Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

無題

  今日は我々日本人にとっては忘れられない日。
  多くの罪のない方々が、なんの予告も説明もなく、理不尽にも命を奪われた日。
 そしてこの日から、大切な人を失い、財産や故郷を失い、人生が狂ってしまった人たち
 の耐え難い悲しみと苦しみは、今なお続き、決して癒えることがない・・・ 
  「復興はまだ続いている」との天皇陛下のお言葉には、実に重みがありました。
 この悲惨な災害により亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、今なお苦しん
 でおられる方々に少しでも良いことがありますよう、願ってやみません。 
  
  一方、私個人の思いとしては、やはりもう一つのことに思いを巡らせる日となります。
  あのときは、まだ妻は生きていた・・・
 そして、そのわずか2年半後には妻がこの世に存在しないなどとは、その時は夢にも思
 わなかった、ということです。


  あの日、私は出張で山形県におりました。帰りの新幹線を待つ駅の待合室でぼーっと
 テレビを見ていると、突然緊急地震速報が流れました。「東北地方では強い地震に注意
 してください!」、え?ここ東北地方だよね・・・と思った瞬間に・・・
  
  その後、電車は当然動かず、出張難民となりました。でも山形県の自治体のご厚意で、
 市内の温泉旅館と市の避難所で2日間を過ごすことになりました。最初のうちは電気が
 通じずテレビが見られなかったので、沿岸地方の津波や、原発事故のリアル映像は見て
 いません。まさかあんな悲惨なことが起きているとは、しばらくは知りませんでした。
  
  関東地方で混乱が生じていたことも知りませんでした。自宅や妻の携帯に電話をして
 もなかなかつながらず、ようやく通じた時には思わず妻に文句を言ってしまいました。
 私が「もう、こっちはえらい目にあってるのに、どこで何してたんだよ?」と言うと、    
 妻は「なに言うてんのよ。こっちも停電で大変だったんやで。まだ危ないからって隣の
 奥さんとちょっと公民館まで避難してたんやわ」、と言い返されました。スミマセン、
 首都圏でもパニック状態だったとは知りませんでした・・・
  妻が言うには、例のパンダの縫いぐるみを洗濯機で洗ってバスタオルの上で乾かして
 いた時にグラグラッときたそうです。幸いにも、我が家では被害・物損は皆無でしたが、
 阪神大震災以来ですので妻はかなりコワかったようです。ちなみに一時避難時にパンダ
 を持って行ったのかどうかは訊き忘れました(アホ)。もう永遠の謎やろ?(by妻)。
 「旦那が東北に出張に行っているっちゅうのに、心配じゃなかったんかい!」
 「まぁ山形だって聞いていたし、あんたなら何とかするんやろうと・・・」
 あぁそうですかい。まぁ確かになんとか帰ってきましたけどね。見ず知らずの出張難民
 4人でお金を出し合って、タクシーで新潟まで出て、新潟新幹線を使って3日目の夜に
 帰宅できました。 
  
  震災から1年もたたないうちに、妻の病気が発覚しました。その時には、もうかなり
 厳しい状態でした。妻と私にとって、震災は苦難の道のり、取り返しのつかない事態へ
 の警鐘だったように思えてなりません。もしあの頃に気づいていれば・・・
  考えても仕方のないことを、また思い出します。たぶん私が死ぬまで毎年ね・・・  
 
  朝、出勤前にベランダに出ると、スイセンの花がようやく咲き始めました。
  3.11に合わせて咲いてくれたみたいですね。

     

  
  今日は金麦で静かに黙禱・・・(それでも酒を飲むんやな・・・by妻)