Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

久しぶりに関西の旅 ⑥奈良:興福寺の駆け足観光 ~3~ 国宝館

  奈良公園の中にある興福寺の見学を続けます。広い敷地の中にある伽藍のうち、通常
 見学できるのは前回の記事にした東金堂だけですが、興福寺の所持する多くの国宝級・
 重要文化財級の仏像その他を観光客がいつでも鑑賞できるようにと、「国宝館」という
 建物があります。誠にありがたいことです。
  仏像その他は、ある意思をもって特定の目的のために造られたものですので、本来は
 あるべき場所(=当初の設置場所)に存在するのが良いのだとは思いますが(キリスト
 教の祭壇画も同じ)、やはり諸事情により、多くの方がいつでも鑑賞できるようにする
 には難しい部分もあります。実際のところ興福寺でも、北円堂・南円堂の仏像等は通常
 非公開なので普段一般人が目にすることはできません。場所の制約上、所蔵者(お寺や
 教会)の方針上の問題があるので、それはそれで仕方がないことだとは思います。
  しかし、こうやって別の場所で、あたかも美術館のように公開していただけることは、
 (本来の場所にあってこそ理解できるような、作品に込められた意図は薄められてしまう
 うかもしれませんが)、我々一般人にも優れた芸術品を目にする機会が得られるという点
 では物凄くありがたいことだ、とオッサンは思っております。そう、どこかの誰かが?
 言っていたようですが、「真の芸術作品とは、作品の由来等を超越して、普遍的な価値
 を備えるようになったものである」という意見に、オッサンも完全同意します。
 (何を得意げに頭でっかちなことを言っとるんじゃ、底の浅いオッサンが。by妻) 
    国宝館の建物自体は新しいのですが、やはりお宝をたくさん所蔵するということで、
 平屋建てではありますが立派な造りをしています。 


  ということで、国宝館の中には「普遍的な価値」を表現しているであろう興福寺所有
 の芸術品が展示されているというわけです。有難く拝観いや鑑賞させてただきます。
  まずはいきなり、これ ↓ です。(撮影禁止なので、写真はいずれもネットから借用)

    

  木造金剛力士立像、上の写真は「阿形」像、下の写真は「吽形」像です。「阿吽(あ
 うん)の呼吸」という言葉はここからきているのですよね。
  鎌倉時代に造られた檜材の寄木造の彩色彫刻で、もちろん国宝です。元々は鎌倉時代
 に再興された西金堂の本尊の左右に安置されていたものだそうです。オリジナルは奈良
 時代創建の西金堂は、何度か焼失して鎌倉時代に大規模に再興されたそうですが、この
 像はその時に収められたもののようです。しかし西金堂は18世紀江戸時代の火災で焼失
 した後は再建されておりません。興福寺では少しずつ焼失したお堂を再建していますの
 で、いつか再建されたらこの像もそこに戻るのかもしれません。

        

  どちらも残念ながら片腕が失われていますが、上半身裸で憤怒の形相をしたこの彫刻
 は、見る者を威圧するド迫力があります。よく見ると筋肉や血管が浮き出ていますね。
 寄木造では本来は四方から木を重ね合わせて作るそうですが、この像は上半身と下半身
 を別々に作ってくっつけたものだそうで、躍動感を出すためにかなり気合をいれて造ら
 れたようです。体を少し斜めに傾けた形で安定した足取りをしているので、造形的にも
 均整がとれて美しく見えます。高さは約150cmなのですが、それ以上に大きく見える気
 がしました。本尊様を力強く守護されていたものと思いますが、国宝館では阿・吽像が
 それぞれ並んで展示されていました。残念ながら、西金堂再建時の鎌倉時代の作と思わ
 れる本尊の釈迦如来像は失われてしまったようです。


  優れた国宝の彫刻が続きます。これは、どこかで画像を見たような気がします・・・

       

  こういう遊び心のある?ものは楽しくていいですね、妻もこういうのが大好きでした。
 キリスト教でも仏教でも、本来は実用的な柱や灯篭等にこういう装飾を施して面白い形
 の像を嵌め込むことがよくありますね。
  これも2対の像があって、上の写真が「龍燈鬼(りゅうとうき)」、下の写真が「天
 燈鬼(てんとうき)」で、いずれも鎌倉時代に再建された時の西金堂の須弥壇(しゅみ
 だん)の上にあり、いつもは四天王に踏んづけられている邪鬼を立たせて仏前を照らす
 灯籠の像としたものだそうです。ということは、さっきの「阿吽の金剛力士立像」たち
 と同じ場所にあったということですね。

           

  「天燈鬼」は肩の上に灯籠を載せ、ずんぐりした体躯を斜めに傾けてバランスを取っ
 ています。顔は三つ目で、口を大きく開いて吠えるような激しい表情をしています。
 彩色も良く残っていて肌色がかなりはっきりとしています。
  これに対して「龍燈鬼」はキリスト教美術によくあるように頭上でモノを支える形態
 で、灯籠を頭の上に乗せています。ずんぐりした体躯ですが、こちらは動きがなく静的
 です。上半身に巻き付いた龍の頭?を片手で抑え、もう一つの手で自分の手首を掴んで
 います。よく見ると、上目遣いで自分の頭上に乗せた灯籠を見ている感じでユーモラス
 な表情をしています。    
  いやぁ誰が造ったのか、誰のアイデアなのかよく知りませんが、鎌倉時代(1215年)
 にこんな楽しい彫刻を造った人がいるのですね。もちろんどちらの像も国宝指定です。


  続いては、白鳳時代(7世紀:大和時代後期)に造られたといわれる、とんでもない
 歴史を誇る作品?です。薬師如来の巨大な銅像の「頭部」なのだそうです。

   

  この頭部だけでも約1mの高さがありますので、かなりの迫力です。全身像は座像だ
 と思われますが、そうすると3mくらいの巨大な銅像であったと推察されます。
  元は奈良県・飛鳥地方の山田寺の講堂に安置された本尊だったのを、鎌倉時代に再建
 した東金堂の本尊として迎え入れらたのだそうです。そしてその東金堂が1411年に焼失
 した際に、頭部だけが焼け残ったのだそうです。(銅製でも胴体部分は熱で解けてしま
 ったのでしょうか)
  その後、東金堂には新たな薬師如来銅像(重要文化財:先日の東金堂の記事を参照)
 を本尊としましたが、その台座にはこの初代薬師如来の頭部が収めれらていたのです。
 なんと、昭和12年に発見されたとのことですので、その後仕舞われたまま忘れ去られて
 いたのですね。いやはや、発見のされ方もすごい話だ。 
  この像は蝋型の原型から鋳造され、冶金が施されているそうです。切れ長の目、垂れ
 下がった福耳(?)、開きかけた感じで「物言いたげ」な唇、とても印象的なお顔です。
 若々しさとすがすがしさを感じさせる、なんともいえないいい表情です。西暦685年の作
 と思われますので、1300年以上経過していて、しかも火災の炎にさらされても生き延び
 ている?仏様ですから、文句なしに国宝です。いや、単に古くて歴史的な価値があると
 いうだけではないでしょうね、造形美術としても超一流と認められたからこその、国宝
 指定だと思います。(ちょっと鼻息が荒くなってきたで、オッサン。落ち着きや。by妻)


  次は、巨大さと神々しさで圧倒的な存在感を示した「千手観音菩薩」の木像彫刻です。

     

  これはスゴイです。高さはなんと5.2メートル。四重の蓮華座の上に立つのでさらに
 仏像が大きく見えます。下から仰ぎ見るような感じになるので、神々しさも倍増です。
  檜材の寄木造に漆箔が施された木造彫刻で、鎌倉時代の1230年頃に制作されたと推定
 されています。あらゆる「手」を尽くして衆生(しゅじょう)を救うという意思表示を
 千本’(はないけど、たくさん)の手に表している、誠に有難い仏様です。よく見ると、
 頭上の冠にも十のお顔を持っています。いやぁ、これは問答無用の迫力です。こんな方
 に道で出くわしたら、思わず道を譲ってしまいますよ、オッサンは。
 (それはちょっと意味するところが違うんちゃうか?by妻)
  当初の設置場所は食堂という、お寺の中でも常に最も賑やかな場所であったそうです。
 そこのご本尊ということで、お寺関係者のすべてに対して慈愛溢れるそのお姿を見せて
 いたのでしょう。お寺で働く皆さんの応援団長だったんじゃないかな。


  ここまで見てきただけでも、超ド級の国宝が目白押しでした。さらにこの後、物凄く
 有名な国宝が控えています。もったいぶるようですみませんが、ちょっと長くなりまし
 たので、そのお顔は次回の記事で!(ドケチなオッサンや・・・by妻)