Bonne(ボンヌ)のブログ

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2021年GW 東北の旅(3泊4日)➂毛越寺をもう一丁

  岩手・平泉の毛越寺の記事を続けます。
 極楽浄土をイメージして造園されたというすばらしい庭園をしばし鑑賞しました。
 しかし、約800年という長い月日を経て、現在も残っているのはこの大泉が池の景観
 のみ。木造建築なので仕方がないのですが、戦乱や火災によって当時の仏殿や奥州藤原
 氏の住まいだった建物は残っていません。


  藤原氏が栄華を誇った当時は、このアングル ↓ で、池の向こうに立派なお堂が見え、
 池の上に橋が渡されて対岸と結ばれ、渡り廊下で仏殿やお屋敷に繋がっていたと思われ
 ます。質素ながらも、最先端の技術を駆使して周囲の美しい自然と調和した、まさしく
 極楽浄土かくやと思わせる、素晴らしい景観だったのではないかと思います。

 
  平安時代末期の最盛期の毛越寺の想像図が、公式HPに載っていました。
 なかなか風流ですね。源義経もここに招待されたのでしょうか?


  さて、この池の周りには後世になって再建され、今でも残るお堂もあります。
 大泉が池の端、花菖蒲園を挟んだところに「開山堂」があります。(ワサオ登場)
 ここは毛越寺を開山したという慈覚大師をまつるお堂です。近年再建されたようです。

  説明は手抜きで・・・(こりゃ楽やのう。これからは全部こうしたらええんや。by妻)

   


  ここから順路に沿って再び池の周りの遊歩道を巡ります。池の対岸には、平安時代の
 最盛期には存在した嘉祥寺や講堂、金堂といったかつての毛越寺の中心となったお堂の
 遺構が残されています。上の建物は全て焼失しましたが、石で出来た基礎部分は残り、
 それによって平安時代のお寺建築の伽藍配置がよくわかるので、貴重な遺跡だそうです。


  こちらは嘉祥寺の遺構です。奥州藤原家三代目の秀衡公が完成させ、現在本堂にある
 薬師如来を本尊として祀っていたそうです。ご本尊が無事でよかった・・・

  
  こちらは講堂の遺構です。奥州藤原氏滅亡の混乱期には残っていたのに、16世紀の
 火災で焼失したそうです。返す返すも残念です。

  
  もう一つの伽藍、金堂の遺構です。なんだか寂しいですね。

     


  金堂の先に行くと、大泉が池に注ぎ込む遣水(やりみず)がありました。  

  なんとものどかで風流な水の流れですね。往時にはここで「曲水の宴」が開かれて、
 この遣水の上に盃を浮かべ、その流れるうちに和歌を詠むという風流な平安貴族の遊び
 が行われたそうです。うーん、そんな呑気な事をしている場合かと言いたくなりますが、
 奥州藤原氏の100年の栄華の最中には、「我が世の春」だったのでしょうね。
  川底には玉砂利が敷き詰められているなど、かなり凝った造りをしているようです。
  
  今でも毎年初夏に「曲水の宴」が当時の衣装を着た人たちにより催されるそうです。
 当然ながら今年はコロナのために中止です。

  
  遣水の細い流れを渡った先には、18世紀に再建された常行堂(じょうぎょうどう)が
 あります。宝冠阿弥陀如来を本尊として祀っているそうです。


  これにて毛越寺の浄土庭園の見学は一通り終了です。大泉が池をぐるっと一周して
 出口に向かいます。この散歩も気持ちが良かったです。

  モミジの新緑が目に鮮やかでした。

  出発点の築山のある場所まで戻ってきました。地震発生から約1時間。お昼前ですが
 訪問客はごく僅かで、静けさが支配しています。 


  さぁこの後は、平泉観光のメインイベント、超有名な中尊寺を見学に参ります。
  ここから「くるりんバス」という休日限定の周遊マイクロバスに乗車します。
 またまた続きます!