR国の暴虐なケダモノどもがその過ちを繰り返さないよう、世界が結束すべき時
 が近づいています。オッサンの個人的な見解としては、平和とは唱えていれば叶うもの
 ではなく、また誰かの善意によって成り立つものでもないと思っていますので、「戦争
 をふっかけられない」ための努力こそが、平和な社会の実現には必要だと考えます。
 某Rのような野蛮人どもが政権を握る厄介な非人間的な国家がいまだに存在するという
 事実を目の当たりにしますと、一層その思いは強くなります。どうやって我が国がそれ
 を実現するのか。(ま、岸田政権では無理やな。野党ではもっと無理やけど・・・by妻)


  一時間ほどの見学でしたが、集中して見学したのでどっと疲れが押し寄せてきました。
 この後は平和公園を散策しながら、平和を願うモニュメントを見学します。

    

  花束が絶えることのない、原爆死没者慰霊碑です。戦後77年の間、被爆者や間接的な
 理由で亡くなる方も相当おられました。そういう方も含めて被害に遭われた方々の霊を 
 慰め、平和の誓いを新たにするというモニュメントです。この先には、永遠に炎を灯す
 「平和の灯火」が見えます。

  身が引き締まる思いです・・・


  そしてもう一つ有名なモニュメント、「原爆の子の像」です。被曝が原因で白血病と
 なり、12歳で若い命を落とした女性が折り続けた鶴をイメージして造られたと言います。
 中央にある追悼の鐘を鳴らす人が後を絶ちません。

        


  とはいえ、現在の平和記念公園は、地元の方々や観光客の憩いの場となっている面も
 あります。平和の素晴らしさを享受するという意味では、それも重要なことでしょう。

  夕闇迫るころ、原爆ドームを見渡せる川べりの遊歩道を散策しました。
  ジョギングをしている方、犬の散歩に来ている方、自転車で通り過ぎる方が行き交う
 なかで、やっぱり記念撮影をしたくなるオッサン・・・(恥ずかし~ by妻)


  オッサンはベンチに座って、しばし原爆ドームを眺めていました・・・


  橋を渡って原爆ドームを間近で見ました。被曝したままの状態では保存が厳しいため、
 最近修復されたと聞きます。そうか~もうこのようなモニュメントも、後世に残すため
 には修復しなければならないのか~ (まぁ最初から壊れているからな・・・by妻) 
  よく見ると、昔の儘の部分と最近修復されたのっぺりした部分の違いがわかります。

     

  今日はいつになく神妙な面持ちのオッサン。
  最後はちょっと気分を上げるために、原爆ドーム前に咲いていたバラの花を!     

     

   なんとか滑り込みで広島の平和公園の見学ができました・・・この後は、お楽しみの
 夕食です。(ちょい切り替えが早すぎやん? by妻)