2025年8月:クロアチア・オーストリアの旅 ⑥ ヴェネツィアの城塞・・・
世界遺産の街トロギールの続きです。
聖ロヴロ大聖堂を見学した後、再び狭い路地を通って今度は南門に向かいます。
南門を抜けると、急に視界が広がりました。
対岸はチオヴォ島というさらに大きな島です。橋を渡って行くことができます。
岸壁には観光用のボートやカタマランが停泊しています。海沿いは広いプロムナードに
なっていて、大勢の観光客が行きかっています。ちょっと天気が良くないのが残念。
海沿いの通りは「リヴァ」と呼ばれているようです。
2025年8月3日 トロギール旧市街の南門からリヴァ(海岸通り)へ
中世の街並みと、広いプロムナード、そして海を渡る爽やかな風。なかなかイイね。
ここをブラブラするのも楽しそうですが、滞在時間が限られているオッサンは目的の
観光名所に急ぎます。このリヴァをずっと歩いて行くと、島の突端にあるヴェネツィア
時代の城塞があるのです。あ、見えてきました。
うわ、これはゴッツイ建物ですね。軍事的な要塞のようです。
1420年からこの地を支配したヴェネツィア人が造ったもののようです。地中海東部の
海上貿易を牛耳るために、ヴェネツィア人はアドリア海東海岸に数珠つなぎに並ぶ島々
や沿岸の港町を次々に支配下に置き、「海の高速道路」を整備したのでした。ザダルも
シベニクもスプリットも、そしてこのトロギールもヴェネツィアの軍門に下りました。
そして彼らの船の寄港地となったのですね。(ちなみにヴェネツィア人は、ザダルの町
はザーラ、シベニクはセベーニコ、スプリットはスパーラトと呼んでいたそうです。)
さて、このゴッツイ「カメルレンゴの城塞」ですが、今ではトロギールの街と海を
見下ろす眺望スポットとなっています。そのため入場料5ユーロ(850円)が必要です。
今では廃墟となっていますが、観光スポットとして遊歩道や階段が整備されています。
中庭にはちょっとしたバーもありました。夜も営業するようです。ライトアップもする
のでしょうね・・・
2025年8月3日 トロギール旧市街 ヴェネツィア人が造ったカメルレンゴ城砦
この城壁はトロギールの街の中心部から離れた場所にあって孤立しています。島の外
から襲ってくる外敵から街を守るというよりも、島の住民から反乱を起こされた時に、
支配者のヴェネツィア人が立てこもる場所、としての役割があったそうです。さすがは
海の通商民族ヴェネツィア人です。常に最悪のケースを考慮に入れて対策を講じている
とは恐れ入りました。
(しかしヴェネツィア人もパンダがここに来るとは思っていなかったやろ。by妻)
現在のトロギール旧市街はヴェネツィア時代の建物が多く残っているのですが、それ
はその時代が最も繁栄したことの証です。なんだかんだ言っても、住民はヴェネツィア
人の合理的な考え方や経済重視の政策の恩恵を受けていたわけです。
そしてこの軍事要塞は、監視目的のため港や町全体を見渡せるようになっていました。
そのおかげで現代の我々観光客はすばらしい眺望を楽しめるわけです。
海沿いのプロムナードもよく見渡せます。遠くには聖ロヴロ教会の鐘楼が見えます。
絶景スポットでは記念撮影を忘れずに。😀
一番高い展望台には観光客がいっぱい。しかし東洋人は見かけませんでした。ここは
東洋人にはあまりメジャーな観光地ではないからかもしれません。
(まさかここにパンダ🐼が座るとはヴェネツィア人も思わんかったやろ。by妻)
少しですがヴィデオも撮影しております。
2025年8月3日 トロギールのカメルレンゴ城砦からの旧市街の眺め
いやぁ、この城塞からの眺めも素晴らしいです。ヴェネツィア人もグッジョブです。
しかし聖ロヴロ大聖堂で1時間弱、この城塞見学で30分を要したため、帰りのバスの
時間が迫ってきました。島の北側、本土側にあるバスターミナルまでは歩いて30分以上
かかります。(道に迷う無駄な時間も考えに入れとかんとアカンからな。by妻)
海沿いのリヴァでちょっと休憩する時間も、聖二コラ修道院や博物館を見学する時間
も、残念ながらなくなってしまいました。うーん、もっとトロギール観光の時間を取っ
ておけばよかったかな~ しかしこの日の宿泊先はスプリット旧市街。日が暮れる前に
チェックインしたかったので、やむなくトロギールの観光はここまでといたします。
次回はダルマチア地方随一の都市スプリットに参ります。
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