Bonne(ボンヌ)のブログ

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2025年8月:クロアチア・オーストリアの旅 ④ トロギールの世界遺産:聖ロヴロ大聖堂を見学・・・

Bonne

  夏休みのクロアチアの旅の続きです。

  アドリア海沿岸の観光都市スプリット近郊の、トロギールという街に来ています。

 この街は古代ギリシア時代に起源をもつらしく、古代ギリシア人が「リブルニア人」と

 呼んでいた先住民族(スプリットよりもやや北、ザダルの街を中心とするアドリア海岸

 沿いおよび島々に住んでいたらしい)と古代ギリシア人の勢力圏争いの最前線だったの

 かもしれません。

  古代ローマ時代以前のことはよくわかっていませんが、古代ギリシアの都市国家群が

 人口増加対策として海外への移民(というより定住するためなので植民か)を政策的に

 進めた紀元前7~8世紀には既にリブルニア人がアドリア海の北・中部を勢力圏として

 ある程度文化的な生活をしていた(都市のようなものもあった)らしいです。ギリシア

 人の記録ですので、彼らから見た視点でしかわからないのですが、ある程度は正しいと

 思われます。なんとアドリア海を渡ってイタリア半島にも彼らの植民地があったらしい

 のです。イタリア半島がまだローマによって統一される前のことです。

  しかしその後、南からはギリシア人、北からはケルト人がやってきてリブルニア人の

 勢力圏はアドリア海東海岸の中部地域に限定されてしまいました。ギリシア人がこの島

 (トロギール)に定住して街を造ったのはその頃(紀元前3世紀)らしいです。その名

 はトラグリオン。トロギールの歴史はそれから約2,300年に及ぶとのことです。凄いね。

  能書きはえぇから早う記事を進めんかい!(by妻)  


  まずはそのトロギールの誇る、世界遺産に指定された聖ロヴロ大聖堂を見学します。

 オッサンがここを訪れたくなったのは、入口の門に刻まれた有名なロマネスク様式の

 すばらしい彫刻作品をこの目で見たかったからなのです。

  その大聖堂は、北門から入って狭い路地を少し歩いたところにあります。イヴァン・

 パヴァオ・ドゥルギ広場という日本人には覚えられないヘンテコな名前の広場に面して

 います。この街の現在の姿は1420年からの支配者ヴェネツィア共和国時代のものが中心

 ですが、この広場の名前は独立後にスラヴ人によってつけられたものでしょう。

  時計塔や左側にある市庁舎は確かにヴェネツィア風です。聖ロヴロ教会へ入るためには

 市観光局で発行するチケットが必要とのことで、この時計塔の中にある観光窓口で入場券

 を購入しました。教会なのに、タダじゃないんだな・・・

 (そら世界遺産やからな。維持費がかかるから取れるところから取るもんや。by妻)

 

  広場に面した聖ロヴロ教会は街のシンボルで、三層の塔は街のどこからでも見えるの

 で、視界の効かない狭い路地をさまよっていても目印になって助かります。ちなみに、

 一番下の層はゴシック様式、真ん中はヴェネツィア・ゴシック様式、一番上の層は後期

 ルネッサンス様式となっていて、変化があります。数百年かけて建設されたためですね。 

     

  この小さな島トロギールは、本土から僅かですが水路を隔てて防御に優れていたため

 古代ローマ帝国が消滅してバルカン半島(ドナウ川沿いのイリリクムとアドリア海沿い

 のダルマチアの2つのローマ属州)が無秩序状態になった後、蛮族スラヴ人が侵入して

 暴虐の限りを尽くしたため(やっぱりね)、ダルマチア属州の州都サロナ(現在はスプ

 リットの近郊の街ソリン)の人々が、ここに逃げ込んできたらしいのです。(ちなみに

 もう一つの避難先が、この後で訪問するスプリットのディオクレティアヌス宮殿です。)

  トロギールにもともと住んでいた人も、サロナから避難してきた人もキリスト教徒で

 あり、安全なこのトロギールに司教座がおかれたわけですが、それにふさわしい立派な

 教会を安心して建設できるようになったのは13世紀になってからだということです。

 これはモンゴル帝国がロシアやバルカン半島に侵入し、スラブ系民族やマジャール系の

 民族がモンゴル人に痛めつけられて大人しくなったためと思われます。モンゴル人や、

 新顔のトルコ人の残虐さはハンガリー人やスラヴ系民族の比ではなく、当時の人たちに

 とっては「自分たちを酷い目にあわせていた野蛮な奴らが、もっと酷い奴らにやられる」

 というのは一種痛快ではあったでしょう。(要するに「ザマミロ」ってことやな。by妻)


  その時代の建築・造形美術はロマネスク様式だったのですが、まさにその傑作彫刻が

 この聖ロヴロ大聖堂には残っているのです。上の写真の鐘楼の下部分が入口なのですが

 入場券がないと、中には入ることができません。世界遺産となったロマネスクの彫刻を

 じっくり鑑賞するには入場券が必要です。(しつこい。)

  正面入口は一段高くなっていて、小さな階段を登ります。そして見えました! 

  もう、圧倒されました。何ですか、この素晴らしい浮彫彫刻は!

  この大聖堂を建設する際に、当時の著名な彫刻家ラドヴァンという方が弟子たちと

 ともにこの彫刻作品を作り上げたのだそうです。グッジョブです。建設当時から残って

 いるのはこの表門だけなのでしょうね・・・とにかく、せっかくなのでじっくり見学を

 させていただきます。・・・その前に記念撮影を忘れずに。😆(アホ)

  パンダ君もおります。(アホ²:アホの二乗)

  建築のことはよくわからないのですが、上部の彫刻はキリストの誕生からキリストの

 生涯を表したものだそうです。じっくり見ていると確かに聖書の有名なシーンがいくつ

 か表現されています。聖書を読めない民衆にも、理解できるようにとの施策ですね。 

  門の両脇は二重の彫刻群が配置されています。外側は聖人たちの像、内側は歳時記と

 いいますか一年の各月を表現した彫刻になっています。上部は一月、下部は二月の情景

 を刻んでいますが可愛らしいですね。残念ながら4月まで作成したところでラドヴァン

 さんが亡くなってしまったため、未完となっているそうです。もし全部完成していたら、

 きっと中世ロマネスク芸術の最高傑作のひとつとなったでしょう・・・

     

   そしてその下部分を支えるのは、これまたユニークな彫刻。異教徒のイスラム教徒

 (右)とユダヤ教徒(左)の姿です。キリスト教の優越を示そうとしているのですね。

 ちょっと子供じみていますが、当時の人たちは「大まじめ」だったのでしょう。

     

  さらに、一番外側にもユニークな彫刻があります。アダムとイヴ(左側がイヴ)が

 ライオンの上に乗っている彫刻です。ライオンはヴェネツィア共和国のシンボルですか

 ら、この部分は1440年のヴェネツィア支配後に付け足されたものでしょう。ラドヴァン

 さんの彫った精緻で躍動感のある芸術作品とは比べ物にならないのがわかりますね。

   

  こっちはアダム殿。ちゃんと葉っぱで隠していますから、敬虔なキリスト教徒が見て

 も安心です。(アホ) 

   

  

  少しですがヴィデオも撮影しておりましたので、ご紹介いたします。細部を見るには

 こちらのほうがいいかもしれません。

 

 2025年8月3日 トロギール旧市街の世界遺産 聖ロヴロ大聖堂


  横から見ると、こんな感じ ↓ です。細部まで細かく彫り込まれていますが、一部分は

 未完成であることがわかります。ラドヴァンさんの後、同じレベルの仕事をできる方が

 いなかったという事ではないかなと思います。

 (単にお金が足りなくなっただけなんちゃうか? by妻)

    

  このロマネスク様式の芸術作品は、後世に付け加えられたドーム型の廊下で守られて

 います。やはり雨ざらしではよくありませんからね・・・

    

  はい、オッサンはもうこれだけで十分満足してしまいましたが、次回は内部見学です。

  続きます・・・(今回もやたら時間がかかりそうやな・・・by妻)