久しぶりに関西の旅 ⑩法隆寺~その2:西院伽藍 金堂~
今夜は法隆寺の続きです。西院伽藍の五重塔を見た後、その隣の金堂を見学します。
ここは通常公開されている貴重な場所です。当然これも国宝、飛鳥時代の建築です。
入母屋造の二重仏堂で、下の階は裳階(もこし)屋根が下に付いていますので初層
は二重の屋根に見えます。一方、なんと上層階には部屋はなくて単なる「飾り」のよう
です。そして上層階の屋根を支えるため、龍の彫刻が四辺に据えられています。なんと
も面白い構造の建物です。
ネットの写真を掲載しておきます。こんな感じ ↓ の龍の彫刻があります。
そして、このお堂の中にも国宝の美術品(仏像等)が収められているのです。お堂の
中は暗いのでちょっと見づらいのですが、心して拝観いたします。(なんだか言葉遣い
もいつもと違うオッサンやの~畏れ多いんやな。by妻)
中に入ると、ずらりと仏像が並んでいて圧倒されます。中央と左右にそれぞれ如来様
(悟りを開いた方で、仏教の序列第一位)が据えられていて、中央・東・西それぞれの
本尊様と呼ばれています。中央に鎮座するご本尊は釈迦如来三尊像です。
※当然撮影禁止ですのでネットの写真を借用いたします。
釈迦如来三尊像(銅像)のアップはこんな感じです。なんとも柔和で、ちょっと口元
がほころんでいる感じがします。いわゆるアルカイック・スマイルっちゅうやつですね。
この仏像は光背(後光が差しているのを表すもの)に刻まれた銘文から、なんと623年
に造られたことがわかっています。ひぇ~1400年も前からここにお座りになっているの
ですね。お疲れ様です。(アホ)
釈迦如来様の両脇には菩薩様(仏教ランクで二番目の階級)がボディガードのように
控えております。こちらもご苦労様です。(再びアホ)
この三尊像の作者は飛鳥時代の仏師「鞍作止利(くらつくりのとり)」だと、光背に
刻まれています。あぁ中学か高校の日本史で習ったような気がするなぁ・・・
622年に亡くなった聖徳太子を偲び、その翌年に造られたものだということです。
そして東側の本尊様は、薬師如来様です。この像は、ちょっと前に東京の国立博物館
で開催されていた「聖徳太子展」にも出展されていて、その時にじっくり鑑賞しました。
こちらも光背に銘文が刻まれており、それによると聖徳太子の父、用明天皇が自らの
病気平癒を祈願してお寺と仏像を造ると誓いを立てたものの、果たせずに没した後に、
妻の推古天皇と息子の聖徳太子が遺志を継いで寺(法隆寺と想定)とこの薬師如来像を
作らせたと書かれています。それが事実ならば、なんと西暦607年の作(銅像)という
ことになります。ただし、現在では聖徳太子が法隆寺を建立した607年の作ではなく、
もう少し後になって作られたものではないかといわれているそうです。それでも、飛鳥
時代(7世紀)の作品であるのは間違いなく、当然のことながら国宝です。
これも穏やかな表情で、見ているだけで心が和みます。素晴らしい芸術作品です。
そして西側ご本尊は阿弥陀如来です。こちらは、なんと平安時代に盗難に遭い、鎌倉
時代に再復されたものだそうで、歴史的価値の面では一歩劣るようです。オリジナルの
飛鳥時代のものを模倣して造られた感じですが、やはり雰囲気が違うのは否めない。
そしてこの中央・東・西3つのご本尊様を守護する役目の四天王の像も国宝です。
このうち持国天と広目天は、先述した聖徳太子展にも出展されていました。
現存する最古の四天王像ということで、光背に刻まれた銘文から西暦650年頃の作と
言われています。こちらは木像彫刻で、クスノキの一木造りだそうです。1370年ほどが
経過していますが彩色も一部残っており、極めて保存状態が良いのが驚きです。
四体とも足元に邪鬼を踏みつけており、頼もしい守護神ですね。
そしてさらに、釈迦如来三尊像の後ろに控え、ちょっと遠くに安置されているために
見学しづらいのですが、吉祥天と毘沙門天の像もあります。当然こちらも国宝です。
平安時代の1078年に制作されたと言われており、檜の一本木造りで彩色が施されていま
す。飛鳥時代の四天王像に比べ400年ほど新しいので、さらに保存状態が良いようです。
法隆寺西院伽藍の中心である金堂には、こうした日本最古と思われる優れた仏像が
いくつも所蔵されていますが、さらに驚くことに、このお堂の四辺の壁には彩色壁画が
残されていました。しかし、残念ながら解体修復中の1949年の火災で焼失してしまい、
現在見られるものは1967年から翌年にかけて再現されたものです。
とはいえ、オリジナルは7世紀後半から8世紀初頭の飛鳥時代と言われており、日本
でも屈指の古代美術として有名です。いや、インドのアジャンターやエローラーの壁画、
中国の敦煌の壁画と並び称される、古代仏教芸術の至宝というべきものです。まぁ御覧
いただくだけで、その素晴らしさがわかります。といいましても、金堂の見学は正面側
だけなので、壁画を見るにはかなり体をよじって覗き込まないといけません。
(オッサン、その姿は傍目で見たらかなり見苦しいで・・・by妻)
もしこのオリジナル作品が、今でも法隆寺金堂に壁画として残っていたら、法隆寺の
金堂は世界でも有数の古代美術の聖地になっていたことでしょう。
これが西暦700年頃の日本のお寺のお堂に描かれていたなんて、信じられませんね。
まさしく古代インドの雰囲気。仏教黎明期の逸話を描いているのでしょうね・・・
この菩薩様 ↓ は、芸術品としても十分鑑賞に耐えられるほど見事に復元されましたね。
こんな ↓ シュールな?壁画もありましたよ・・・迦陵頻伽(かりょうびんが)かな?
わかってはいたけど、法隆寺は比類のない素晴らしさです。中でも西院伽藍の中心と
なる金堂は、日本の歴史、それも日本という国がかたちづくられていく頃の、「証人」
といってもいいのかも・・・この狭い空間の中に、日本の古代史が凝縮しています・・・
ここまででもかなり充実した見学になりましたが、まだこれで半分です。
まだまだ法隆寺シリーズは続きます。(三日坊主にならんようにしいや・・・by妻)
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