2021年GW 東北の旅(3泊4日)⑱ 角館武家屋敷 ~その2~
2日目の夕方、午後6時近くになりますが角館の武家屋敷通りの散策を続けます。
青柳家のもう少し先に、もう一つ著名な武家屋敷「石黒家」があります。石黒家は、
角館を所領した佐竹北家に仕える家臣ということで、石黒家伝によると、この場所に居
を移したのは、嘉永6年(1853年)のことだそうで、現存する角館の武家屋敷の母屋の
中では最も古いものだそうです。由緒あるお屋敷なのですね。
あれ?もう閉まっている時間なのに、門があいています。ちょっと覗いてみましょう。
中に入ると受付の女性がいます。そして観光客がまだ数人いました。
念のため「まだ、見学できるのでしょうか?」と係の方に尋ねると、「えぇ大丈夫で
すよ」とおっしゃるではありませんか。素晴らしい。海外はもちろん、日本でもこんな
ことはまずないと思います。有難く見学させて頂きます。これで明日の予定が楽になる。
(ちゅうか、もともとそんな無理な予定を組んでる方がおかしいんやで。by妻)
茅葺きの母屋は「お屋敷」というほどゴージャス感はありませんが、堂々としていて
立派な構えをしていますね。塀の左側が現在の当主のお住まいなのでしょうかね。
この石黒家は、角館の武家屋敷の中では唯一、直系の子孫となる方々がこの ↑ 母屋に
住み続けておられます。そのため公開エリアは屋敷全体の半分程度なのですが、ここの
素晴らしいところは武家屋敷群のなかで、常に公開スペースの部屋に上がることができ、
係の方の説明を聞きながら内部をじっくり見学できることです。
スタッフの方々がまだ残ってくれていて、観光客が訪れてくる限りご案内をしようと
いう姿勢が感じられます。コロナ禍で訪れる観光客が少ないため、特別な配慮なのかも
しれません。では、さっそく内部を見学させて頂きましょう。
この建物には玄関が二つあります。(石黒家よりも)上位もしくは同格の身分の方々
をお迎えする正玄関と、下位の身分の人々を通す脇玄関の2つです。
正玄関(下の写真の左側)には起り破風と懸魚があるそうですが、私の撮影した写真
からはよくわかりませんね。(ちゃんと説明を聞いてから撮ればよかったやん。by妻)
ちなみに観光客は脇玄関から入ります。
玄関を入ってすぐの客間ですかね。武家の家らしく、シンプルですが美しい造りです。
そしてユニークだったのは、これ ↓ です。欄干の透かし彫りには亀の絵柄が彫り込ま
れています。そして光を通すと影絵のように亀の絵が白地の壁に映し出されます。武家
の屋敷なのに、こんな面白い仕掛けをするとは、なかなか粋な、遊び心のある武士の方
がいたのですね。たまたま訪れていた外国人観光客が「オー!」と驚いていました。
一通りスタッフの方の説明(5分程度)を聞いた後は、自由に見て廻ることができ
ます。誰も居なくなったころ合いを見て、またパンダ君のゲリラ撮影を敢行。(アホ)
寒い地方なので、居間には囲炉裏が必須なのですね。夏は風通しがよさそうで過ご
しやすいでしょうが、冬の厳しい寒さはキツイでしょうね。武士は我慢か・・・
もう6時近くになっているので、急いで館内の展示品も見学します。
明治・大正年間に増築された蔵には、歴代の武具や甲冑が展示されていました。この手
のものには詳しくありませんので、芸術的あるいは歴史的価値はよくわかりません。
なんだか鎧兜は不気味な感じがするので、平和主義者の私(プッ。by妻)は、あまり
好きではありません。しかし江戸時代以後は大きな意味での戦(いくさ)はなくなった
でしょうから、あまり出番はなかったのかもしれないですね。
おや?面白いものがありました。これは医学書の「解体新書」ですね。なぜここに?
実は角館出身の武士小田野直武さんという人が(ちょっと前に見てきた小田野家の人)
この解体新書の挿図を描いたのだそうです。石黒家と小田野家は関係が深いそうなので、
石黒家にも所蔵されていたのでしょうね。実物は私も初めて見ました。
表紙だけでなく、いろいろな挿図が見開きで展示されていました。面白いです。
15分程度でしたが、この日のうちに石黒家を一通り見学できたのでよかったです。
庭もなかなか凝った造りのようですが、じっくり見る時間がなくて残念でした。
名残惜しいですが、6時を回って閉館時間となりました。もう、私の影が長い(笑)。
さぁ、これで2日目の観光は終了です。あとは角館の街中で晩御飯です。続く・・・
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