Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

1.17 阪神淡路大震災から26年目

   多くの方が記事にされていますが、今日は阪神淡路大震災の起きた日です。三連休
 の翌日の早朝、当時奈良県西部に住んでいた私と妻は驚いて飛び起きました。その瞬間、
 ついに東海大地震が起きたのか?と思いました。ふと横を見ると、力持ちの妻は箪笥を
 支えていました。(ボケっとしとらんで、手伝わんかい!by妻)
  揺れがしばらく続いたので、私は居間にある食器棚を押さえにいきました。相当長い
 時間がかかったように思います。我が家にはほとんど被害はなく、棚の上の物が少し落
 ちたくらいでしたが、久しぶりの大地震にビビりました。ちなみにうちの辺りは震度4。
 奈良県内の妻の実家と義姉の家も被害はなく無事でした。
  テレビを点けると、震源地がまだわからないながら、関西一円が震度6とか5とかの
 表示が出ています。東海地方は?と気になりましたが、NHK関西ローカルでは表示され
 ません。恐らく静岡県は壊滅しているのではないか?と思いました。恐る恐る6時過ぎ
 に叔母の家に電話すると、あっさり繋がりました。震度3程度で、ちょっと揺れた感じ
 とのこと。え?では震源はいったいどこ?


  まさか神戸とは・・・ 
  皆さんも御覧になったように、時間が経つにつれて テレビに目を覆うような惨状が
 映し出されました。なんや、これは・・・
  いつも6時過ぎに起きて7時頃の関西本線の電車に乗っていましたので、最初は鉄道
 の運転状況を確認しようと思っていましたが、それどころではありません。しかし恐る
 べしJR西日本、確かその日の10時くらいには関西本線の天王寺行き電車が動きだし、
 大阪環状線も動き出したと記憶しています。なぜなら、私が出勤できましたので。
 
  大阪市中央区にあるわが社の関西ビルは停電。私のオフィスは34階なので、非常階段
 を上がっていきました。高層ビルはこういう時はマイナスですわ。オフィスに着くと、
 あれ?いつもと変わりません。近くに住んでいる後輩が真っ先に駆け付け、片づけた後
 でした。聞くと、パソコンのディスプレイがいくつか落下し、机の上の書類は飛び散り、
 ロッカーの扉が開いていた、とのことです。


  私は当時、神戸市西区にあるお客様を担当していましたので、神戸の情報が気にりま
 した。なんとか神戸支社の方と連絡がつき、幸いにも西神中央駅付近のお客様は大丈夫
 だったようです。しかし・・・わが社の神戸支社はぺしゃんこになっていたようです。
 勤務中ならば犠牲者が出ていたような潰れ具合。朝早くだったのが不幸中の幸いでした。
  
  ほっとして帰宅した後、改めてテレビニュースを見たら・・・
  これは事実なのか? 直視できないような惨状・・・これが神戸なのか・・・
 
  この震災で被災された方々に、今日改めて思いを馳せました。大切な方を亡くされた
 方、何もかも失った方・・・さぞ辛かったでしょう。言葉がありません。
  しばらくたって(確か)芦屋、そして六甲道までJRが通じ、そこから先を歩いて神戸
 三宮まで向かいました。焼け焦げた住宅、がれきの山を見ながら歩き、心が痛みました。


  今はもう傷跡も見えない程に神戸の町も復活し、人々の生活はもとに戻っているよう
 に思えますが、こんな悲惨なことがあったということを忘れてはならないと思います。
 この16年後に東日本大震災が起きたことを思い起こされます・・・
   
  今日は鎮魂の思いを込めて・・・合掌。