Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

2021年GW 東北の旅(3泊4日)⑦ 中尊寺 ~その3~

  中尊寺の宝物館である讃衡蔵の見学を続けます。
  金色堂そのものが国宝ではありますが、そこに飾られた工芸品・装飾品も多くが国宝 
 に指定されています。まずはこれ。30センチくらいの大きさの仏具装飾品です。

  「金銅(こんどう)迦陵頻伽文(かりょうびんがもん)華鬘(けまん)」というらし
 いですが、読み方も意味もよくわからなくて難しいですね。華鬘とは仏具の一種で飾り
 付けですね。金色堂の長押(なげし)に吊るされて飾られていたものです。
  今度は「長押」ですか? 日本建築の柱と柱をつなぐ部分の建材を指すようですが、
 今でもこういうところにハンガーをかけたりしますよね。

       


  この華鬘は中尊寺金堂に6つ現存しているそうです。透かし彫りの唐草文様の中央に
 紐のような模様を配し、その両側に向かい合う「迦陵頻伽(かりょうびんが)」を配置
 しています。迦陵頻伽とは、上半身が人で下半身が鳥という姿の、仏教における想像上
 の生物で、極楽浄土に住むと言われています。金色堂を作らせた奥州藤原氏の開祖とも
 いうべき清衡さんの、極楽浄土への憧れがわかりますね。
  迦陵頻伽のアップはこんな感じ ↓ です。確かに鳥のような格好ですね。金箔が僅かに
 残っていますね。これも十二世紀、金色堂と同じころの作と思われます。

       


  続いてもう一つ仏具の飾りの国宝を見学します。金銅幡頭(こんどうばんとう)と
 呼ばれるものです。これも銅製の下地に金箔を施しているようです。これも十二世紀の 
 作品。「幡」とは仏堂内の柱などに懸ける旗のことで、その頭部分にこういう飾りつけ
 をしていたようです。唐草文様の中央に仏様へのお供え?を捧げ持つ天女が象られてい
 ます。四隅の丸い花型の穴には、「玉(ぎょく)」がはめ込まれていたらしいです。
 とても高価な仏具だったのですね。この仏具の高さは40cmくらい。 

  


  このほか、適当な写真がありませんのでまとめて表示しますが、さまざまな工芸品
 が展示されていました。画像が小さくて素晴らしさがよくわからないのが残念ですが、
 これらはすべて国宝です。スゲェ。

  左にあるのは螺鈿平塵案(らでんへいじんあん)というもので、仏前に置いて供え
 物等を載せる台です。長さ52cmの小型と、長さ77cmの大型の2種類があります。
 写真は大きい方のもので、脚部分に螺鈿で模様が施されています。螺鈿とは.、夜光貝
 その他の貝類を彫刻して、漆地や木地などにはめこむ技法です。
 これはとても豪華な工芸品です。
  
  中央右下は「けい」と呼ばれる飾りで、金銅の孔雀文の装飾です。その左側はその
「けい」を吊るす「けい架」というもの。いずれも国宝です。読経のはじめと終わりに、
 この「けい」を叩いて合図をするのだそうです。 


  中央上は「礼盤(らいばん)」と呼ばれる台座で、仏前に置いて導師様が座るもの
 だそうです。黒漆塗りで、四方の側面には金銅製の孔雀飾りが取り付けられています。


  右端は「螺鈿平塵灯台(らでんへいじんとうだい)」で、仏前に置いて献灯するため 
 の道具です。これまた螺鈿の細かい文様がはめ込まれています。
  これらの工芸品は、金色堂と経蔵堂に所蔵されていたものだそうです。


  まだまだありますよ国宝が・・・
 お次はお経の書かれた工芸品です。こんなに贅沢なお経があっていいのでしょうか。
  紺紙金銀字交書一切経(こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう)と呼ばれるもの
 で、その名の通り紺色の地の紙に、金と銀でお経が書かれています。仏様の絵も金です。
 こんな金ぴかのお経で、果たして仏の教えが通じるのでしょうか?

 金字と銀字が交互に書かれていますが、目がチカチカしそうですわ。
 ピンボケだからやん。(by妻)


  もうひとつ、オール金バージョンの「紺紙金字一切経」もありました。もう何も言う
 事はありません。ただただ壮観です。こちらも当然国宝です。

  そしてこれらの経本が治められた漆箱も国宝になっていました。(写真無し)
  もうだんだん感覚がマヒしてきますね。


  最後に極めつけを一つ。これです。
  金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)、金字宝塔曼荼羅図です。
 よく見るとわかりますが、紺紙に金泥で金光明最勝王経の経文を塔の形に書き写し、
 一巻ずつ仕上げているそうです。お経は10巻あるので、全部で10作品。 

     

  
  拡大すると、お寺の模様がお経の文字で構成されているのがわかります。これは凄い。
 誰が考えたのか知りませんが、参りましたよ。よくこんなものを造りましたね・・・ 

     


  ちなみに全体図はこんな ↓ 感じです。縦140cm、横55cmの縦長の工芸品です。

                                      


  今回掲載した工芸品は、すべてが国宝です。いずれも十二世紀前半、藤原清衡の命
 で金色堂が建立された時期に造られたものだそうです。ため息が出ますね。
  この時代、戦乱の京都から清衡の招きで平泉にやって来た仏教界の方々や、優れた
 工芸品を制作する匠の職人たちの力で、こうした素晴らしい芸術品が出来上がったの
 でしょう。そして、それが今でも残っているというのが素晴らしいことです。


  さぁ、では奥州平泉の黄金時代を象徴する「金色堂」はどんなものなのでしょうか?
 いよいよ真打登場です。スミマセンが、またまたいいところで次に続きます・・・