Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

2021年GW 東北の旅(3泊4日)⑧中尊寺 その4

  ようやくやってきました。金色堂です。
  あれ? 金色じゃないじゃん。いや、これは「覆堂(おおいどう)」と言いまして、
 金色堂を風雨(や泥棒等?)から守るため、文字通り覆いかぶさるように保護している
 建物です。しかもこの覆堂は二代目なんだそうです。特徴のない無粋なコンクリート製
 の建物ではなく、お堂のような形をしているので雰囲気を損なうことはないですね。
 昭和43年にこの新覆堂が完成し、金色堂が中に収まったとのことです。

  ゴールデンウィーク真っただ中ですが、かなり空いていたのでゆっくり見学すること
 ができました。さぁこの石段を登って左側からお堂の中に入っていきます。すると・・


  うわ! キンキラキンの金ぴかの建築が目に飛び込んできました。これ、すべて金箔
 が施されているのでしょう。12世紀に藤原清衡の命で造られた、国宝中の国宝です。
 おそらく日本の国宝の中でも、間違いなくベストテン(私の感覚ではベストスリー)に
 入るくらいの歴史的かつ文化的な価値があるものだと思います。
  残念ながらガラス越しで、遠くて内部の様子ははっきりと見えないのですが、それで
 もインパクトは十分です。生で観た時はまさに衝撃的です。 

  購入した図録の解説によりますと、お堂は単層宝形(ほうぎょく)造り、木瓦葺き
 (こがわらぶき)の屋根の下に、内外四面全てに金箔を施した三間四面(みましめん)
 の阿弥陀堂があり、その堂内には中央、左、右の三基の須弥壇(しゅみだん)を構え、 
 それぞれに本尊の阿弥陀如来、観音菩薩と勢至菩薩、六体の地蔵尊、持国天と増長天を
 配置しているとのこと。さらに壇の中には奥州藤原氏四代の遺体(ミイラ化している)
 が安置されていたとのことです。いろいろな意味でものすごいものが残っていました。
 (藤原氏のミイラは近年、科学的な調査によりホンモノであることが証明され、しかも
 エジプトのミイラのように人工的なものではなく、埋葬された遺体が自然にミイラ化を
 したものと判明したそうです。学術的にも極めて貴重なものだそうですが、私はこうい 
 うのは苦手ですので、公開されても決して見ないと思います。しかしこの冷涼で湿気の
 少ない平泉の自然風土によって、900年の時を越えてその当時の為政者の姿が残されて
 行ったと思うと、感慨深いものはありますね。)


  さて、お墓やミイラには興味のないオッサンですが、仏像には興味を惹かれます。
 おっと、その前にこの仏像が配置されている須弥壇やお堂の柱なども超一流の芸術品で
 すので、そちらもじっくり鑑賞しないといけません。こちらは中央の須弥壇です。
 中央に本尊の阿弥陀如来様。両脇に観音菩薩と勢至菩薩、前面に持国天と増長天、両端
 に縦三列に地蔵尊が配置されています。調和のとれた一種の小宇宙のようですね。 
  これは当時の阿弥陀信仰、極楽浄土への憧れを具体的に表現したものだそうです。 

 
  斜め前から見ると、こんな ↓ 感じです。天蓋や、お堂を支える太い柱にも華麗な装飾
 が施されていてスバラシイの一言です。そして仏像様たちの乗っている須弥壇の飾りも
 豪華です。贅を尽くした、という表現がぴったりですね。

     

  現物は遠目にしか見られなかったのですが、図録に載っている画像を参考までに掲載
 します。まずは須弥壇の中央壇にある「格狭間(こうざま)の孔雀」の文様です。
  黒漆と金・銀をふんだんに使い、金銅の孔雀と宝相華(ほうそうげ)の花枝を埋め込
 む凝った造りをしていて、見ていても楽しい芸術品です。作るのも楽しかったかも。 

  続いて内陣の巻柱です。これらの柱は八角形にそぎ落としたヒバを芯材として使い、
 そこに八枚の杉板を貼り、漆塗りの上に模様を描き込んでいます。
  上下4段に仕切られていて、上の3段は菩薩像を、最下段は螺鈿を用いて宝相華の
 唐草文様を描いています。(下の写真)これは幾何学的で面白い図柄です。 

       


  そして、実際にはよく見えない天井の装飾もものすごく豪華絢爛なもののようです。
 こちらも図録の写真を参考に載せておきます。ちょっとピンボケで光が入り込んでしま
 い、見づらくてスミマセン。
  まぁしかし見るところ全てに装飾が施され、一切の手抜きがありません。作らせた方
 も金に糸目をつけなかったのでしょうが、作る方も持っている技術を駆使して全力で?
 制作したのでしょう。あっぱれです。900年の時を越えて残っていることにも感謝です。


  なんの脈絡もないですが、シチリア島のパレルモおよびその郊外に現存するイスラム
 文化のエッセンスを取り込んだアラブ・ノルマン様式の建築やその内部の装飾の素晴ら
 しさに通ずるものがあるなと思いました。エキゾチックで、金ぴか趣味で、豪華絢爛な
 ところが似ています。お墓を飾り立てるところもね・・・


  ちなみにこれ ↓ がパレルモのパラティーナ礼拝堂です。やっぱりこっちの方が派手か。
 調べたら偶然にも平泉の最盛期とほぼ同時期、12世紀中ごろの建築だそうです。地球の
 反対側で、新参者(失礼)が似たようなことをしていたんですね。
  当時アラブ人が支配していたシチリアをノルマン人(北欧出身の部族)が征服したの
 ですが、彼らノルマン人は多数派のアラブ人を懐柔して共生する道を選び、イスラム教
 の信仰存続を認め、当時はヨーロッパ人より技術水準の高かったイスラムの人を重用し
 て、キリスト教の教会や王家の宮殿・墓所などを作らせました。これにより、イスラム
 風のキリスト教文化(アラブ・ノルマン様式)という独特な文化が生まれました。 
  パレルモのノルマン王家の宮殿内にあるパラティーナ礼拝堂は、その最高傑作です。


  ノルマン人が初めて接したイスラム文化のすばらしさに圧倒され、それを取り入れた
 ように、平泉の奥州藤原氏も、中国を通じて伝わった仏教美術に心を奪われて、それを
 自分たちの力で再現したいと思ったのでしょうか。お金と労力を惜しまずに・・・


    おっとまたすぐに脱線するオッサン、スミマセン。中尊寺金色堂の話に戻ります。
  次は金色堂内陣の須弥壇に安置された、これまた国宝のご本尊様をご紹介します。
 実物は、遠くから小さくしか見えませんので、図録の写真を掲載させて頂きます。
  最も注目度の高い仏像様は、中央須弥壇のセンターちゃうご本尊、阿弥陀如来様です。
 高さは60センチほど。これまた12世紀の作です。左右両須弥壇のご本尊の阿弥陀如来様
 とは、少ししぐさや表情に違いがあるようですが基本的なスタイルは一緒です。
  柔和で穏やかな表情ですね。見るからに「仏のような人」です。(ホンマに仏様やで)
 

    

  須弥壇の仏様が勢揃いしたところは壮観ですね。もっと近くで拝観したかったな・・・
 でもガラス戸の中には一般人は立ち入り禁止。遠くから目を凝らして眺めるのみです。


  通常はかなり混雑している筈ですが、私が見学していた時は他の見物客が数人いた
 だけです。ゆっくり落ち着いて鑑賞することができました。
  さすがは世界遺産・平泉の最大の観光スポットです。中世仏教美術の最高傑作では
 ないでしょうか? 日本が世界に誇ることのできる至高の芸術品の一つです。これから
 も大切に次の時代に引き継いでいくべきものですね。


  そういえば、「黄金の国ジパング」というマルコ・ポーロさんが広めた「噂」という
 のは、ひょっとしたらこの奥州藤原氏の造らせた金色堂のことが誇張されて伝わったの
 がきっかけではないか、という説があるそうです。この金色堂の中に限っては、確かに
 黄金一色で彩られた世界でしたからね。まぁ当時の人たちは(京都から来た人たちも)、
 さぞびっくりしたことでしょう。写真もインターネットも無い時代ですから、人から人、
 国から国へと伝わる間に大袈裟になっていき、伝説となってしまったのかもしれません。


  これで金色堂の記事は終わりですが、中尊寺にはまだ見るべきところが残っています。
 まぁメインイベントは終了しましたので、あとは余韻という感じになります。
  ということで、余韻が次回に続きます。(またか・・・by妻)