Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

2024GW スペイン・フランスの旅 ⑨王家の子女が暮らした街中の修道院・・・

  連日の旅行記事ですが、落ち着きがなくてスミマセン。(いつものこっちゃ。by妻)
  マドリード観光の実質初日、2つ目の観光スポットはスペイン王家の訳アリの子女が
 収容されて生涯を過ごしたという、ラス・デスカルザス・レアレス修道院です。
  オッサンはデパート(エル・コルテ・イングレス)の地下食品売場をうろついていて
 危うく見学ツアーの予約時間に遅れるところでしたが、デパートのすぐ隣ですので間に
 あいました。😆 12時ジャストに到着です。

  修道院ですので、周囲と隔絶された場所にあるはずですが、人里離れた山奥ではなく
 首都マドリード王宮からも近く、人通りの多い繁華街にも近い場所にあるとは驚きです。
 まぁ一応外観はそれらしく宗教的で、俗世間から隔離するように高い壁に囲まれた建物
 にはなっていますが・・・


  ここは昔からスペイン王室(ハプスブルク家の時代から)の所有だったので、現在は
 王宮同様にスペイン国家の管理下となっています。しかし王宮と違って広くはないので
 見学は予約制で人数制限があります。当日に訪れても見ることができないことが多く、
 この日もイタリア人観光客が入口で係の方と押し問答していましたが、入ることができ
 ずにがっかりしていました。しかしオッサンは早めに予約をしていましたので大丈夫。


  受付を済ませ、荷物を全部ロッカーに預けてからガイドの方に案内されて見学します。
 予約していた方が全員揃うまで、入口のロビーのような場所で待機しますが、既にここ
 も見学対象ですね。この場所は写真撮影OKでした。

  これより先の館内は撮影錦糸町です。ガイドの方は白髪の上品そうなおばあ様ですが、
 聞き取りやすい英語で話してくれるので英語が苦手なオッサンでもなんとか少しは聞き
 取れました。(得意なのは日本語だけやんな。by妻) ツアーのお客さんは全部で15名
 程度。これが限界のようです。ガイドのおばあ様の後を、鍵をじゃらつかせた若い女性(というか子供みたいな小さい娘)が監視役としてついてきました。見学する部屋に来る
 と鍵を開け、お客さんが見終えると鍵を閉めるという役割です。なので、なんだか追い
 立てられるような感じでした。(閉館間際の美術館と似たような感じやな。by妻)
  待合室?にもそれらしい宗教画が飾られ、厳粛な雰囲気がしました。


  ここから先は、図録や絵葉書の写真で代用させて頂きます。修道院のメインの建物は
 中庭に周りを取り囲むようになっていて、1階部分は回廊になっています。主たる見学
 は階段を上った2階部分になるようです。その階段部分にも、宗教画や装飾がたくさん
 飾られています。修道院というよりも、ちょっとした美術館みたいな感じですね。


  さて、まずはこの王立修道院のご紹介です。ここは16世紀、当時の欧州最強であった
 スペイン・ハプスブルク家の国王カルロスⅠ世(神聖ローマ帝国皇帝カールⅤ世)の王
 女ファナの命で、16世紀に建立されたとのことです。彼女を含め、王家や上級貴族の娘
 たちがここで生涯を送るための施設だったということです。一体なぜこんな街中に?


  ハプスブルク家が代表するように、当時の王侯貴族たちの家系維持の手段は、結婚で
 あったのです。もちろん弱肉強食の中世以降は戦いに勝てば勝者総取りの世界ですが、
 そんな危険を冒さなくても政略結婚という有効な手段があったのですね。そういえば、
 ハプスブルク家の本家オーストリアでは「戦争は他の国にやらせておけ。そして汝、幸
 福なるオーストリアよ、お前たちは結婚せよ」という教訓が生まれたということです。
 カルロスさんは戦争が大好きで、イタリアをはじめ周囲の国々にとっては大変迷惑な方
 だったようですが、生地フランスからドイツを経てスペインに本拠を移してもハプスブ
 ルクの家訓に従って政略結婚を全うしました。彼自身、オーストリアのハプスブルク家
 とスペイン王家の女性の政略結婚によって誕生したからこそ、スペインとドイツ(神聖
 ローマ帝国)双方に君臨することができたのです。しかもスペイン王国には、新大陸と
 ネーデルラント(フランドル)がついてきましたし、カルロスは神聖ローマ帝国皇帝と
 してイタリアを侵略して屈服させましたので、当時の欧州の半分近く+新大陸を支配下
 に置いてしまいます。彼の支配するハプスブルク帝国が「日の没することなき帝国」と
 いわれたのはそのためですね。


  さてそのカルロスさん、隠居する時?にはスペイン王家の領土(スペイン本国、ネー
 デルラント、シチリアとナポリ、新大陸等)は陰湿な息子フェリペに譲り、神聖ローマ
 帝国を隠れ蓑にしたドイツ・オーストリアは弟フェルディナントに譲ります。
  スペイン王の陰湿なフェリペさんも、大概な御仁だったようで、イングランドやフラ
 ンスまで政略結婚で手に入れようとしていました。ここまでくるともう病気ですね。
 しかしその策略のためにあちこちに出かけて本国スペインの統治が疎かになるのを恐れ、
 隣国ポルトガルの皇太子に嫁いだ後に未亡人となっていた妹のファナを呼び寄せたらし
 いのです。そしてこのファナさんこそが、この修道院を設立した方なのだそうです。
  彼女は陰湿な兄フェリペの意に従い、スペイン王室を取り仕切りつつも、再婚はしま
 せんでした。というか、陰湿なフェリペがさせなかったのです。もし彼女が結婚して、
 その夫や息子が有能であった場合、陰湿なフェリペにとっては厄介者以外の何物でもあ
 りません。従って彼女は結婚できない立場だったのです。となると、当時のそのような
 女性の安全な行先は、修道院しかありません。それを理解していた賢明な彼女は自分が
 安全に余生を送る場所を必要としていたのですね・・・
  はい、それがこの修道院が生まれた理由のようです。ですから人里離れた山奥である
 必要はなく、ただ誰とも結婚することはなく陰湿な兄の不安を払拭することができれば
 OKだったのです。まぁ王宮にいた時と、さほど変わらず楽しく余勢を過ごしたかった
 のでしょうね・・・なんとなくわかる気がするけどね。


  ということで、マドリードの街のど真ん中に、王家の子女たちがなかなか楽しく余生
 が過ごせる場所ができたという訳です。
  そしてもう一つ、この修道院が重宝された理由があります。ハプスブルク家の近親者
 同士の婚姻は、弊害も多かったようです。スペイン王室の子女たちがみんな特徴的な同
 じような顔(しゃくれた長い顎)をしているのは、宮廷画家のベラスケスさんや、それ
 以前の著名画家たちの作品でもわかりますが、おそらく精神的障害を含む遺伝的疾患を
 もつ人が少なからずいたのではないかと思われます。そのような方は、やはり政略結婚
 のカードとしては使えませんので、ここに送り込まれたのでしょう。
  若くしてここに収容され、生涯を送ることになったマルガリータさん・・・痛々しい。

     


  さらにもう一つ、これはオッサンも予想外だったのですが・・・いわゆる王様たちが
 お忍びでお楽しみの結果、母親の身分を明かすことができない庶子が多く誕生してしま
 ったようです。(ホンマにもうどうしようもないな・・・by妻) 男の子供は、王様の
 代わりに危険な戦争に駆り出されたりしましたが(●んでも構わない扱い)、女子の方
 はそうもいきません。しかし庶子でも政略結婚のカードにされる危険はありますので、
 ライバルの誕生を未然に防ぐために、やはり為政者にとって安全な収容先が必要だった
 みたいです。・・・という訳で、このラス・デスカルザス・レアレス修道院は、長い間
 収容される王侯貴族の女性が引きも切らなかったそうです。


  ということで、長々とスミマセンでした。しかし、このことを理解してこそ見学する
 意義があるというものです。(ホンマ~かいな~、そうかいな~♪ by妻)


  この修道院には設立者である王女ファナさん(フェリペⅡ世の妹)の肖像画がありま
 す。気品があって毅然としたまなざしですが、どこか寂し気な感じもしてしまいますね。
 そしてその隣にいるのは陰湿なフェリペⅡ世とファナさんの異母弟、オーストリア公・
 ファン王子です。いわゆる庶子の出で部屋付きの身分でしたが、オスマントルコと欧州
 キリスト教連合の天下分け目の戦いとなった「レパントの海戦」で、陰湿なフェリペの
 代わりに欧州キリスト教連合軍の総大将となり、見事に勝利を勝ち取った若様です。
  肖像画を見ると、陰湿な異母兄のフェリペよりも、異母姉ファナさまに似ているよう
 に思います。というか、たぶん同じ画家(宮廷画家コエーリョさん)が描いた絵なので
 似ているのかも。いや、ちがうな、コエーリョさんもわかっていたのでしょう。陰湿な
 フェリペの犠牲者であった二人に感情移入したのは間違いないですね・・・しかもハプ
 スブルク家の支配者が醜い容姿で描かれている中で、このお二人はイケていますからね。
  悲運のヒロインとヒーローには庶民も喝采を送るのが常。ただし、支配者にはわから
 ないようにしながらね・・・ 


  さて内部は一応修道院ですので、やはり宗教的な雰囲気が強いです。このような立派
 な設備があるということは、それなりの格式を有した宗教指導者が訪れていたのかな。
 もちろん、収容された子女たちに精神的安らぎを与えるためではなく、不穏な動きが
 ないかを監視するためだったのは言うまでもありません。陰湿なフェリペですからね。
 (オッサン、フェリペⅡ世に恨みでもあるんか?by妻。その理由はヴェルディ先生の
 大作オペラ「ドン・カルロ」を鑑賞すればわかります。byオッサン)

     

  祭壇もゴージャス極まりない。この前で、王家の訳アリ子女たちも祈っていたのか。 

  祭壇のアップです。キンキラキンだな、スペイン王室の趣味は・・・

     


  それでも修道院の暮らしは、王宮ほどではないにしろ、当時の水準からしたら快適で
 あったはずです。まぁ、元は王妃様や王女様、あるいはそれになるかもしれなかった方
 ですからね。無作法なことはできませんよね。

  この修道院の全ての部屋や廊下には、これでもかというほどの絵画や装飾が施されて
 います。調度品も豪華で一流品です。修行僧のこもる修道院とはちょっと違う印象です。


  そして、何気なく通り過ぎてしまいそうでしたが、物凄い名画がさりげなく飾られて
 いました。陰湿なフェリペⅡ世に招かれてはるばるヴェネツィアからやってきた当時の
 世界的名画家ティツィアーノさんの宗教画ですよ。陰湿なフェリペさんは、宮殿の自室
 にエロティックな絵を描かせていましたが、ついでにこの修道院の子女たちのためには
 「しっかりお勤めをしろよ」という感じで、巨匠にこんな絵を描かせたのでしょう。
 まぁ、どうせ拝むのならば、優れた芸術作品のほうがえぇからね。

    

  一通りガイドさんの案内で約一時間ほど見学をさせて頂きました。歴史的な背景を考え
 ますと、いろいろと思うところがありました。まぁ王家の方たちといえども、当時は生き
 延びるのに必死だったのでしょうね。ま、いろいろと思惑があってのことですが・・・


  ということで、王宮よりも深くスペイン王室(特にハプスブルク家時代)のことを知る
 ことができるように思います。(王宮はブルボン家の時代になって再建されたからね)


  時刻は午後1時過ぎ。これから午後の部です。1分たりとも無駄にはできません、😆
 お次はマドリードの3大美術館の中で最も地味ですが、きわめて上質な収蔵品を有するt
 民間の美術館です。とても楽しみですが、続きます・・・(ケチ。by妻)