Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

2015GW フランス・ドイツの旅 ⑤印象派絵画の殿堂 その1

  パリ中心部にあるワインショップ・ラヴィーニャを出て、マドレーヌ広場を通り抜け
 コンコルド広場まで歩きます。ここは本当に歴史的パリの中心部で、周囲には見どころ
 がいっぱいです。すぐ近くにはテュイルリー庭園があり、その中にはモネの睡蓮の連作
 で有名なオランジュリー美術館もあります。モネの家を見てきた後なので、ここで彼が
 晩年に描いた睡蓮の絵を見るのも一興ですが、今回はセーヌ川を渡って対岸の美術館に
 向かいます。そうです、印象派絵画の殿堂として名高いオルセー美術館です。
  ここは昔、鉄道のオルセー駅だった建物を改築して美術館にしたものです。そのため
 天井は高くて構内は広く、かなりのお客さんがやってきてもあまり混雑している感じが
 しません。ルーヴル美術館よりも圧迫感がなく、ゆっくりと名画が鑑賞できます。
 

     

  ここは妻が行きたがったところですが、生前に連れていくことができませんでした。 
 私はちょっと印象派絵画を舐めていまして、海外に行く機会があるとルネッサンス絵画
 やフランドル絵画の方を好んで観に行きました。しかし、妻は古臭い(失礼)ルネッサ
 ンス絵画や辛気臭い(失礼)オランダ絵画よりも、圧倒的に印象派絵画の方を好んでい
 ました。いまさら遅いけど、妻の位牌と写真を携えてようやく見学にやって参りました。
 (ホンマにもっと早うに連れてきてほしかったわ~by妻)


  印象派の絵画は、プレ時代とポスト時代を含めても概ね19世紀中盤から20世紀初頭迄
 の100年足らずの間ですから、堅実に時代の順番通りに見るのもいいですが、自分の好み
 の画家を中心に鑑賞するというスタイルでもいいと思います。妻も、自分の好きなよう
 に見て廻るのが好きでしたので、今回はそのようにしてみました。
  ということで、まずはいきなり印象派のど真ん中、ピエール=オーギュスト・ルノワ
 ールさんと、ジャン=クロード・モネさん、いわば東西横綱の作品から見ていきます。
    
  トップバッターは、日本でも人気のルノワールさん。喫茶店の名前にもなるくらいに
 ポピュラーですよね。ふくよかで暖色系の色遣いが特徴で、その独特の画風は印象派の
 画家たちのなかでも印象的です。
  最初に見た絵はこの絵 ↓ 、有名な「ピアノを弾く少女たち(1892年)」です。当時の 
 デジカメの精度と私の腕が悪くてだいぶピンボケでスミマセン。


   

  中産階級の娘さんたちが、たどたどしく?ピアノの練習をしている微笑ましい情景を  
 描いています。絵が売れ出してやや経済的にゆとりが出てきた頃の作品のためか、なん
 となく余裕みたいなものを感じますね。切迫感がありません。優雅で心地よい雰囲気の
 絵ですが、やはり色遣いや、ややぼかしたような描き方が昔の絵とは違いますね。
 あるがまま(具体)ではなく、心が捉えた印象を絵にしているという印象派の絵画です。
  しかしどうでもいいけど、この構図の絵がかなりありますよね?ルノワールさん。
 どうすれば売れるかがわかると金儲けに走るきらいがありますが、昔売れていなかった
 時代は苦労していましたから、仕方ないでしょう。(大きなお世話やで。by妻)


  続いて、これまた有名な作品「ぶらんこ(1876年)」です。これはまだ売れない時代、
 権威主義的なサロンから排除されて悶々としていた頃の作品ですね。この頃の絵の方が
 瑞々しくて、生き生きとしている感じがします。帽子を被った若い男性が、ぶらんこに
 乗っている若い女性にプロポーズをしているの図みたいな感じですが、はにかんだよう
 な女性の表情、木立の間から覗いている髭面のオッサンがなんともいえません。そして
 この情景を包み込むような柔らかで暖かな日差しを感じさせる、ぼんやりとした色遣い
 は、これぞ印象派と言う感じですね。

    

  解説によれば、ぶらんこに乗っている女性のモデルはルノワールのアトリエの近くに
 住んでいた女性、ジャンヌ嬢だそうです。彼女は、同時期に描かれた『ムーラン・ド・
 ラ・ギャレットの舞踏会』でも登場しており、道でルノワールにスカウトされてモデル
 になったということです。へえ、やるねぇルノワールさん。彼女のドレスは、腰の部分
 にボリュームをもたせた「バスル・スタイル」と呼ばれ、1870年代に大流行したものだ
 そうです。そういう意味では時代の鏡ともいうべき風俗画ともいえるかな。
  あ、そうだ。オルセーにあるルノワールの代表作「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの
 舞踏会」の絵が見つかりませんでした。オルセーは収蔵絵画が多いので全部は展示でき
 ないため、定期的に展示絵画を入れ替えているといいますから、たまたま運がなかった
、のかもしれません。(でも翌年日本で開催されたルノワール展で見ることができました。
 長蛇の列をかき分けて・・・(笑))


  続いて早くも真打登場。「ミスター印象派」(何じゃそら?by妻)の座をルノワール
 と争う、ジャン=クロード・モネさんです。
  まずはこの作品、「サン=ラザール駅(1877年)」です。多感な印象派の画家たちが
 生まれてから青年時代の頃、パリでは市街地の再整備計画があって、近代的な建造物や
 蒸気機関車の走る鉄道の駅などが次々と建造されました。感受性の強い彼らは、時代の
 最先端を行く技術にも敏感で、それによって変わってゆく社会の姿をキャンバスに描き
 出しました。

  蒸気機関車の吐く白煙と熱気によって、靄(もや)のかかったような駅構内の様子を 
 実に巧みに表現していますね。蒸気機関車などの対象物はぼんやりとしているようです 
 が、実は細部まで緻密に設計されているようです。遠目でうっすらと見ていると、確か
 にこんな感じがするかもなぁ・・・という気にさせるほど納得性の高い絵だと思います。
  そういえばモネさんの晩年の家があるジヴェルニは、このサン=ラザール駅から出発 
 する電車に乗っていくのでした。モネさんが馴染みの駅だったのでしょうね。 


  続いて、「ルーアン大聖堂・曇天(1892年)」です。
  当時ジヴェルニーに住んでいたモネは、1892年と1893年にノルマンディー地方のルー 
 アンに取材旅行に出かけ、有名な大聖堂の西側正面の建物にイーゼルを構え、わずかに
 異なる3つの場所から、連作(30のバージョン)を描いたということです。
  なんでそんなことを?決して金儲けのためではありません。モネは刻々と移り変わる
 陽の光が大聖堂に反射するさまを観察し、そのわずかな違いを表現しようとしたのだと 
 言われています。そうか、モネさんは実に探求心が強い方だったのですね。そのお陰で
 同じ題材でのバリエーションが増え、結果的に彼の作品数が多くなったという訳です。
  しかし一枚の絵画として見たとしても、朝靄のベールを被ったような?大聖堂の神々
 しい姿はとても印象的です。

        


  さらにモネさんの絵を続けます。次は、有名な「パリ祭」を描いた絵です。ネットで
 タイトルを調べると「モントルギュイユ街、1878年6月30日の祝祭(1878年)」とあり
 ます。えぇ? パリ祭って7月14日じゃぁなかったっけ?
  解説によりますと、パリ祭は現在では7月14日に設けられていますが、公式決定として
 初めて開かれたのが、この絵のタイトルにもなっている1878年6月30日なのです。
  1878年は、5月20日から11月10日までパリ万国博覧会が開催されていて、この祝祭は
 万国博覧会を機に組織された祭典でした。その後は、1880年に7月14日が国民の祝日と
 して決定され、今に至るのだそうです。   
  そうか、パリ万博の年が最初だったのですね。そういえばこの万博には、明治維新後
 間もない日本も参加しており、浮世絵などの芸術を公式に初めてヨーロッパ、いや世界
 に公開したのでした。そしてそれを見学した若き芸術家たち(特にモネやゴッホ)は、
 初めて見る日本の芸術に衝撃を受け、少なからぬ影響を受けたといいます。残念ながら
 この時には日本に関わるような作品の展示はありませんでしたが、なんだか日本人とし
 ては誇らしい気分になりますね。(どうでもいいけど、絵の紹介はどしたんや。by妻)
  は、スミマセン。この絵はそのパリ祭の祝祭ムード満点のめでたい作品です。やや上
 からの視線で遠くまで見通す構図の中を、三色旗が揺れはためき、その下では行き交う
 人々が楽しそうにお祭りを楽しんでいるのが描かれています。これも遠目からうっすら
 と眺めると、リアルな感じがしてくるのが不思議です。  

      


  まだまだ行きます。オルセーにはモネの絵がかなりたくさん所蔵されていますね。
  次はまだ若い頃の作品、「庭園の女たち(1866年)」です。先輩マネさんの絵画に似ていますが、この絵は決してマネさんの真似ではありません。
 (オッサンギャグというより、レベル的には小学生ギャグやな・・・by妻) 

    

  マネさんの絵は、日常世界に裸婦を登場させたことで一大スキャンダルになりました
 が、優等生モネさんはそんな過激なマネはしません(しつこいな、オッサン。by妻)。  
 当時流行したという「着飾った屋外ピクニック」の様子ですが、この頃はまだ写実的な
 要素を残しつつも、新しい印象派的な雰囲気を醸し出しています。優雅な雰囲気のなか
 にも、挑戦的な試みがなされていたのですね。
    
  さて、そろそろモネさんの絵も最後にしておきましょう。モネが最後までこだわって
 描き続けた睡蓮の連作。オルセーにも何作かあるようですが、今回見たのはこれ ↓ です。
 「睡蓮の池、バラ色のハーモニー(1900年)」です。これは比較的初期の作品です。

  あぁ、この日の午前中に見てきたばかりのジヴェルニのモネの家にあった睡蓮の池、
 そして日本風の太鼓橋。夏の終わりから秋にかけての風景でしょうか? まだこの頃
 の作品は「形が判別できる」ので、見やすいですね。
  日本なら見るまでに長蛇の列で、押し合いへし合いしながら見ることになるだろう
 と思いますが、ここオルセーではじっくりと時間をかけて鑑賞することができます。
  モネさんは印象派の画家の中でもとりわけ長寿に恵まれましたので作品数も多く、
 美術館のアイテムには欠かせない人気の存在ですね。実物の絵を見ますと、その人気が
 わかりますよ。私も次はオランジェリーに絶対に行きたい、と思いましたもん。


  あ、この二人の作品を鑑賞するだけで30分近くかかりました。次の予定がありますの
 で、オルセー滞在は2時間しかないのです。先を急がなければ・・・
 (またしてもバタバタ貧乏やんな。by妻)