Bonne(ボンヌ)のブログ

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2021年GW 東北の旅(3泊4日)⑤中尊寺 ~その1~

  ようやく奥州平泉観光のメインスポットである中尊寺に参ります。
 中尊寺の開山は、毛越寺と同じ頃(850年)に比叡山延暦寺(天台宗)の慈覚大師円仁
 によるとされていますが、最も栄えたのは奥州藤原氏の初代清衡公が堂塔伽藍を建立し
 た12世紀前半頃と言われています。
  藤原清衡は奥州のライバル豪族たちを二つの戦争(前九年の役、後三年の役)で制し、
 東北地方一帯に覇権を樹立しました。いまだ京都の朝廷の支配が及ばないため、なかば
 独立国のように栄えたという事です。皮肉なことに、当時京都の朝廷支配下にある地域
 が戦乱のため阿鼻叫喚の地獄絵図を呈していた頃に、奥州藤原氏の支配する東北地方は
 約100年にわたり大きな戦乱もなく、黄金時代を迎えていました。
 (古代ローマの五賢帝時代みたいやな。いわゆる「グラン・シエクル(偉大な世紀)」)
  その当時の建物は残っていませんが、有名な金色堂の所蔵品など国宝級の寺宝がめじ
 ろ押しです。ここを見ずして平泉を見学したことにはならないと言ってもいいでしょう。 


  しかし中尊寺の主要な見どころは平地からかなり長い坂道を登った山腹にあります。  
 参道の入口は穏やかな感じですが・・・

    

  途中から厳しい坂道になります。杉並木の中を10分くらい歩き(登り)ます。
 その名も月見坂というそうです。ちょっとロマンティックなネーミングなのですが、もう
 少し行くと、ほぼ山道(笑)。キツイ・・・

    


  鮮やかな新緑がまぶしいです。しかしゴールデンウィークなのに観光客が少ないです。
 あ、さっきの地震のせいで、新幹線が止まってしまったので、ここまでたどり着けない
 観光客も多かったのではないかと思います。(オッサンは悪運が強いのう。by妻)
  この月見坂は多少現代になって整備されてはいますが、平安時代から存在する参道だ
 そうです。源義経も松尾芭蕉も、おそらくここを歩いたのでしょう。

 


  しばらく歩くと最初のお堂が見えてきました。その名も「弁慶堂」です。江戸時代の
 末期に再建されたものですが、弁慶と義経の像が祀られているため人気があります。 


  ちょっとわざとらしい人形みたいですが、左側の大男が弁慶で、中央の着座の武士が
 義経さんです。お参りする方が数名いました。

 
 弁慶堂の全景です。つくりは武張っていますが、意外に小ぢんまりとしていました。

    

 このお堂の近くには展望台があり、眼下に北上川と平泉の平野が見渡せます。
 あ、写真を撮り忘れた・・・(アホ)


  参道入口から500メートルほど行くと、中尊寺の本堂にたどり着きます。
 表門の脇に遅咲きのボタンサクラが咲いていました。ちょっと曇って雨が降りそう。

  中尊寺の本堂は明治時代に再建された新しい建物です。入り母屋の大屋根が凄いです。

  なかなか堂々として威厳のあるお堂ですね。歴史的建造物ではありませんが存在感が
 あります。まずはこちらにお参りをしました。

  本堂に祀られたご本尊もまだ新しいもののようです。本堂はあっけない感じです。
 ここはまぁ前座に過ぎませんね。

     


  続いて参道から少し脇道に入ると峯薬師堂というお堂がありました。
  ここは眼にご利益があるそうで、目の悪いオッサンはそそくさとお参りしました。
 (悪いのは眼だけやないと思うけどな。by妻。何をぶつぶつ言っとるんじゃ!by私。)

    

  中には薬師如来様が鎮座おわします。

   

  
  ここも見学者は数名のみ。本当にいいのかな・・・こんなに空いていて。
  さて、ここから少し歩くと中尊寺の最大の見どころである金色堂(こんじきどう)
 に到着します。ここは入場料金が必要で、さすがにここには観光客の姿がちらほら。


  金色堂は「覆い堂」というお堂の中にすっぽり収容される形で、厳重に保護されて
 います。当然、写真撮影は禁止です。

  またいいところで「続く」やろ?(by妻)
  はい、スミマセン。続きはまた明日・・・