【一部訂正】2025年4月:大塚国際美術館の見学:③古代ローマ三昧・・・その2
記載内容に大きな誤りがありましたので、訂正させていただきます。(★印)
いい加減なことを書いてしまいスミマセン・・・(ホンマにもぅ~ by妻)
今夜は大塚国際美術館の続きです。
陶板画で世界の西洋名画を再現している美術館として有名な観光スポットですが、実
は古代や中世の壁画もかなり展示しており、ノーマークだったオッサンは驚嘆しました。
オッサンが愛好する古代ローマ時代の壁画(フレスコ画?)も、ポンペイの遺跡やそこ
から出土した美術品を収蔵しているナーポリ国立考古学博物館の作品が多数ありました。
ということで思った以上に鑑賞に時間を要してしまいました。この古代の展示ゾーン
は1階と書きましたが、入口から一番近い再下階なのに図録には「地下三階」と書かれ
ていました。下から順番に見ていくのですが、結局出口はまたもとのところに戻ってく
るので、ここを1階としたほうが混乱がなくていいのでは?(どうでもよろしい。by妻)
では、肝腎の素晴らしい古代ローマ時代のフレスコ画の展示を見学します。ナ-ポリ
の考古学博物館の傑作が勢ぞろいしていました。
どれも色彩が鮮やかで驚きます。ポンペイの街は西暦紀元80年のヴェズーヴィオ山
の大噴火で灰の下に埋もれてしまったため保存状態がいいのだそうです。なんとも皮肉
な話ですが、そのお陰で後世の人たちも当時の作品を観ることができるのです。
神話の題材が多いのですが、一般の人たちの肖像画などや町のお店を描いたものなど
もありますので古代ローマ人がどんな風貌をしていて、どんな暮らしをしていたのかが
わかって楽しいです。はっきり言って、キリスト教一色に染まった重苦しい中世よりも
生き生きとしています。ちなみに上の写真の左下は、娼婦の館の様子みたいです。こう
いう絵を残しているところを見ると、古代ローマ人にはタブーではなかったのですね。
お、なんだか遠近感がメチャクチャで稚拙な感じがしますが、古代ローマの有名な
円形闘技場での遣唐使、ちゃう剣闘士の催しを描いたものもありました。
しかし、圧倒的に数が多いのはギリシア・ローマ神話の題材を描いたものです。個人
の邸宅の客間?や玄関に飾られていたのでしょう。まぁご主人様がちょっと教養をひけ
らかしたりするために重宝されたのかも・・・
ちなみに下の絵は、古代ギリシア神話に出て来る英雄テーセウスの物語です。同じよ
うな絵がたくさんあるので、人気があったのでしょうね・・・この方はいろいろな方を
救った「お助けマン」として有名なので、あやかろうとした人も多かったのかも。
お次も有名なギリシア神話のシーン。トロイ戦争の主役の一人、ギリシア側の総大将
のミケーネ王アガメムノンの娘イピゲネイアが、狩猟の女神アルテミス(ローマ名では
ディアナ)の生贄にされるシーンです。軽はずみな発言で女神を怒らせた父アガメムノ
ンは、来るべきトロイとの戦に勝つための神託で「娘を生贄に捧げよ」と命じられて、
無情にも娘を犠牲にしたのです。
★オッサンは、ギリシア神話と思っていましたが、正確には「ギリシア神話を題材に
した古代ギリシアの悲劇作家エウリピデスの作品でした。しかも既に原作で、最初から
痛ましい「犠牲」の後に「救済」のシーンが書き加えられていたように思われます。
演劇大好きの古代ローマ人は既にエウリピデスの悲劇に夢中になっていましたので、
このような絵を描かせたのだと思われます。この絵の上の方には、天空で牡鹿に乗った
アルテミス(ディアナ)と、救われたイピゲネイアが出会っている様子が描き込まれて
いますね・・・アルテミスはイピゲネイアを天に召された後、自分の手元に置いて厚遇
したということになっているようです。えぇんかいな・・・
まぁ、日本人同様に古代ローマ人もハッピーエンドがお好きなようでした・・・
まぁ神話といっても古代ギリシアや古代ローマでは、神々と人間が近い関係でしたね。
人間が傲慢なことを言ったりしたりすると、(たとえ王様でも)神様を怒らせてバツが
下るよ、という教訓めいた話が多いのも楽しいです。そして当の神様方も、嫉妬はする
し、浮気も不倫もするというきわめて人間臭い方々として描かれていますけどね・・・
古代ローマ人のギリシアびいきはこれだけにとどまりません。名高いギリシアの実在
した詩人メナンドロスを描いた絵もありました。ちょっと理想化されてる感じですが。
そしてさらに、古代ギリシアの誇る芸術品の彩色陶器に描かれたものもありました。
陶板画ですので立体の壺は再現できませんが、その壺に描かれた絵を陶板画に移し取っ
ているようです。戦いのシーンや、交易のシーンなどが生き生きと描かれていて楽しい。
それにしても古代ギリシア文明の信奉者だった古代ローマ人が、ギリシア本国よりも
ギリシア文化を今に伝える作品を遺しているとは驚きです。そして大塚国際美術館には
ここでは紹介しきれないほど、さまざまな作品が展示されていました。つまり、古代の
ギリシア・ローマ文明の作品も、後世に伝えるべき重要な人類の遺産と捉えていたのだ
と思います。さすがです。有難うございます。
しかし紀元前200年頃から紀元200年ころまで続いた古代ローマの黄金時代が終わり
を告げると、ローマ世界は衰退に向かい、遂に西暦476年にはローマを首都とする帝国
(西ローマ帝国)は消滅します。現在のトルコのイスタンブル(コンスタンチノープル)
を首都とするキリスト教化した東ローマ帝国はもう少し長続きしましたが、古代ローマ
の精神はそこでは既に失われていました。西ローマ帝国の滅亡以降は、西欧世界は混乱
のなかで没落の一途をたどり、輝かしい文明社会は破壊されて暗黒の中世に入ります。
(オッサンは古代ローマフェチやから、そういう書き方になるんやな。by妻)
そんな中で西暦6世紀に一時だけ東ローマ帝国(ビザンチン帝国)がイタリアの支配
を確立させたことがありました。「大帝」と呼ばれるユスティニアヌスの時代です。
コンスタンチノープルにいる皇帝の家臣が、イタリアの代官として北イタリアの港町の
ラヴェンナに総督府を置き支配をしたようです。
その、ラヴェンナに残る壮大なモザイク画が、ここにも展示されていたのです。
この素晴らしいモザイク画は、ラヴェンナの聖ヴィターレ教会に飾られていました。
オッサンは学生時代の卒業旅行で、どうしてもこれが見たくてラヴェンナまで出かけて
見学をしました。38年前のことです。残念ながら、大聖堂の中にあったような形での
展示ではありませんが、これを見せて頂けるだけでも大感謝です。
皇帝ユスティニアヌスと廷臣たち、キリスト教の司祭たち、戦士たちを描いています。
ユスティニアヌスは皇帝のしるしである「緋色のマント」を羽織っています。
そして楽しいのは、これと全く同等のように皇妃テオドラと侍女たちのモザイク画が
セットで存在していることです。当然大塚国際美術館にもセットで展示されています。
うひゃぁ、気品があって美しいお后様ですねぇ・・・それにしても装飾が凄い。
それもそのはず、皇帝ユスティニアヌスが一目ぼれしてお后にしたらしいのですが、
肝の据わった大人物だったようです。優柔不断な皇帝を時には叱咤し、助言をしていた
といいますから、皇帝代理みたいな方だったようです。皇帝もこの賢くて度胸があり、
気品を備えた妻を頼りにしていたようです。
(まるで私みたいな方やな・・・by妻。よぅ言うわ・・・byオッサン。)
首都から離れたラヴェンナでも、皇帝と同格にみなされていたわけですから、凄い方
であったのは間違いないでしょう。
しかしユスティニアヌスと皇妃テオドラの亡き後、東ローマ帝国は遠く離れたイタリ
アを長く維持することはできず、早々に手をひいてしまいました。
ということで、古代ローマ編はここまでにしておきたいと思います。
次回は「闇黒の中世」の作品ですが、闇の中にも一筋の光が差すこともありました。
そうした貴重な作品をご紹介できればと思います。続きます・・・
(このシリーズも何回続くかわからんようになってきたの~ by妻)










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