Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

聖徳太子と法隆寺展 ~その1~

  今日は関東地方は灼熱のような真夏日。都心は気温33℃ですと? あちゅい(アホ)。
  そんな中、今日は都心までお出掛けしました。緊急事態宣言が出る前、国立博物館の
 「聖徳太子と法隆寺展」の日時指定券を購入しておりまして、本日午後3時からの予約
 チケットを持っていました。東京都の緊急事態宣言で、もしチケットが無効になったら
 どうしようかと危惧していましたが、大丈夫でした。まぁオリンピックもやるしね。
 
  ということで久しぶりに(電車の乗り継ぎ以外で)東京都心に向かいました。
 午後3時少し前に上野駅に到着。あれ?公園口の出口の前の車道がなくなっています。
 いつも車がひっきりなしに通っていた道路がふさがれ、歩行者がそのまま上野公園の方
 に向かえるようになっていました。これは英断ですね。東京文化会館や国立西洋美術館
 に行くのに、横断歩道を渡らなくてもよくなりました。いや、それ以上に車が来ないの
 で、静かでゆったりした空間になっていました。あとはヨーロッパのようにモニュメン
 トを置いて、広場にすれば「らしく」なります。当然、モニュメントはパンダでしょう。 
 (アホ、みんな上野駅に下りたとたんに脱力するわい。by妻)


  さて、 ♪ ぎーらぁ、ぎーらぁ、たぁいよぉがぁ~、燃えるぅ~ よぉにぃ~ ♪(アホ)
 の中を、会場の国立博物館まで向かいます。徒歩5分くらいなのですが、死にそうです。
 なんとか3時前に入口まで辿り着きました。入館には体温検査が必要ですが、オッサン
 は汗だくなので、しばらく扇風機の前で涼んでいました。(係のお姉さんが迷惑そうな
 顔で見ているで・・・by妻) 少し休んで検温OKです。


  本館をスルーして、特別展覧会を開催している平成館に向かいます。

 
  イヤ、オッサン最初は間違えました。常設展で法隆寺の宝物を展示しているところに
 行ってしまいました。何だか人が少なくておかしいな?と思っていたら、ここに展示を
 している法隆寺の国宝が「平成館に展示されています」という札が貼られて「もぬけの
 殻」だったので、あ、ここじゃないんだ!と初めて気づいたオッサン。(鈍いの。by妻)

 
  炎天下を再びえっちらおっちら歩いて、目的の平成館にようやくたどり着きました。
 もう時刻は午後3時15分です。やばい、入れてくれるのかな?
  心配はご無用。受付では「午後3時からの入場予約券をお持ちの方はどうぞ~」との
 ことでした。ホッ、しかも冷房が効いていて快適です。


  こんな ↓ 展覧会です。法隆寺に行かないと拝むことができない国宝が、たくさんここ
 に「お出まし」でした。楽しみです! 


  そうか「和を以て貴しとなす」は日本の魂だよね。意味もなく仲良くすることが目的
 ではないのだけれど、戦をするくらいなら話し合って和解できるところを捜そうよ!と
 いうことなのかなと理解しています。これが行き過ぎると「同調圧力」になってしまい
 ますが、この精神が社会全体にいきわたっているのが日本の良さなのだと思います。
  仏教の教えを今でも守っている(敬虔な仏教信者はそんなにいないけど)社会とは、
 日本の他には数えるほどでは? 世界では異質なんだろうけどね・・・


  聖徳太子は一万円札になっていたので40代以上の人にはなじみがあるけど、今時の
 若者にはどうなのかな? この模写 ↓ は、まさしくかつての一万円札ですよね。しかし
 遠近法はまだ日本にはなかったみたいですね。

    


  飛鳥時代。紀元7世紀の大和朝廷で、太子は先代の用明天皇の息子として時の推古
 天皇(女帝)を補佐する摂政として、仏教を取り入れた「和の政治」を訴求し、一方
 では天皇を中心とした中央集権国家(官僚制)を志向して、「冠位十二階」や「十七条
 の憲法」を定めた人として我が国の史上でも絶大な人気を誇る人物です。特に平安時代、
 戦乱と政治の混迷のなかで、このような方を待望する機運が強まり、偶像化していった
 といわれています。「日本書紀」の記述を信じれば、確かに古代日本においては最高に
 優れたリーダーと思われますが、なにせ1300年以上も前の事、真実はわかりませんね。


  でも、この展覧会でこの太子の木像(国宝)を見ると、強い意志を持った公正な指導
 者だったということが想像できます。鋭い眼光は、自分さえよければいいという?いい
 加減な皇族連中や、悪事を企む豪族の親分たちに向けられていたのではないかと。
  この像は平安時代1122年の作。木造・彩色・載金の仏像で、法隆寺所蔵です。
 平安時代の聖徳太子信仰が盛んだった頃に造られたもののようです。         

     

 
  そうそう、当時の中国王朝「隋」に対して、小野妹子を使節として派遣し、当時は
 得意絶頂だった隋の皇帝(煬帝:ようだい)の前でかましたパフォーマンスは有名で
 すね。「日出づる所の天子、日没する所の天子にご挨拶を申す。つつがなきや。」
   
  まぁとにかく逸話は豊富ですが、謎が多い方です。たぶん後世の脚色がかなり入っ
 ているのだと思いますが、欧州と違って木の文化のわが国では考古学的な発見はもう
 望むことはできないので、もはや真実を確かめることはできません。真実がどうかと
 いうことよりも、「今に至るまで伝わっていること」を認めていくのが賢明なのかな。
  
  そんな聖徳太子の肝いりで、当時(紀元630年頃)都のあった斑鳩の地に、法隆寺は
 建立されました。実は私が結婚直後に奈良に住んでいた時、法隆寺までは車で15分程
 だったのですが、一度しか行ったことがありませんでした。近いので、いつでも行ける
 感覚だったのですが、もっときちんと訪問しておけばよかったなと思っています。


  さぁ、ここからは法隆寺の誇る国宝・重要文化財のオンパレードです。こんなにここ
 にあるっていうことは、本家法隆寺はスカスカになっているんじゃないの?(アホ)


  ちょっと長くなりそうですので、次回に続きます。悪しからず。