Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

2015年GW フランス・ドイツの旅 ㉕ ブルゴーニュとお別れ

  シャンボル村からルート・デ・グラン・クリュ(特級畑街道)を逆戻りして、モレ・
 サン=ドニ村に戻りました。クロ・ド・タールのお屋敷から、今度は逆に北の方向に
 参ります。(オイ、まだ行くんかい?帰るんじゃなかったんかい?by妻)
  もう一回モレ・サン=ドニ村の地図を掲載します。

   村の真ん中を通る道(ルート・デ・グラン・クリュ)の西側(上側)の、平坦な
  部分から緩やかな斜面に変わっていくところに赤紫色の特級畑(グラン・クリュ)
  の帯が続きます。モレの村の最南端の特級畑がクロ・ド・タールです。さらにその
  右手(北側)にも、クロ・デ・ランブレ、クロ・サン=ドニ、クロ・ド・ラ・ロシュ
  と3つのグラン・クリュが続きます。
   クロ・ド・タールの高い壁のあるお屋敷の北側にある道を通って、斜面の上の方に 
  向かいます。ここは左側にクロ・ド・タール、右側にクロ・デ・ランブレの畑が見え
  る絶好のスポットです。(クロ・デ・ランブレは、昨晩の夕食で開けたワインです。)


   こちら ↓ はクロ・ド・タールの畑です。雨であぜ道?がぬかるんでいました。
  あれ?この区画は斜面と並行に植えてあるんですね。

  
  クロ・デ・ランブレの畑の前には、大きな看板がありました。宣伝しないといけない

 くらい知名度は低いグラン・クリュですからね。

  そうそう、「クロ」っていうのは「石垣の囲い」を意味しています。「クロ・✕✕✕」
 という名前の畑は、間違いなく石垣で囲われています。ここもそうですね。
 



 
  こちら ↓ はクロ・デ・ランブレの北側にあるクロ・サン=ドニの畑です。そうです、
 モレの村は、この畑の名前を借りて「モレ・サン=ドニ村」となりました。緩やかに
 傾斜しているのがわかりますね。ここは土が少し白っぽい茶色のように見えます。


  クロ・デ・ランブレとクロ・サン=ドニの間の道を登っていくと、小さな集落があり
 ます。もう背後は森になっている辺りに、ちょっと大きなお屋敷が見えました。たぶん
 この村でも有名な、ドメーヌ・ポンソさんのお屋敷ではないかと思います。
  もう時間がなくなってきたのでここで引き返し、オーベルジュ・カステル・ド・トレ
 ・ジラールまで急いで戻ります。午前10時半にタクシーを頼んでありますので。

  約2時間、モレとシャンボルの村にある銘醸畑を見学しながら散策しました。もう雨
 は上がって来たようです。
  一晩お世話になったオーベルジュをチェック・アウトし、再びディジョン駅に向かい
 ます。ブルゴーニュの葡萄畑ともこれでお別れです。名残惜しいなぁ・・・
  オーベルジュのレセプション前のオープン・スペースはこんな感じでした。革張りの
 ソファと木の切り株を使ったテーブル、大きな暖炉があって、いい雰囲気でした。


  さて、長かったブルゴーニュ編はこれで終了です。(ようやくかい・・・by妻)
  タクシーでディジョン駅に11:00頃に着き、駅構内のカフェで早めの昼食(クロック・ 
 ムッシュだから朝食みたいだったけど)を取り、11:53発のT.G.V列車に乗り込みます。
 パリからディジョンを経て、スイスのツューリッヒまで行く国際特急列車です。この頃
 ちょうど、T.G.Vの高速新線がディジョン郊外からブザンソン、ベルフォールを通って
 スイス国境近くのミュルーズまで開通しましたので、このルートを通るT.G.Vが増えて
 大変便利になりました。(1回しか利用していないのに偉そうに言うな。by妻)
  しかし行先はスイスではありません。(そういやスイスってまともに行ったことが
 ないですね・・・登山電車が楽しそうだし高山植物も見てみたいな・・・)
  
  T.G.Vの車内は明るく、窓も大きく取られており眺めは良いです。高速新線を通るの
 で、街はほとんど見えず、畑と丘陵が断続的に車窓に現れます。

  この近くに古代ローマ時代からの歴史ある町ブザンソン(ローマ時代はベゾンティオ
 と呼ばれていました)があります。かつて共和制ローマ時代末期の名将ユリウス・カエ
 サル(ジュリアス・シーザー:実質的なローマ帝国の創始者)が、イタリア防衛のため
 に当時フランスに住んでいたガリア人(ケルト人)を征服していった時、蛇行する川に
 囲まれた要害の地にあったブザンソンも戦場になったといわれています。その後ルイ14
 世の時代に、名高い軍事建築家ヴォーヴァンがこの町に頑丈で有名な城砦を築きました。
 町はその頃(17世紀後半から18世紀)の建物が多いそうで、美しい古都という雰囲気の
 ようです。今では世界的に有名な国際指揮者コンクールも開かれる文化都市ですね。
 今回は訪問できませんでしたが、いつか訪れてみたいです。
  T.G.Vは無粋にもブザンソンの街には近寄らず、郊外をあっさりと通過していきます。

  車窓には黄色い菜の花(菜種油を取る畑)?が見えます。平日のお昼の列車なので、
 車内はガラガラでした。誰も来ないので、パンダ君も座席に座っています。(アホ)
 ちなみにフランス人の車掌はまともに検札なんてしませんね。ドイツの車掌とはえらい
 違いやで・・・国民性かな。


  ディジョンを11:53に出発したT.G.V列車は13:06に最初の停車駅ミュルーズに到着。
 私はここで下車します。本当は、あと2時間余裕があれば、ミュルーズにあるフランス
 国鉄の鉄道博物館を見学したかったのですが(やっぱり電車小僧か・・・by妻)、今回
 は断念。そうですね、ブルゴーニュの畑見学をせず、朝一番でミュルーズに向かえば、
 その時間を確保できましたが、オッサンはブルゴーニュの畑めぐりを優先しました。


  ミュルーズからは在来線の特急列車ヴォーヴァン号に乗り換えて、北へ向かいます。
 もうご想像がつきますよね。ドイツとの国境近くのアルザス地方を観光します。
 (列車の名前は先ほどご紹介したブザンソンの城砦を造った建築家のヴォーヴァンの
 名前を取っています。ヨーロッパの優等列車には偉人の名前が付けられることがよく
 ありますね。マリア・テレジアとか、ファン・べートーヴェンとか、レンブラントだ
 とか・・・どうでもいいか、こんな話。)
 

  ちょっとゴッツイ顔の電気機関車にけん引された客車がやってきました。
  13:41ミュルーズ駅発の特急ヴォーヴァン号です。スイスのツューリッヒからアルザス
 地方を抜けてルクセンブルクを経由し、ベルギーのブリュッセルまで行く国際特急です。
  いざ、出発!(続く・・・か。by妻)