Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

大概は痴話喧嘩・・・オペラのこと。

 皆さま、こんばんは。
今日は思いっきり鼻につく(+辛気臭い)記事になりそうなので、そのような記事に虫唾が走る方はぜひスルーしてください。(そんなこと言うくらいなら書くなよ・・・)


 私、オペラとか歌舞伎が大好きでした。今でも、好きと言えば好きですが、妻の死後、ちょっとメンタル的に受け入れられる範囲が狭くなりました。
 そら当然ですわ。自分とは関係ない世界と思って娯楽として見ていたものが、自分の身に(違う、妻の身に)起こってしまったわけですから、見方も変わりますって。


 椿姫(ラ・トラヴィアータ)、ラ・ボエーム・・・そう、病気で妻が死ぬオペラ。もう最後まで見ることはありません。だって、妻を助けられなかった=間接的に私が妻を殺したという思いがどこまでも追いかけてくるのですから・・・
 発狂する前に止めるしかないので、最後まで見ないことにしています。つまり、正視できるのはせいぜい二幕まで。ここまでは幸せだったよね・・・と自分に言い聞かせる。


 さらにダメなのは、直接妻(のような女性)を殺すストーリー。オテロ、カルメン、道化師・・・結構あるな。これらも途中までしか見られません。そういえば、妻は「オテロは嫌だ」と言っていました。その時は、妻が夫に殺されるのが見ていられないということかと思いましたが、ひょっとして自分が間接的または心情的に、そのような目に遭うことを予感していたのかもしれません・・(ちなみにオテロは、シェイクスピアの「オセロー」が原作です。)


 そしてさらに今日。コロナのお蔭で来日中止となって、チケットが紙くずになってしまったイタリア・シチリアのパレルモ歌劇場の「ノルマ」。悔しいから、前に録画したやつでも見るかと思って、見始めたらあかん・・・
 ストーリーは痴話喧嘩。古代ギリシャ・ローマから歌舞伎の世話事に至るまで、古今東西、痴話喧嘩ほど、芸術?の題材にもってこいのテーマはありませんね。そして痴話喧嘩が収まるときは大概、時既に遅し。しかも周りを巻き込んでいるから収まり方も半端なく気まずい結末。ま、どっちか死ぬ(残された方は後悔に身を苛まれる)か、両方死ぬかしか、解決策はありません。

 で、営業マンには名前を聞くだけでテンションが下がる「ノルマ」も、そんな話。ギリシャ時代の「メデア」は、痴話喧嘩の挙句、腹いせに自分を捨てた男との間にできた子供を道連れにあてこすり自殺?しますが、ローマ時代のノルマになると、子供を助けて相手を道連れにするというくらいの人間性の進歩はありました・・・

 でも、考えてみるとオペラも歌舞伎も、このジャンルが多いような気がしました。皆、
そういうことに関心があるわけね。で、対岸の火事のように面白おかしく、せいぜいまぁ可哀そうみたいな感じで見ているわけです。かつての自分のように。


 私は痴話喧嘩オペラの(男の方の)主人公のようなことができる人間ではありませんでしたが、妻が本当につらいときに寄り添えていたかというと、NOでした。その点では、同罪です。心が他に行っていました。
 「私よりワインのほうが大事なの?」「私が死んだらどうするの?っていう質問の答えが、『そりゃ困る』かよ!」・・・と妻になじられた言葉がリフレインする・・・
 自分としては、妻に異常を悟られたくなくて、いつも通りにしなきゃと思っていたのですが、妻の(心の)希望は違いました。なんでこんな目にあっているのに私に優しくしてくれないの・・・でした。
 e tardi ! (遅いわ!)・・・だよね・・・ということで、〆は椿姫のセリフでした。


 今日は心が泣く日でした。でも、だからこそ、明日は今日よりいい日だ!