2024年GW:スペイン・フランスの旅 ㉒プラド美術館を45分で見学するなんて無理やん・・・その2
今日も暑くて湿度が高く、エネルギーが奪われるような日でした(関東地方南部)。
しかし、明日は関東地方に強い台風7号が接近して大荒れとなる予報のため、早めに
スーパーに寄って数日分の食料を買い込みました。しかしいつもより人が多く、めぼし
いものは売り切れています。しまった、少し出遅れたか~(ディオクレティアヌスでは
ないで~ by妻) 仕方がない、このところ出費が多かったので、節約モードです。
今日の夕飯は餃子、明日は豚の冷しゃぶ、明後日は鶏もも肉細切れの香草焼き・・・
このところ体重も増えて69.5kgまで戻ってしまったので、ご飯のかわりにこんにゃくを
主食にします。(いつまで我慢できるかの~。つぅかお酒の飲み過ぎで太るんや。by妻)
あとは野菜と果物(山形県産のデラウェア)、朝食用のパンと、牛乳とペットボトルの
緑茶(2ml)を買い込んで帰宅しました。3日分の食料で、税込約3,800円でした。
うーん、やはり食費を一日1,000円以内に収めるのはかなり難しいな・・・
そういえば今日8月15日は終戦記念日ですね・・・79年前も暑い日だったとききま
すが、今日は静かに終戦の日を過ごしました。我が国の侵略戦争は、侵略した他国だけ
でなく、我が国にも悲惨な結果をもたらしました。もっと多くのものを得ようとして、
すべてを失ったのですね・・・世界では現在も、理由はいろいろあるにせよ戦争が続い
ています。我が国は、二度と戦争を起こさず、他国の戦争にも巻き込まれないように、
平和を追求していく義務があると思います。(ただし、平和とは唱えていれば実現でき
るものではないので、それなりのパワーも必要だとは個人的に思います。)
・・・と、いつになく真面目なことを書いてしまってオッサンらしくありませんね。
それではプラド美術館の続きに参ります。(別に参らんでえぇで。by妻)
地上階(日本式の1階)から階段を上った1階(日本式の2階)に、このプラド美術館
の至宝の数々が展示されているのです。ドキドキ(アホ)。
2階の平面図を載せておきます。何はさておき、まずはスペイン絵画です。(上の図
で紫色?茶色?に塗られた部分) 予定では、見学できる時間は残り30分弱です。
年代別に行きますと、最初はこの方になりますね。ギリシアのクレタ島出身であった
ことから「ギリシア人」と呼ばれた「エル・グレコ」さんの傑作を鑑賞します。
(なお、写真撮影厳禁のため、掲載した絵画の写真は図録からのものです。)
最初は「聖三位一体」です。いわゆる父(神)と子(神の子イエス)と精霊っていう
やつですね。画家がスペインにやってきた頃の1579年の作だそうです。既に独特の構図
と劇的な描写と大胆な色遣いですね。見ただけでエル・グレコさんの作とわかります。
続いては、ちょっと珍しい肖像画。「胸に手を置く騎士」です。当時のスペイン王国
の首都トレドの新興市民(騎士階級と呼ばれた)を描いたものです。1580年の作ですの
で、新大陸との貿易(略奪?)により経済的に豊かになった市民階級が台頭していたの
でしょう。しかしフランドルの画家が描いた市民(商人)とはちょっと違う感じ。
そして彼の晩年1614年の作品「羊飼いの礼拝」です。この頃になるとかなりどぎつさ
が感じられます。闇の中の光が幼子イエスを照らし、観る人の視線を誘導しています。
細長く引き伸ばされた人体も、彼の描く絵の特徴の一つですね。この絵はトレドの教会
に眠る画家の墓の前に置かれていたそうです。画家にとってもお気に入りだったのかな。
さすがに本国スペインのプラド美術館ではエル・グレコさんの絵が沢山ありましたが、
とても全部をじっくり見ている余裕はないので、先を急ぎます。(勿体ない~ by妻)
お次はスペイン・ハプスブルク家の宮廷画家であった、スペインを代表する画家です。
そう、ディエゴ・ベラスケス様です。過去に日本でプラド美術館展が開かれた時、一部
の作品が来日したのでオッサンも鑑賞したことがあるのですが、やはり門外不出のあの
名作はここに来なければ見ることはできません。オッサンは逸る心を抑えつつ、ベラス
ケスの間?に突進しました。(全然抑えてないやん。by妻) おお!この広い12室が、
ベラスケスの作品でいっぱいです。スゲー。
まずはこの絵。皇太子バルタザール・カルロス騎馬像です。1635年の作。彼が仕えた
国王フェリペⅣ世の嫡男ですが、早世したため皇太子は交代しました。(アホ) まぁ
ガキんちょなのに偉そうな感じですね。ホントにこんな荒馬に乗れたのでしょうか?
そして、今度は王女様の登場です。1665年に描かれた王女マルガリータ様です。
彼女は縁戚にあたるオーストリアのハプスブルク家のレオポルトさんに嫁ぎました。
あ、そういえばウィーンの美術史美術館にはやはりベラスケスの描いた「青いドレスの
マルガリータ王女」の絵が展示されています。当時は写真が無いため、お見合い相手の
姿はこのように優れた画家による肖像画で知ることになったのですね。だからウィーン
にも彼女の絵が残っているのです。多少は「盛って」いたかもしれませんが、お役目は
果たせたのではないでしょうか・・・
そして、このマルガリータ様が永遠に美術愛好家に知られることになったのは、この
作品によって、です。そう、有名な「ラス・メニーナス(女官たち)」です。1656年の
作ですので、王女はまだ5~6歳のあどけない少女です。王女の肖像画を描くために、
宮廷画家ベラスケス(左端)が準備をしていて、王女の世話をする女官たちが身支度を
手伝っているところみたいですね。よく見ると画面中央奥の鏡には、王女の両親である
国王フェリペⅣ世と王妃マリアーナの姿が写っています。この絵は、当時としては異例
の、「舞台裏のスナップショット」的な絵です。肖像画や王家の方々の注文する真面目
な絵ばかり描いていたので、たまには息抜きにお遊びのような気分で描いたのかもしれ
ません。画家は王家の人から見たら家臣ですので、同じ画面に顔を出すことなど当時は
許しがたいことだったと思われますが、王の信頼厚いベラスケスさんには心配なかった
のでしょうね。なにしろ国王と王妃を鏡に映した姿で描いてしまっていますしね・・・
そんなわけで、本人が意図したわけではないでしょうが、歴史に残る傑作、になってし
まったみたいです。まぁ確かに面白い、一風変わった絵ですからね。
そうそう、ベラスケスさんは王家の人の絵ばかり描いていたわけではありません。
王家に仕える道化師や、いわゆる「こびと」のような身体障碍者(けしからんことに
当時は王家の見世物にされていたのです。そのかわり生活は保障されていたようですが)
の絵も描いていました。やはりいろいろなことを試してみたかったのでしょうか・・・
代表的な絵は、道化師として宮廷に仕えていた「エル・プリモ(第一の男)」と呼ば
れた「こびと男」です。哀愁を帯びた、しかし毅然としたまなざしに心を奪われます。
そして、少し変わった歴史画のようなものも描いています。スペインの軍が征服した
フランドル(オランダ)の町「ブレダの開城」です。敗れたブレダの市民代表が、スペ
インの将軍に街の門の鍵を渡す(恭順を示す)シーンです。いわば勝者と敗者の決定的
シーンなのですが、スペイン王家の宮廷画家ですから「良い場面」として描いています。
勝者が敗者に対して気遣うような感じがしますね。ま、もっとも降伏したからなんです
けどね・・・スペイン軍はフランドルでは大変ひどいことをしてきましたからね・・・
さらにこんな ↓ 絵も。「ヴルカヌス(バルカン)の鍛冶場」というギリシア・ローマ
神話を題材にした絵です。1630年の作。ルネサンス以降、宗教以外ではメジャーな分野
の神話モノです。火の神バルカンの鍛冶屋を訪ねた太陽神アポロン(後光が差している)
が、バルカンの妻ヴィーナスと戦争の神マルスが密会していることを告げ口する場面で
す。なぜこんな絵を描く気になったのかよくわかりませんが、オモロイです。アポロン
の横で話を聞いているバルカンのオッサンの、驚いたような顔が印象的です。ちなみに
この後、バルカンは妻と間男の密会現場に乗り込み、大騒ぎとなるんですね。言うなれば
「ヴルカヌスの修羅場😆」。しかしギリシア・ローマの神様ってのは、なんだか人間
(それもダメな方)によく似ていますよね・・・
そしてもう一つ、ベラスケスの作品を。1632年作の「十字架の上のキリスト」です。
おぉ、こんなすばらしい宗教画を描いていたのですね。写実的ですが、なんとなく神々
しい磔刑図です。見ていて思わず引き込まれるようです。
エル・グレコ、そしてベラスケスの名作の数々を短い時間ですが鑑賞でき、オッサン
はとても満足しました。しかし、オッサンに残された時間は残り15分弱しかありません。
オッサン、あとは何を観て帰るのか?・・・スミマセンが続きます。(またか。by妻)
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