聖徳太子と法隆寺展 ~その3~
今日もがっくりするような暑さ。一日在宅勤務でしたが、連休前に片付けなければ
ならない疲れる仕事を流し込んで、先程業務終了。ぐったり。しかし不愉快なことが
続いて珍しくイライラしてしまった。(いや、いつもイライラしとったで。by妻)
さぁこれで四連休だ。その後のことを考えると気が滅入るけど、4日間は何事もなく
楽しく過ごせますように!オリンピックも、もう開会式前の競技が始まっていて女子の
ソフトボール、女子サッカーなど日本代表が既に登場していますね。こんな状況下での
大変な試合だと思いますが、始まった以上は頑張れニッポン。選手たちもそれを支える
裏方さんも、どうか事故や事件がなく無事に競技を終えられますように!
さて、休み前にせめて法隆寺展の記事は完了させておきたいと思います。今回も仏像
鹿出てこないのでたいして面白い記事ではありませんが、このブログは私の忘備録でも
ありますので、ご容赦のほどを。
展覧会のハイライトは、法隆寺の誇る飛鳥時代の仏像(当然国宝)です。特に法隆寺
の中でも貴重な建物である金堂(国宝)に収められた、優れた作品たちです。まずは、
法隆寺境内の伽藍(がらん)配置図を見てみましょう。
大きく分けると、金堂や五重塔のある「西院伽藍」と夢殿のある「東院伽藍」があり、
国宝や重要文化財はその2つに集中しています。金堂や五重塔、夢殿は建物自体も国宝
であり、そこに所蔵される仏像や仏教装飾も国宝や重要文化財のオンパレードです。
こりゃもう一度現地に行って、じっくりと鑑賞し直さないといけないなぁ・・・
グダグダ言っていないで、早速展示された国宝を見て参りましょう。
この展覧会の目玉ともいうべき、法隆寺金堂東の間の本尊である「薬師如来坐像」です。
7世紀、飛鳥時代に造られた銅製の仏像です。まさしく聖徳太子が生きた時代ですね。
法隆寺の所蔵する仏像を代表する傑作のひとつであり、一般的にも人気があるようです。
仏教美術には全然詳しくないオッサンですが、この穏やかで静かなほほえみをたたえた、
実に上品で洗練されたお姿には、一発で参りました。無意識のうちに拝みたくなります。
像の高さは63.8㎝と大きくないのですが、背後にある光輪(光背)のせいか実際より
大きく感じます。展覧会では台座の上に載っていましたので、さらに大きく見えました。
正面から見るとこのような感じです。なんというか、全体的に曲線的なので、優美で
女性的な感じがしますね。争いとは無縁の、平和な世の中をもたらしてくれそうです。
しかしこんなすごい国宝の仏像をよく持ち出してきてくれました。東京で拝めるとは、
法隆寺と国立博物館関係者の努力に感謝申し上げます。ちなみに彩色木製の台座も国宝
なんだそうです。こちらも同じように飛鳥時代の作。
そうそう、このデッカイ光輪(光背:こうはい)ですが、仏像が収められたガラス・
ケースの後ろに回って見ますと、なんとはっきりと文字が刻み込まれているではありま
せんか。なんて書いてあるのでしょう?
聖徳太子の父、用明天皇が自ら病に伏せった時、平癒のために寺と仏像を造ることを
誓ったが、結局病没して果たせず、後を継いだ推古天皇と摂政の聖徳太子がその願いを
引継ぎ、(法隆寺とこの仏像を)西暦607年に作り上げた、ということのようです。
なんと、古代日本史における重要なイベントのエビデンスとなる、第一級の史料でも
あるのです。もう凄すぎて、頭がおかしくなりそうです。(元々ちょっと変やで。by妻)
もう、これは生きた日本史。学校でも、こういうエピソードを交えて教えてくれると、
私のような集中力が欠如したこどもでも、印象に残って覚えられると思いますよ。
さらに、この仏像が展示された広い展示室には、法隆寺金堂・中の間の須弥壇にある
釈迦如来像(今回の出展はありません)を守護する四天王像のうち、須弥壇左右の前面
隅に立つ、広目天と多聞天(いずれも四天王の1人)の像が展示されていました。とも
に7世紀の飛鳥時代の彩色木像の作品で、当然国宝です。彩色の木像彫刻が1300年以上
も経って残っているとは奇跡に近いですね。
これはガラスケースに入っていない立像なので迫力があります。像の高さは133㎝。
まずは左側の広目天さん。荒ぶる四天王のイメージとは異なり、なんとも穏やかな
表情です。飛鳥時代の優しいたおやかなイメージです。筆と巻物を持っているので、
文官のように見えますね。足で怪物を踏んづけているので、四天王だとわかる程度。
アップにすると、こんな ↓ 感じです。まだ彩色の跡が残っていますね。褐色がかって
しまっていますが、本来は肌色で、唇は赤、もみあげと髭は黒と、写実的なものだった
と想像されます。完成した当時はきっと、見た人はみんな感嘆の声を上げたのではない
でしょうか?これも傑作です。
もうひとつは多聞天さん。こちらも同様です。手首の先を除いて、クスノキの一本木
から掘り出されているそうです。彫刻も彩色も、当時としては優れた技術です。中国や
朝鮮の先端技術を取り入れた(あるいは渡来人が作った)ものなのでしょう。
こちらもアップでよく見てみましょう。こちらも多聞天にしては温和な表情です。
続いて金堂の中の間にある「天蓋」の付属物を見学します。天蓋そのものは展覧会に
出展されていませんが、このような ↓ イメージだそうです。(参考写真)
彩色はくすんでおり、いくつか欠損部はあるものの、本来の形で残っています。
これも7世紀飛鳥時代の作品でもちろん国宝です。今回の展覧会は、この天蓋に付属
する、飾り金具、天人の飾り、そして鳳凰の飾りが出展されていました。
まずは天蓋上部に取り付けられた「天人」の飾りの内のひとつです。優雅に琵琶?を
演奏している切れ長の目の天女様です。イケてる?(アホ。by妻)
元々の彩色が残っていたら、かなり美しかったと想像されます。
次は、木製の鳳凰飾りです。洒落ています。取り付ける金具もよくわかりますね。
さらに続けます。次は有名な金堂壁画の模写です。
かつて金堂には五十面もの彩色壁画で覆われていたと言います。残念ながら昭和24年
(1949年)の火災で焼失してオリジナルは永遠に失われてしまいました。ただ明治時代
に外壁十二面を著名な画工が模写したものが残っており、その一部が展示されていま
した。こちらは ↓とりわけ有名な 阿弥陀如来説法図です。模写当時でもかなり傷んで
いたようですが、なんとかその素晴らしさは伝わりますね。
オリジナルが残っていたら、国宝中の国宝になっていたことでしょう。残念です。
でも模写が残っているだけでもありがたいと思うべきかな。
さぁ、遂にラストです。国宝中の国宝の一つ、「伝橘夫人念持仏厨子(でんたちばな
ぶにんねんじぶつずし)」と呼ばれる厨子と、その中に収められたスバラシイ仏像です。
オリジナルは下図のようになっていますが、今回の展覧会では厨子部分と、仏像部分が
別々に展示され、ガラスケースの中ではありますが、じっくり鑑賞できるようになって
いました。たぶん法隆寺で見るよりもきちんと隅々まで鑑賞できました。
かつては金堂の本尊釈迦三尊像の背後に設置されていたということで、光明皇后の
母に当たる橘三千代(たちばなのみちよ)さんの念持仏と伝えられており、紀元8世紀
前半の作と言われています。金銅製です。
中央の阿弥陀如来様と、左右の勢至菩薩様と観音菩薩様が、池の中から伸びている
蓮の花の上に鎮座されているお姿は、高さ30cm程と小さいものの、優雅で美しい。
この頃になると仏様は眼を閉じて瞑想されているスタイルになっていますね。
ここまで駆け足でも約一時間半かかりました。すごく充実した展覧会でした。
まだ法隆寺には有名な「玉虫厨子」、金堂本尊の釈迦如来像をはじめ、国宝がたくさん
あります。現地に行っても普通は拝観できないものもあるかもしれませんが、またいつか
法隆寺をゆっくり訪ねてみたいものです。(せっかく近くに住んでいたのにのう。by妻)
さて、法隆寺展の記事はこれにて終了です。
明日からは、日頃のうっぷん晴らし?に、ちょっとお出掛けしてきます。
しばらく記事をお休みさせて頂きます。皆様、よい休日をお過ごしください。
(お仕事の方は、ご苦労様です。)
つぅか、この間GWに東北に行ってきたばかりやろう。えぇ加減にせえよ。(by妻)
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