Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

2024年GW:スペイン・フランスの旅 ㉓プラド美術館を45分で見学するなんて無理やん・・・その3

  今更ですが、実にいい加減なタイトルでスミマセン・・・
  このところ不愉快なことが続き、気分は晴れないのですが、せめてここでは(自分が)
 楽しい事を書こうと思います。(いちいちそんなこと書かんでもええやん。by妻)
  
  さてGWのプラド美術館の続きです。45分一本勝負なんて、まるでサッカーの試合の
 ハーフタイムまでの時間ですよ。見どころの豊富なプラド美術館をこの時間で済ませる
 なんて、どのパッケージツアー旅行よりも酷いですな・・・(自分で言うな!by妻)


  ルネッサンス絵画(イタリア&ドイツ)に10分強、スペイン絵画(エル・グレコ様と
 ベラスケス様)に15分。残り20分で何を観るのか、悩んでるタール人ちゃう悩んでいる
 暇はありません。そうです、スペインの誇るもう一人の天才画家ゴヤ様しかありません。


  やはりこれ ↓ を観ておかないとね。一番奥の方の部屋にありましたが、なんとか無事
 に探し出して鑑賞することができました。これを見損なっては後悔しますからね。

  全く同じ構図で、着衣のマハ(下)と裸のマハ(上)という2つの絵が並んで展示
 されています。着衣のマハは図録に写真がないので、ネットから借用しました。そら
 どちらが人気があるのかは推して知るべしですからね。(なんだかヤラシイな。by妻)

  「裸のマハ」は秘かに描かれたものらしく、製作年代は1800年より少し前ということ
 しかわかっていません。つまり、18世紀後半は、まだこのような絵が日の目を見る時代
 ではなかったということです。そうですよね、19世紀後半になって、マネがあの「オラ
 ンピア」を描いた時でさえ、大スキャンダルになりましたからね・・・神話や歴史画に
 題材を取った絵画であれば許された女性の裸体ですが、それ以外のシーンはご法度でし
 た。でも、そんな時代でもチャレンジャーはいたのですね。果たしてこの着衣と裸体の
 女性像を一緒に描くというのは、ゴヤが思いついたのか、依頼主のアイデアだったのか。
 動機はどうであれ、エポックメイキングな絵画が誕生したことは疑いありませんね。 
  もちろんそうしたストーリーは別にして、絵画として純粋に傑作だと思います。


  そして、プラド美術館にはゴヤの作品がこれでもかというほどに所蔵されていました。
 美術の教科書や美術史の書籍、あるいはクラシック音楽のレコードのジャケットなどで
 見たことがあるものがたくさんありました。うわ、もう時間が足りないです~
  ゴヤ様の絵はまとめて展示されているので、ざっと見渡して「これだ!」という絵に
 絞って鑑賞しました。まずはコレ ↓ です。 
    ゴヤのパトロンであったスペイン王室、カルロスⅣ世の家族の肖像画です。

   ゴヤさんも、先輩であったベラスケス様と同様にスペイン王室の宮廷画家として名を  
 馳せたのですが、時代は下って王室はハプスブルク家からブルボン家に変わりました。
 18世紀前半のスペイン継承戦争の結果、スペイン王室の継承権が同じハプスブルク家のオー
 ストリアではなく、その仇敵であった

フランスのブルボン家に代わったわけです。
  少々脱線しますが、スペイン継承戦争とは当時まで欧州でも有数の勢力を誇ったスペ
 イン王室が断絶を免れなくなった機会(後継者のいない病弱な王が死ぬタイミング)に、
 ヨーロッパ中(英国を含む)が自国の力をいかに拡充させ、敵の力を削ぐのかに終始し
 た、実に興味深い戦争でした。見かけ上はブルボン家フランスの勝利のように見えます
 が、同じブルボン家でありながらスペインとフランスの合併を禁止とする条件を飲ませ、
 オーストリア・ハプスブルク家の台頭を抑え込んだ点で、影の勝者は英国であると言わ
 れています。そしてその結果、英国がその後の世界の覇権を握り、大陸ヨーロッパでは
 弱体化したオーストリアを出し抜く形でプロイセン・ドイツが台頭してくるのですよね。
  一方サイドストーリー的には、スペイン王室が弱体化したこの機会に独立を目指して
 オーストリア側についたカタルーニャとアラゴンは梯子を外されてスペイン・フランス
 軍に蹂躙され、以後スペインの中では反乱分子とみなされることになってしまいます。
 反面、同じくスペインの中では異質な存在(政権中央のカスティーリャとは違うという
 意味)の、バスク地方やナバラ地方は、この時にはブルボン家側について参戦していま
 す。地政学的にも両隣の国とはうまくやったほうがいいという当時のバスク・ナバラの
 為政者の判断は正しかったと思います。その結果、ブルボン家の支配下ではバスク地方
 もナバラ地方も安定を享受したというのもうなずけます。バスク地方が反旗を翻すのは
 ブルボン家の支配が終わった後に混乱の中で力でスペイン全土を支配しようとした悪名
 高きフランコ軍事政権になってからなのです。
  ・・・おっと、また大幅に脱線してしまいましたね。😆 (オッサンの下らん西洋史
 の独自解釈は誰も付いて来られんから、もうやめたほうがええわ。by妻)


  では絵画の感想に参りますと・・・これはパトロンの王家の注文した絵画らしいので
 すが、全く「盛って」はいません。それどころか、見た目の印象だけでなく、想像力の
 範疇でも残酷なまでにリアルな作品となっています。主役であるはずの王カルロスは、
 今どきの日本の一般家庭にも見られるような(失礼)、女房の尻に敷かれた亭主のよう
 に描かれています。代わりに画面中央で権勢をほしいままにしているのは、王妃マリア
 ルイサ。その両側に控えたあどけない王子と王女の手を引き、「このスペインの支配者
 は私よ!」と主張しているかのようです。周囲は王の身内親族が固め、なんだかこれは
 田舎の一族郎党の集まりのような印象を受けます。ゴヤさんも、たぶんそう思ったので
 しょうね・・・依頼主の王家は、フランス革命で一旦断絶した後に復活したブルボン家
 王室の威信と正当性を表すことを求めたと思われますが、ゴヤさんは芸術家的にあまり
 にも正直であり過ぎたように思われます。ただ、この絵によって王家の不興を買う事は
 なかったということですので、不幸中の幸いと言いますか、注文主の王家は鈍感なのか
 芸術的なセンスが皆無だったのか・・・ (ウンチクはもう終わりかい?by妻)


  そうだ、もう一つ思い出した。第一次ポエニ戦争に勝利してスペインやサルデーニャ
 島を獲得し、初めて地中海に進出した古代ローマ(帝国ではなく共和制時代ですが)の
 元老院での論客、通称「大カトー」が元老院会議で言ったいうセリフです。
  「地中海世界の覇者となった諸君の上に、女房というさらなる覇者が存在していると
 は知らなかった」・・・一瞬の沈黙の後、議場は爆笑に包まれた・・・と歴史的書物に
 書かれているそうです。なんだか古代ローマ時代って楽しそうですよね!
 (オッサンは古代ローマ・フェチやしな。by妻) 


  お、ゴヤ様の自画像がありました。画家が自分の顔を描くというのはルネサンス時代
 からOKになったように思いますが、それでも宮廷画家の立場ですと簡単ではないはず。
 でもゴヤ様は王家の信頼厚く、多少のことはOKだったと思います。
  いや、この肖像画はもはや現代的ですね。デモーニッシュさを感じさせる程のリアル
 な表情、いや人間性が抉り出されたような抜き差し難い視線・・・思わず視線をそらし
 てしまいそうなほどの強烈な印象を与えます。いわゆる「魂が宿った作品」なのかも。

     

  おっと、これだけでもう10分近く経過しているではないですか。あと残り10分強。
 ゴヤさんの有名な絵があるのは知っていましたが、ほぼ歩きながらチラ見でした・・・


  さらに時代が下り、スペインはナポレオン軍の侵略に遭いました。その名も「1808年
 5月3日の虐殺」と名付けられた絵画は、近代西洋絵画における戦争(を糾弾した)絵画
 の先駆的作品ではないかと思われます。愛国者であったゴヤさん、ナポレオン軍侵入の
 報に、国民を捨てて真っ先に逃げ出したブルボン王家とは行動を共にせず、マドリード
 にとどまり、市民の蜂起とその鎮圧のさまを描いたのです。今なら従軍記者ですよね。

  誰に求められたわけでもなく、この悲惨な出来事を記録して後世に伝えるのが自分の
 義務である・・・とでも言っているのではないでしょうか・・・インターネットも写真
 もない時代、画家の果たす役割は大きかったはず。そしてこれをピカソが知らなかった
 はずはないですよね・・・


  あぁもう時間がない。1階(日本式の2階)の回廊を通りながら、目にした名作絵画
 をチラ見しながら先を急ぎます。この回廊にはルーベンスやイタリアの盛期から後期の
 ルネッサンス絵画の傑作が目白押しだったんですよね・・・あと30分あればじっくりと
 鑑賞したのですが・・・
  はい、歩きながら鑑賞したルーベンスの傑作「三美神」です。有名な「パリスの審判」 
 を題材にしたのでしょうか、ヴィーナス(アフロディテ)、アテナ、ジュノ(ヘラ)の
 皆様ですね。現代人の眼では、もうちょっとダイエットしていただきたいところですが、
 この当時はこれが理想だったのかもしれませんね・・・

    

  そうそう、ハプスブルク家の最盛期(16世紀後半のフェリペⅡ世の時代)には、まだ
 スペインに優れた画家が少なく、本場イタリア(しかも敵国ヴェネツィア)から著名な
 画家を招いて絵を描かせていました。その中でも最も著名な画家ティツイアーノさんは
 気に入られていたらしく(というか、依頼主の希望を熟知して最大限に応える能力を有
 していたということかと思われます)、たくさんの絵をスペインに残しています。当時
 は宗教裁判の恐怖に覆われていたスペインですが、王室の奥深くではこのような絵画が
 描かれ、王の楽しみとなっていたという訳です。今なら究極のダブスタですよね・・・ 
  つぅか、よそ見しとらんとちゃんとオルガンを弾かんかい!って感じやわ。(by妻) 

  あぁ、ティツイアーノさんはこんな絵もあったよね・・・確かに見た気がする。
 ギリシア神話の「ヴィーナスとアドニス」かな。これも女性の裸体を描く口実に過ぎない
 訳ですが、こんな絵ををちょちょいと描いてしまうティツィアーノ様には脱帽です。

  もう一つ、ティツィアーノ様に並ぶエロティック神話画の巨匠?ヴェロネーゼさんの
 有名な作品が対になって展示されていました。こちらも「ヴィーナスとアドニス」です。  
  なるほど、比較すると面白いかも。ほぼ同時代で、同じヴェネツィアで活躍した画家
 同士だからね。たぶん張り合っていたんでしょう。(生活がかかっとるからな。by妻)

 
  そして1階(日本式の2階)のスペイン絵画の残りもチラッと見ました。
  聖母子像で有名なムリーリョさんの「無原罪の御宿り」(1678年)です。この画家の
 典型的な作品かなと思います。柔和で優し気な聖母は、世の男性諸氏にとっては永遠の
 マドンナと言えるかもしれません。(そんな理想の女性はそうそうおらんで。by妻)     

      

  あぁ、たぶん1階(日本式の二階)にはもっと見るべき絵画がたくさんあるはずなの
 ですが、もうタイムリミット。あと5~6分で出口まで行かなければなりませんので、
 後ろ髪をひかれるような思いで階段を降りて地上階(日本式の1階)に戻ります。
  これでもプラド美術館の名画を鑑賞してきたと言えるんかいな・・・またいつの日か
 リベンジしないといけません・・・(そんな金があるんか?by妻)


  あと1回、プラド美術館の記事が続きますが、悪しからず・・・