2017年夏、北欧&ドイツの旅 ⑩トームペアの丘
バルト三国・エストニアのタリンの記事を続けます。
旧市街のはずれに聳える丘はトームペアの丘と呼ばれ、現在も国会・議会として使用
されているトームペア城などの歴史的建造物があります。残念ながら、トームペア城は
通常一般公開されておらず。内部見学はできませんでした。
ピンク色に塗られた外観は可愛らしいですね。エストニアの国旗が翻っています。
このお城は13世紀の創建、支配者が変わるたびに改築が繰り返され、18世紀後半の
ロシア支配のもとで現在の姿になったとのこと。かのエカテリーナ女帝の命令で、この
ように華麗な宮殿スタイルになったそうです。つまり、この正面の建物は比較的新しい
部分なのですね。15世紀の頃の建築が残るのはお城の外壁と塔の部分だそうです。要は
要塞として造られた部分が残っているということのようです。
お城の写真を撮ることができませんでしたので、ネットから借用します。トームペア
城の中で一番有名なヘルマンの塔です。
街の外側からトームペア城のある山の手を眺めるとこんな感じ ↓ だそうです。
真ん中に見えるのがトームペア城のヘルマンの塔(通称ノッポのヘルマン)、左側が
ロシア正教アレクサンドル・ネフスキー協会、右側は大聖堂のようです。
(こちらもネットから拝借)
お城(宮殿)には入れなかったので、アレクサンドル・ネフスキー教会を見学します。
こちらは1901年にロシア人により建てられたというまだ新しい建築です。宮殿の前に、
ロシア正教の教会をデーンと立ててしまった支配者のロシア人に対し、エストニア国民
は心中穏やかではないそうですが、ロシアを刺激しないために?そのままにしているの
ではないかと思います。小国が生き抜くためには現実路線でないといけないのでしょう。
残念ながら正面が修復中で、無粋なネットがかけられていました。
人通りが少ないので、パンダ君の記念撮影を素早く敢行。
(そこまでしてやることか?by妻)
ロシア正教なので、イコン(聖画像)がありますね。カトリックやプロテスタント系の
教会とは一風変わった雰囲気があります。内部は広くて高く、デッカイです。
丘の上の散策を続けます。狭い通りに観光客がひしめき合っています。どの建物も
外観は美しい色に塗られ、エストニアの国旗が掲げられている家も多くありました。
その先に大聖堂の尖塔が見えてきました。
大聖堂(トームキリク)は1219年にデンマーク人がこの地を占領した後、すぐに建設
したというタリン最古の教会だそうです。1684年にトームペアの丘を焼いた大火災の後
約100年かけて修復されたのが今の姿だということです。堂々としたたたずまいですね。
しかしなんとこの教会の見学は有料でした。(料金は2ユーロ) 今はもう信仰の場
というよりは観光名所となっているようです。
内部はちょっと薄暗くて古めかしい感じです。あちこちにやたらと紋章が飾られてい
ました。貴族の墓所だったのでしょうか?
この後は丘の上から街を見下ろす展望台に向かいます。大聖堂の脇からコフトゥ通り
を進むと3分程でコフトゥ展望台に着きます。ここからは左手に新市街、右手に先ほど
見てきた旧市街の眺めが楽しめます。
下の写真は右手に聖ニコラス教会の塔が見えますので、旧市街中心部ですね。
こちら ↓ は聖オレフ教会の尖塔が左手に見えます。あ、その向こうにはバルト海が!
そういえばエストニア出身の力士で「把瑠都(ばると)」というしこ名の関取がいま
したね。気は優しくて力持ち、という感じでいかにも素朴なバルト三国出身の方だな、
と。大関まで上り詰めましたが残念ながら怪我で引退しました。スウェーデン系エスト
ニア人で、なんと最近帰国して今ではエストニア議会の議員になっているそうです。
へぇ、じゃぁさっきのトームペア城の国会に出勤か?・・・国対要員かな?(アホ)
しばし眼下のタリンの街並みを鑑賞した後、再び旧市街に戻ります。
今回はちょっと面白くなかったかな?(いつも大してオモロないで・・・by妻)
城門をくぐり、今度は緩やかなピック・ヤルク通りの坂道を下っていきます。
(下の写真の奥側がトームペア地区です。)
緩やかな坂道をゆっくり下って行きました。
旧市街に戻って、ちょっと土産物屋を物色します。エストニア名産ってなんだろう?
準備不足でした。とにかく行ってみます。でも、明日に続くみたい・・・(by妻)
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