Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

湖国の旅:番外編・・・その1

  といいましても、大したものではありません。(そんなもん、言わんでも最初から
 わかっとるわい。by妻)
  リアル記事で掲載し損ねた写真と、短編ビデオを掲載いたします。オッサンは動画の
 編集ソフトを使いこなせないので、撮ったまんまですがスミマセン・・・


 1日目 長浜&竹生島

2024年10月12日 長浜・黒壁スクエアへ向かうオッサン  

  キャスター付きのバッグをコロコロ転がしている音が入っているのが情けない・・・ 

  しかも「黒壁スクエア」のことを「黒壁エリア」と言い間違えているやん。(初っ端

 からいい加減さが全開やな・・・by妻)

  黒壁スクエアの中心部はこんな感じ ↑ でした。
  

  昼食に頂いた「鯖そうめん」は絶品。この料理は、農家に嫁いだ娘のために、実家の
 両親が5月頃の農繁期に作って送ったのが始まりだそうです。忙しくて食事を作る暇も
 ない娘を気遣っての親心なんですね。いい話や・・・(オッサンは、全然料理の手伝い
 なんてしたことなかったからな・・・by妻)

  旧市街の黒壁スクエアの商店街の入口です。アーケードの入口には、歌舞伎の鏡獅子
 の板絵が掲げられていました。通りの中には昔ながらの風情のあるお店や、観光客向け
 に新たにできたと思われる「いかにも」というような今風のお店が共存していました。
  かなりの人で賑わっています。長浜も、ちょっとした観光地になった感じです。


  少し行くと、ユネスコの無形文化遺産に指定されている曳山(4月中旬にお祭りがあ

 ります)博物館がありました。あ、たまたま一台の屋台が通りに出ていました。

  この地区で何か行事でもあったのかな? 法被を着た方々が集っていました。
  紋付き袴の貫禄あるオジサンが代表者なのでしょうか?

    


  その後は駅の反対側にある長浜港から午後2時半の琵琶湖遊覧船に乗り、琵琶湖の中
 に浮かぶ竹生島に向かいました。3連休初日なので、船は満員の大盛況でした。

  天気が良くて、伊吹山もはっきり見えました。

2024年10月12日 琵琶湖遊覧船から伊吹山を眺めるオッサン
  バックに流れる歌は「琵琶湖周航の歌」という、1917年に作れらた歌だそうです。
 当時の第三高等学校(京都大学)ボート部の部員が口ずさんだものがオリジナルらしく、
 三高の寮歌・学生歌として親しまれ、歌手の加藤登紀子さんがカバーして有名になった
 そうです。既に歌詞の著作権は消滅しているため、一番の歌詞を載せておきます。


   われは湖(うみ)の子 さすらいの
   旅にしあれば しみじみと
   昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
   志賀の都よ いざさらば ♪


 (どうでもえぇけど、ビデオでは途中からになっとるな。録音に失敗したんやろ。by妻)

  30分程の快適な船旅で、竹生島に到着します。ここには宝厳寺(ほうごんじ)と、
 都久夫須麻(つくぶすま)神社があります。お寺の唐門(からもん)と、神社の本殿は
 国宝に指定されています。ココも観光客でごった返していました。

2024年10月12日 竹生島の神社⛩️に向かうオッサン
  神社の本殿は国宝にふさわしく堂々とした造りです。それにしても、ここまで資材を
 運び込んで建築するのは大変だったでしょうね・・・

 
  本殿にお参りすると、なんだか楽しそうなものが・・・

  小っちゃな「お願いだるま」だそうです。お願い事を書いたお札と一緒に納めると、
 願い事が叶うんだって・・・しかし、オッサンにはもうあまりお願い事はないのでパス。
 (いやぁ、あそこに行きたい、ここに行きたいとか、あれがほしい、これがほしいとか
 山ほどお願い事はあるやろ・・・by妻)


  帰りの船は最終便の午後4時半発。竹生島には宿泊施設は無いので、観光客はみんな
 この船で帰ります。オン・シーズンには彦根まで行く船もあるそうです。

  最終の船が出ると、島はひっそりと静まり返ります。(それは島に残らんとわからん
 やろ。by妻)

  遊覧船の後ろのデッキから眺めると、琵琶湖の向こう側にある山に夕日が沈んでいき
 ました。湖の夕暮れかぁ、なかなか絵になります。


  ホテルに戻って夕食までの間、窓の外を眺めていました。伊吹山と琵琶湖のたそがれ。


  夕食は宿泊ホテル「北ビワコホテル・グラツィエ」のメインダイニングのイタリア
 料理店「ラ・スピアッジャ」です。単体のオッサンは一人だけでした。😢

  でも美味しい料理とワインがあれば、へっちゃらです。(単純な奴っちゃ。by妻)


2日目 長浜&彦根城&近江八幡
  2日目の朝は、長浜駅周辺の見どころ、鉄道博物館と長浜の迎賓館であった慶雲館へ。

  鉄道博物館は、かつての長浜駅の駅舎や周辺の設備を使っています。

  実は長浜駅は大津からの琵琶湖連絡船の船着場に接していたのです。明治時代に鉄道
 が西から大津まで開通した後は、琵琶湖の連絡船を使って長浜まで行き、長浜から鉄道
 で敦賀に抜けていくルートだったようです。長浜から関が原を越えて名古屋・東京方面
 に鉄道がつながるのと、琵琶湖連絡船が繋いでいた大津~長浜間が鉄道でつながるのは
 まだ先のことだったのですね・・・まぁ、昔は鯖街道みたいに日本海側から京・大坂に
 繋がる道が重要だったのでしょうね。

  当時の駅舎の様子が復元されていますが、人形がちょっと気味悪い・・・ 

  館内には北陸本線を力走していた蒸気機関車のD51型機が保存されていました。
  続いては、鉄道博物館のすぐ隣にある慶雲館を見学しました。鉄道駅に隣接している
 ということは、琵琶湖連絡船と鉄道を乗り継ぐために長浜に立ち寄った貴賓客を迎える
 ための施設だったようです。

2024年10月13日 長浜・慶雲館


  明治天皇も訪れたというこの和風建築は、美しい日本庭園もあってなかなか良かった。

  明治天皇・皇后が座られた玉座がありました。ここから伊吹山と琵琶湖の眺めを堪能
 され、満足されていたそうです。


  番外編なのに、長くなってしまったので続きは次回へ・・・
 (全然番外編やないやん。普通の記事やん。by妻)