Bonne(ボンヌ)のブログ

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2025年4月:大塚国際美術館 ④中世美術の意外な楽しさ・・・その1

  大塚国際美術館の続きです。このシリーズもちょっと長くなりそう・・・

  つまらない記事になってしまうかもしれませんが、悪しからず。

  (大丈夫や。平常運転や。by妻)


  さて古代ギリシア・古代ローマの名作・大作をじっくり鑑賞していたら、あっという

 間に1時間経過していました。この後、オッサンが好きなルネッサンス美術や妻が好き

 だった印象派や近代美術をたくさん見たいので、ちょっと急がなければなりません。

  となると、その間の中世美術や、バロック~ロココ~古典派といったところはスルー

 して時間の節約をする必要がありますが、やはり素通りはできない貧乏性のオッサン。

 大して予備知識がなく、何があるのかも知らなかったのですが、一応中世美術コーナー

 を駆け足で見学することにしました。予定時間は10分ね。(そらアカンわ。by妻)

 

  まずは、いきなりすごいものがありました。

  フランス中部の片田舎にあるロマネスクの教会、聖マルタン教会の再現展示がありま

 した。キリスト教絶対の中世において教会の主祭壇に描かれることの多い「栄光のキリ

 スト」の典型的なフレスコ画ですね。交通が不便で行きにくいフランスのとんでもない

 田舎にこのような中世の美術品が多く存在しているらしいのですが、いかんせん訪問が

 難しいので、あまり知られていません。オッサンも昔ブルゴーニュに近いヴェズレーの

 聖マドレーヌ寺院を観に行きたいと思ったのですが、公共交通機関がなくて断念をした 

 ことがあります。まぁフランスの中世ロマネスク美術を鑑賞するチャンスは一生ないか

 なと思っていたのですが、このような形でレプリカとはいえ見る事が出来て感激です。

  とはいえ詳しいことは知らないので、解説文をお読みください。(手抜きや。by妻)

    

  「栄光のキリスト」や「尊厳のキリスト」は、救世主キリストをあたかも神のような

 存在とみなして荘厳でいかつい近寄り難い感じで描かれることが多いですね。イタリア

 ではピサの大聖堂や、モンレアーレの大聖堂などのモザイク画もこのタイプかなと。

  つまり「救い主」というよりは「信者が従うべき絶対的な存在」として、教会が信者

 を支配するために使われていたのですね。(身も蓋も無い事を言わんときや。by妻)


  しかし動機はともあれ、その結果として素晴らしい芸術作品が残されたのは事実。

 後代と違ってどこの誰かもわからない無名の職人の偉業です。・・・そういえば、古代

 ギリシア・ローマでは、作者がわかっているんですよね。彫刻家のプラクシテレスとか。

 古代は人間重視の時代だったのに、中世は(唯一絶対神の前には)人間軽視だったこと

 が、こんなことからもしのばれますね。(またまた脱線しとるで・・・by妻)


  おぉ、そして東ローマ帝国、すなわちビザンチン帝国の東方教会(ギリシア正教)

 の教会美術の傑作もありました。これまた、普通の観光ツアー旅行でお目にかかること

 が難しい、ギリシア第二の都市テッサロニキにある聖ニコラオス・オルファノス聖堂の

 再現展示です。凄いぞ、これは・・・

  14世紀、つまりビザンチン帝国(ローマ帝国の継承者)が衰退に向かう頃に描かれた

 フレスコ画ですが、聖堂自体はこのような凄い美術品があるとは思えない質素な外観で、

 必ずしも大きいとは言えないのですが、その聖堂の中をこのようにフレスコ画が埋め

 尽くしているのです。大塚国際美術館の再現展示では、その空間を忠実に再現したもの

 なのだそうです。

 このこと一つを取っても、この美術館の展示には中世美術史のプロ中のプロが参加して

 いることは想像に難くありません。

  とはいえオッサンの拙い解説ではその素晴らしさを伝えられませんので、プロの解説

 文をご覧ください。(今日は手抜きのオンパレードやな・・・by妻)

 

  奥の方に続いていますが、一面キリストの生涯を描いたフレスコ画です。ギリシアは

 オスマントルコに支配されて久しく、異教徒のもとでキリスト教会とその美術品は蔑ろ

 にされていたわけですが、素朴な教会建築の中に秘められたきらびやかな宗教芸術は、

 このように(一部の損傷は免れなかったものの)生き延びることができたようですね。

 ま、トルコ人はアラ⚫︎人と違ってバランス感覚のある民族ですので(問題発言🤣)、

 実はオスマントルコ支配下のギリシアでも、キリスト教徒が細々ながら信仰を続けるこ

 とができたのです。その点に関しては、オスマン・トルコ、グッジョブです。

  いや、これはスゴイわ・・・現地で観てみたいけど、テッサロニキまではよう行かん。

  残っている部分だけ見ても圧巻です。これが教会の内陣全てに描かれていたと思うと

 驚きです。ウブな信者?がここに入ったら、圧倒されて熱心な信者になってしまったと

 思われます。洗脳のための舞台装置としては完璧ですし、後世の不信心な現代人の鑑賞

 にも耐えうる一級の芸術作品といえるでしょう。

  半円形のドーム部分には、歳暮ちゃう聖母マリア様が・・・これも優しい聖母という

 よりも神々しい聖母様ですね・・・皆さん、ちゃんと言う事をきくんですよ、みたいな。

    

  いやもう、これもすばらしくて腰が抜けそうになりました。(腑抜けが腰抜けでは

 シャレにならんのぅ。by妻)

 

  そうそう、ちなみにビザンチン帝国(東ローマ帝国)は、西ローマが消滅した後も

 1000年続きました。つまり、正統ローマ世界が1,300年続いた後、東側だけですがキリ

 スト教国家としてのローマ帝国(ビザンチン帝国)が1,000年続いたわけです。通算で

 は2,300年ですよ。これは物凄いを通り越して、アンビリーバボーですよね・・・

 (オイ、何回脱線すれば気が済むんじゃい!by妻)


  ついでに、ビザンチン帝国初期の芸術も凄いんですよ。モザイク画ですけれどね。

  北イタリア・ラヴェンナの聖ヴィターレ大聖堂に付随する「ガッラ・プラチーディア

 廟」の「神秘の子羊」のモザイクです。これは紀元5世紀の作品です。あ、厳密に言う

 と西方のローマ帝国の皇帝系統がまだ残っていた時代ですので、ビザンチン帝国時代の 

 ものではないですが、流れとしては同一のものだと理解しています。

  オッサンは大学生の卒業旅行で、これのホンモノを見ましたが(自慢すんな。by妻)

 やはり現地では狭くて薄暗くてここまで美しいとは思いませんでした。陶板画のレプリ

 カであっても、このように素晴らしいものをじっくり鑑賞させていただいて感謝です。


  そうそう、前回記事に載せた「聖ヴィターレ大聖堂の皇帝ユスティニアヌスと、皇妃

 テオドラのモザイク」こそがビザンチン帝国初期(6世紀)を代表する芸術品でした。

  この辺の展示は人気がないのか、ほとんど見学者がいなかったので、パンダ君の撮影

 がスムーズにできました。😆(アホ)


  おっと、興味深い再現展示とはいえ2作品を観るだけで既に10分経過しています。

 中世美術コーナー全部を10分で流そうとしていたオッサンの浅はかな目論見は早くも

 破綻しました。中世美術は、まだまだ素晴らしいものが控えていたのです・・・

  この時点で、オッサンは観念して閉館時間ギリギリまで大塚国際美術館を見学するこ

 とにしました。(この後、淡路島までのドライブを予定していましたが、やめました。)


  つまり、このシリーズがかなり長く続くということになります。絵画や西洋史に興味

 のない方には退屈至極の記事になりそうですが、スミマセン・・・