師走の京都 ⑥大徳寺の塔頭その⒈ 龍源院
今日は全国的に寒さが厳しく、関東地方でも雪がちらついていました。念のために、
ベランダのブーゲンビレアとハイビスカスの鉢を室内に避難させました。ハイビスカス
の葉っぱがしばらくすると元気になってきました。色も黄色くなりかかっていたのが、
黄緑色に戻ってきました。南国の植物には今日は寒くて大変だったんだね・・・
私は今日・明日は在宅勤務の予定。金曜日からもう5日間、晩御飯は自炊です。もう
嫌になってきますね、特に後片付けが。仕事をしながら、毎日食事の支度をされている
女性(男性もか?)には本当に頭が下がります。(私には頭を下げたことないな。by妻)
さて気晴らしに?京都の記事を続けます。
蹴上(けあげ)駅から地下鉄東西線で烏丸御池(からすまおいけ)へ、そして烏丸線
に乗り換えて北大路へ。北大路バスターミナルからバスで約5分、紫野にある臨済宗の
非常に規模の大きなお寺、大徳寺へ向かいます。
あ、そうそう忘れ物(帽子)はやはり南座に置き忘れていました。電話で確認したら
保管しているというので、帰りに取りに行く事にしました。
大徳寺前のバス停で降りると、すぐ近くに大徳寺の広い境内があります。大徳寺は、
臨済宗大徳寺派の総本山で、たくさんの塔頭(たっちゅう)を擁している大寺院です。
創建1315年という古い禅寺ですが、応仁の乱で荒廃した後、頓智で有名な一休禅師に
よって再興されたと言われます。ここで豊臣秀吉が織田信長の葬儀を執り行ったことや、
茶道家千利休にゆかりのお寺ということで、京都でも無視できない由緒あるお寺です。
しかし、金閣・銀閣、清水寺や龍安寺などに比べると、一般的な知名度がそれほど高く
ありません。大徳寺の中心となる国宝の方丈や、数多くある塔頭の大半が一般公開され
ていないことがその理由でしょう。
今回の私も、公開されているいくつかの塔頭を見学するのみです。
まずは、龍源院(りょうげんいん)を見学します。ここは通常公開されている4つの
塔頭のひとつで、独創的な庭園が魅力です。重要文化財となっています。
この表門も重要文化財で、四脚門(よつあしもん)という格式の高い様式です。
方丈も重要文化財となっています。そのうち室中(しっちゅう)と呼ばれる部屋には、
江戸時代初期の作という龍と波の襖絵が描かれています。こちら↓は迫力満点の龍の絵。
方丈の前には独創的な庭園のひとつ、一枝坦(いっしだん)があります。石庭の中央
に苔で丸く楕円形に象った亀島を配し、変化のある見ていて楽しいお庭です。これは、
あまり難解ではない気がして、好きなだなぁ。(単純やのう・・・by妻)
横から(方丈の縁側から)見ると、このような ↓ 感じです。日本庭園は、見る位置や
角度によって受ける印象が違うので面白いですね。
続いて、東滴壺(とうてきこ)という変わった名の小さな石庭です。
方丈と庫裏(くり)との間の狭小な空間につくられた壺石庭で、昭和35年(1960年)
作の現代壺庭の傑作といわれています。白砂敷きのなかに、5つの石が3対2の石組みに
分けて配されていると解説がありました。これも遊び心があって楽しいですね。
こちら ↓ が手前側から見た図。
石庭には、白黒のパンダがなんとなくマッチしますね。(アホウ!by妻)
反対側から見ると、こんな ↓ 感じになります。
奥側の二つの石の辺りをクローズアップしてみました。人がほぼいないので、記念
撮影を・・・(もうええ加減にしいや・・・by妻)
次は龍吟庭(りょうぎんてい)です。方丈の北側に広がる三尊石組からなる室町時代
の枯山水庭園で、中央の石組は須弥山を表し、一面の杉苔は洋々たる大海を表します。
・・・と、解説に書いてありました。(手抜きすんな。by妻)
初冬のこの時期は、ちょっと苔の青さが失われて枯草っぽくなってしまっていました。
最後は滹沱底(こだてい)。白砂の中に配置された2つの石が(右側も石なのか?)
阿吽の石と呼ばれているようです。
小さいながらも、なかなか見ごたえのある塔頭でした。写真撮影OKなのも有難い。
しかし、本当に観光客が少なかったです。大徳寺の塔頭を見に来る人は著名な寺院ほど
多くはないのでしょうが、やはりコロナの影響もあると思います。私が見学していた時
は、せいぜい5人くらいでした。静かにゆっくり見られるのは有難いですが・・・
続いて、この時期(12月の第二週)まで秋の特別公開を継続してくれている、有難い
お寺、興臨院に向かいます。ここも大徳寺の塔頭のひとつです。・・・続きます。
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