Bonne(ボンヌ)のブログ

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2025年4月:大塚国際美術館の見学:①古代ギリシア・エトルリア文明編

  今回はちょっと趣向を変えて、先月訪問した四国・徳島県鳴門市にある大塚国際美術

 館の見学記事です。写真や動画の整理に時間がかかりまして、今頃でスミマセン・・・

 (いや、別に誰も期待しとらんから大丈夫や。by妻)


  ここは知る人ぞ知る、(オロナミンCやポカリスエットで有名な)大塚製薬の社長?が

 大塚グループ創業の地に作らせた物凄い美術館です。まず、発想がスゴイ。世界26か国

 の西洋美術(絵画や壁画)の名作約1000点を、原寸大で陶板に忠実に再現したものを展示

 しています。つまり、居ながらにして世界の美術館巡りができてしまうのです。

  陶板画といってバカにしてはいけません。陶板画は2000年以上劣化しないといわれてい

 ますので、オリジナルの作品よりも長い寿命を誇ります。つまり、原作の忠実なコピーを

 2,000年にもわたって保存できるということです。

  しかもこの陶板画の特殊技術は大塚グループの会社が開発し、材料は地元鳴門の砂?を

 使っているというのですから、更にビックリです。よくこんなことを考えて実行したよ

 なぁと思います。投資も莫大だったと思います。


  とはいえ、オッサンも訪問するまでは「どうせコピーだしな。壁画ともフレスコ画とも

 油絵とも違うしな・・・」とちょっと舐めていました。しかし訪れてビックリです。

  まずは入口近くにある、この美術館の目玉と言うべき大作が出迎えてくれました。  

 

 2025年4月 大塚美術館 システィーナ礼拝堂

 

  イタリア・ルネサンスの巨匠ミケランジェロの代表作、ローマ・ヴァティカン宮殿

 に併設されたローマ教皇の礼拝堂、すなわち有名なシスティーナ礼拝堂の天井画です。

 巨大な「最後の審判」の壁画と、旧約聖書から題材を取った天井画で装飾された華麗

 で迫力満点の空間を再現しています。壁画そのものだけではなく、礼拝堂の雰囲気を

 含めて再現している感じです。いや、これはすごいぞ。

  オッサンは過去に一度だけホンモノを見たことがありますが、壁画はもっとくすんだ

 色で、大勢の観光客が押し寄せて騒々しく、スピーカーから絶えず「シィレンツィオ」

 (静かにしてください)というアナウンスがあり(それが却ってウルサイ)、全然落ち

 着いて見学することができませんでした。妻と一緒でしたが、妻もゲンナリしていまし

 た。(天井を見上げて見なあかんから、首が疲れたわ~。by妻)

 

  もちろんホンモノではありませんから、芸術的価値はどうこう言っても仕方がないの

 ですが、現地に行ってもゆっくり鑑賞できない作品を、じっくり見る事ができて有難い

 です。天井画の一つ一つを見て、あのシーンはアダムとイブだ、天地創造だ、と確認が

 できます。ミケランジェロの渾身の力作を、少しでも身近に感じられます。 

  ただし場所柄か、グループで訪れていた関西弁のオバチャンの大声が館内に響き渡り、

 静寂な雰囲気がやや損なわれていました。😆 (淡路島経由で近いからな。by妻)

 

  さて、システィーナ礼拝堂は後から(最後に)じっくり見学することにして、1階に

 あるメイン展示の「古代作品」コーナーをくまなく鑑賞することにします。

  いやもう、これはものすごいです。古代西洋文明(主に古代ギリシア、古代ローマ)

 の著名な大作が、ほぼすべて網羅されています。このコレクション造りを監修した専門

 家の方々はスゴイです。絵画であれば、まぁ欧米の著名な都市の有名美術館を訪れれば

 見る事ができますが、このコーナーにある遺跡はポンペイ等の一部を除き、交通の便が

 悪い僻地にある、遺跡と言うよりは廃墟と言うほうがよい場所にありますので、一般の

 日本人が観光で訪れるのは難しく、しかも保存の問題があるので常に公開してくれると

 は限りません。つまり、まず普通は見る事ができない貴重なものがたくさんあるのです。 

 もうオッサンは腰が抜けそうになりました。こんなスゴイものがあるとは知らなかった。


  まずは・・イタリア南部のパェストゥムという田舎町の郊外にある古代ギリシア文明

 の遺跡です。なぜイタリアに古代ギリシア遺跡があるのかと言いますと、古代ギリシア

 人は、人口が増えると狭いギリシアだけでは暮らして行けず、早い時期(紀元前8世紀

 頃)から海外に集団で移住していたからなのです。トルコ沿岸部、黒海沿岸部、そして

 イタリア半島やシチリア島にも移民(植民)をしていたのでした。南イタリアの大都市

 ナポリも、元はギリシア人の造った新都市(ネアポリス)でしたし、南イタリア自体が

 当時は「マグナ・グレキア(イタリア語ではマーニャ・グレーチャ)」つまり、大ギリ

 シアと呼ばれていたほど、ギリシア人の住む世界だったようです。

  その中で、パェストゥムは自然環境が厳しい(湿地帯でマラリアが発生)ことから、

 早い時期に衰退し、文明から取り残されてしまったので、当時の遺跡がほぼ手つかずで

 残るのだそうです。しかし、現代でも人里離れた僻地の為にポンペイのような観光名所

 にはなっていません。訪れるのは至難の業でしょう・・・

  そんなパェストゥムにある鮮やかなギリシア時代の壁画が、鮮明に展示されているの

 です。ちなみにギリシア本国では、残念ながらこのような壁画はほぼ残っていません。

 (クレタ島やサントリーニ島にある、もっと古い時代の文明のものを除く)


  この壁画 ↓ は、お墓の中に描かれたものみたいです。死者が寂しくないように現世

 の楽しみを描いたものらしいですが、そのお陰で当時のギリシア人の暮らしや嗜好が

 わかるわけです。芸術作品としてだけではなく、古代史を紐解く鍵ともいうべき貴重

 な遺産でもあるのでしょうね。オッサンも美術図録で少しだけ見たことがありますが、

 このように現物を再現したものを観るのは初めてで、コーフンしました。

  アップにしますとこんな感じ。楽器を演奏したり、踊ったり、シンポジオンという

 食事つきの討論会?みたいなものをしていたり・・・(古代ギリシア・ローマの正式

 な食事は横臥して片肘をついて手掴みで頂くスタイルだったみたいです。)

  どうでもいいけど、男ばっかりですね。女性はおらんのかいな・・・

  そうそう、古代ギリシアは男の世界。女性が公式の場で男性と同席することはなく、

 音楽も体育(競技)も食事会(シンポジオンと呼ばれた饗宴)も、男だけの世界だった

 みたいです。そらちょっと、つまらんのちゃうかなぁ・・・(アホ)

  そして、その結果、少年愛や男色が流行ったみたいですけどね・・・😆


  おっと、横道にそれました。(いつものことやん。by妻)

  そしてパェストゥムの壁画を代表するものと言えば、コレ ↓ 。

  なんと楽しい絵でしょう! オッサンも初めてこれを図録で観た時にはビックリしま

 した。男が海?に飛び込んでいるところを描いたものです。なんだかマンガみたいです。

 妻もこれを見たらきっと面白がったでしょう。「飛び込み男」と名付けられて有名な壁画

 だそうですが、遊んでいるのか、魚を取るためなのか、目的ははっきりしません。

 ちゃんと飛び込み台みたいなものがありますから、競技だったりして・・・


  動画も少し撮影しました。より詳しくご覧いただけると思います。

 

 2025年4月 大塚美術館 パェストゥムの古代ギリシャ遺跡


  そしてお次は・・・南イタリア地域でギリシア人が植民都市を築いて繁栄を謳歌して

 いたのとほぼ同時期、中部イタリア地域(現在のトスカーナ州からラツィオ州、内陸の

 ウンブリア州)には、アジア系民族と想定されるエトルリア人が定住し、独自の文化を

 花開かせていました。

  エトルリア人は、後に台頭してきた古代ローマ人(ラテン民族)に吸収されてしまい

 ますので、エトルリア人が単独で残した文明遺跡はごく僅かしかないのですが、ギリシ

 ア人の遺跡パェストゥム同様、早期に衰退して古代ローマ時代にも忘れられてしまった

 場所がありました。ティレニア海沿いの湿地帯に近い場所にあるタルクィニア遺跡です。

 「鳥占い師の墓」と呼ばれているものを再現した展示がありました。


  エトルリア人の遺跡も、やはりお墓(墳墓)です。古代人はエジプト人もそうだけど

 来世を信じていたのかなぁ。

  この遺跡の壁画は(高松塚古墳のように)保存のために一般公開されていないと聞き

 ますので、この色鮮やかで躍動的な壁画のオリジナルを見る事は不可能です。しかし、

 ここでレプリカの陶板画とはいえ、ホンモノがある場所と同じように再現されているの

 です。この貴重な作品を採用し、再現して頂いた方々に感謝です。

  エトルリア人はギリシア人と交易をしていたみたいですので、ギリシア文化も入って

 いたのかもしれない。レスリングとか器楽演奏とかね・・・

  

  この大きさから判断すると、かなりの有力者のお墓だったのかもしれないですね。

 それにしても紀元前6世紀のものだとしたら、2,500年以上経過しているわけです

 よね。修復はされているかもしれませんが、壁画がこんなに色鮮やかに残っているとは

 素晴らしいです。たぶん地中にあるお墓の中ですから、保存に向いていたのですね。

  それにしても古代ギリシア人やエトルリア人が墓を鮮やかな壁画で飾り、現世の生活

 を描いていたのは、現世の楽しみを来世でも味わいたいという思いと、現世と来世が繋

 がっていると考えたからかもしれない・・・

  そうか・・・死後の世界があって、そこでも現世の暮らしが続けられるとしたら、妻 

 もそこで今まで通りに暮らしていけるのかもしれないな・・・

  (そら、●んでみないとわからんで。by妻)


  

 2025年4月 大塚美術館 古代エトルリア タルクィニア遺跡


  うーむ、これは素晴らしい体験ですね。参りました。素直に感動しました。

  どうせ大したことないやろ、なんて舐めていてスミマセンでした・・・


  そして、この後は古代ギリシア人と古代エトルリア人を吸収した古代ローマ人の文化

 遺産が続きます。なぜ「吸収」だったのかと言いますと、古代ギリシア人もエトルリア

 人も、ローマ人に滅ばされたわけでもどこかに追いやられたわけでもなく、彼らの地に

 住み続けたうえに、一部はローマに移住してローマ人と一体化していったからです。

  このことが、古今東西の並の征服者と古代ローマ人の違うところであり、古代ローマ

 を偉大な帝国にした最大の理由なんですね。まぁ実際の動機は「少人数で多数を支配す

 るには懐柔しかない」ということと「元は風来坊の集まり」だった都市国家ローマには

 常に人材が必要だったからです。こうして被征服民である古代ギリシア人もエトルリア

 人もローマ人と一体化していき、ローマ人は彼らから優れた文化や技術を吸収すること

 ができたのだそうです。古代ギリシア人からは、洗練された文明(芸術や体育、文学や

 社会制度、政治制度等)を学び、エトルリア人からは優れた土木技術を学び取りました。

 古代ローマ文明は古代ギリシアの模倣と言われますが、古代ギリシア文化を古代ローマ

 人が尊重し敬意を払っていたという事だと思います。そしてエトルリア人の土木技術は、

 大規模灌漑設備と上下水道の整備に生かされ、湿地帯であったローマの居住環境を改善

 し、ローマ人の「快適な暮らし」を実現することに繋がりました。

  まさしく古代ギリシア人とエトルリア人に出会わず、一体化することがなかったら、

 古代ローマの繁栄はなかったでしょう。古代ローマ人は「人間が人間らしく生きられる

 社会をつくる」ことを最上の善としてきましたが、それは古代ギリシア人とエトルリア

 人に学び、彼らの技術や精神を受け継いでいったからですね・・・


  オイオイ、またまた脱線して古代文明史のウンチクかい・・・(by妻)

  スミマセン、オッサンは古代ローマフェチなもので、古代ローマの話になるとどうし

 ても長くなってしまいます・・・(ほんなら次回はさらに長くなりそうやな・・・by妻)