2025年4月:大塚国際美術館 ⑥中世美術の意外な楽しさ・・・その3
今日は一転して暑い日でした。朝から日が出ていたので、出勤前の30分で掛け布団を
干しておきました。ほんのちょっとでも布団が干せると気持ちいいですから・・・
さて、長々と続いている大塚国際美術館の続きです。中世美術も今回で3回目。まさか
こんなに長くなるとは・・・(もうそろそろ終わりにせんとな~ by妻)
今回のトップバッターは、やはりビザンチン美術。1100年頃にビザンチン帝国の首都
コンスタンティノープル(現トルコのイスタンブル)で制作された聖母子像ですが、実
はこの絵は数奇な運命をたどっています。新興国家ルーシの首都キエフ(現ウクライナ
のキーウ)に運ばれ、その後暴虐国家のウラディーミルの教会に納められたことから、
「ウラディーミルの聖母子」と呼ばれています。ビザンチン帝国がオスマン・トルコに
征服されて滅亡した後、ビザンチン文化と東方キリスト教会は野蛮なルーシに引き継が
れました。といいますか、ルーシがビザンチンの権威を手にして国威を発揚できたのだ
と思います。(その後モンゴル人に手痛い目に遭わされてしまう訳ですが・・・)
ちなみに現在この絵は、暴虐国家の首都のトレチャコフ美術館にあるとのこと。
宗教の力で平和を・・・というのは所詮は無理なんでしょうが、この絵はなかなかの
傑作です。幼子キリストが妙に体が長くて大人びているのは眉唾ですが、聖母の慈愛に
満ちた、それでいて悲し気なまなざしに心を奪われます。ルーシ人の制作ではなくて、
ビザンチン帝国のギリシア人の作品ですから誤解無きよう・・・(棘があるな。by妻)
このほかにも、ビザンチン絵画がたくさんありましたが、一つ一つじっくり鑑賞する
には時間が足りません。他にも凄い作品がありますので先を急ぎます。
まず目に入ったのがこれです。13世紀後半(1290年頃)の作品・・・
これは中部イタリアのアッシジにある聖フランチェスコ大聖堂の壁画、ジョットさん
の手になる作品ですね。「小鳥に語りかけるアッシジの聖フランチェスコ」です。9世紀
に実在した聖人の物語ですね。金持ちのボンボン?だったフランチェスコがある時、神の
啓示を受けて出家し、清貧の暮らしの中で熱心な布教者になったという話です。彼を慕う
弟子たちも多く、後にフランチェスコ派と呼ばれる修道院の一大勢力になったわけです。
画面は聖人フランチェスコに恋した、わけではなくて帰依した聖女キアーラの姿が描かれ
ています。しかしフランチェスコさん、小鳥への布教活動は失敗に終わったのではないで
しょうか?(アホ)
13世紀から14世紀は、衰退していたヨーロッパ世界でも少しずつ経済活動が復活して
きた頃だということです。教会美術においても、中世の平面的で感情がこもっていない
絵画から、少しずつ人間的な、血の通った絵画が生み出されていく時代だったようです。
ジョットさんの絵画はまさしくその代表で、彼は「ルネッサンスの先駆者」といわれて
いるほどです。
続いて、中部イタリアのフィレンツェ郊外のシエーナ大聖堂にある中世祭壇画の傑作
がありました。ドゥッチオの「尊厳の聖母」と呼ばれる大作です。
大きな板の両側に絵が描かれていますが、ここでは分解されて展示されていました。
正面の大画面が、「マエスタ」と呼ばれるこの「尊厳の聖母」の絵です。中央部分に大
きく描かれた聖母子の周りを、信者(聖人たちや教会関係者)が取り囲み、拝んでいると
いうお決まりのシーンですが、中世の絵画では登場人物がみんなこちら(正面)を向いて
いて不自然なのですが、この絵では周りの人たちの目が聖母子に注がれています。
(何人かはよそ見しとるみたいやけど・・・by妻)
そして聖母子は威厳を保ったままですが、周りの人たちは画一的ではなく人それぞれ
に描かれています。これまでは聖母子や聖人以外は「どうでもいい存在」だった訳ですが
一人一人の人間としてある程度正確に描かれるようになってきました。この絵も既に中世
の「しがらみ」から解放されつつあるように思います。だからこそ「傑作」とみなされて
有名になっているんでしょうね。
ちなみに「マエスタ」の裏側は、こんなふうに小さく区切られて、キリストの生涯を
描いた板絵になっています。かなり細かいところまでしっかり描かれています。聖書の
場面を生き生きと描いています。これを見れば、聖書が読めない信者たちもキリストの
一生を簡単に知ることができますね。
なお、ホンモノはこんな感じです。
シエナの大聖堂で妻と一緒に見た記憶があるな・・・
うーむ、中世から初期ルネッサンスに至る過程の、いわば「橋渡し」をしたような、
重要な絵画をきっちり展示しているとは、やはり大塚国際美術館は素晴らしい。しかし
感心するのはまだ早すぎます。
この先に、中世美術(というより初期ルネッサンス絵画と言った方がいいかも)の、
一大傑作があるのです。それも現地にある通りの状態を再現したものなのです。
それは北イタリアのパードヴァという都市にある、スクロヴェーニ礼拝堂の壁画です。
13世紀後半から14世紀初頭にかけてイタリアで活躍した画家ジョット・ディ・ボンドー
ネ(先ほどのアッシジの聖フランチェスコの絵を描いた人)が1305年に制作したものだ
そうです。こんな感じで ↓ 展示されていました。
いや、これはスゴイです。ヴァティカンのシスティーナ礼拝堂に、ミケランジェロが
あのもの凄い壁画を描く200年以上も前に、こんな素晴らしい壁画・天井画が描かれて
いたとは・・・オッサンは学生時代の卒業旅行でこれを現地で見たのですが、やっぱり
薄暗くてあまり細部まではわからなかったのです。しかし、この陶板画のレプリカでは
色鮮やかなので、何が描かれているのかとても良く分かりました。
オリジナルの作品自体が多少色あせているのだと思いますが、キリストの生涯を左右
の壁面いっぱいに描いています。上の段から順番にストーリーが展開されています。
文字が読めない人たちでも、新約聖書のキリスト生涯の物語を理解できるようにしてい
るのですね。ヨハネの洗礼、最後の晩餐、磔刑、十字架から降ろされたキリスト・・・
この素晴らしい壁画を、ベンチに座ってゆっくりと鑑賞できるようになっています。
天井はアーチのようになっていて、星空?が描かれています。
よく見ると上の段は湾曲していますので、ここに絵を正確に描いていくのは大変だった
はずです。ジョットさんだけでなく、お弟子さんも総動員されたとは思いますが、とても
骨の折れる仕事だったでしょう。グッジョブです。
反対側には、幼子キリストを抱えてベツレヘムから脱出するヨゼフとマリアの夫妻、
ユダの接吻(裏切り行為)などのシーンが描かれていました。
振り返って礼拝堂入口の方の壁を見ると、最後の審判が描かれていました。
左側が天国、右側が地獄に落ちた方々ですね。信者の方々に「神を信じ、教会の教え
を守れば天国に行けるけど、そうじゃなかったら地獄行きですよ」と脅して?いたので
すよね・・・(そんな憎まれ口を言ってるとホンマに地獄落ちやで。by妻)
まぁ動機は不純でしたが、芸術としては素晴らしいです。よくぞこのような素晴らし
いものを世に遺してくれました、ジョット様。有難うございます。そしてそれを忠実に
再現して見せてくれた大塚国際美術館にも改めて感謝です。
(ま、そういう「締め方」が無難やな。by妻)
おっと、今回で中世編を終わらせるはずが、ちょっと厳しい状況となりました。
フランスの中世美術がまだ残ってます。次回はそれらをご紹介して中世編を締めたいと
思います。長くてスミマセン・・・












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