久しぶりに関西の旅 ⑫法隆寺 ~その4:まだまだある国宝建築~
奈良・斑鳩の法隆寺の記事の続きです。
主要な見どころである西院伽藍をじっくり見学した後、回廊の外へ出て次のみどころ
に参ります。回廊の外側にも国宝建築があります。いったいどれだけの国宝があるので
しょうか?(国宝オタクのオッサンにはたまらんやろうな・・・by妻)
回廊に囲まれた西院伽藍の外側の東西に、細長い建物(西室、東室)があり、それら
に連なるようにして「三経院」、「聖霊院」という建物があります。すべてが国宝です。
先に東側の建物を見学します。まずは「東室」です。こちらは法隆寺に住む僧たちの
僧房として使われていたそうです。飛鳥時代の建築ですが、内部は見学できず外観のみ
の見学です。
この東室の南側に「聖霊院」があります。ここは鎌倉時代に、聖徳太子の像を祀る
ために建てられたものだそうで、やはり国宝建築です。正面入り口に階段が据えられ、
しかもそこに屋根が付いています。なかなか凝った造りをしています。内部には本尊
の聖徳太子像(平安時代末期の作、国宝)や、太子のご子息やゆかりの人たちの像が
祀られています。しかしこれらの像は毎年3月22日、太子の命日の法要の時にしか拝む
ことができません。
しかし、オッサンは昨年夏に東京で開催された「聖徳太子と法隆寺」展を見に行き、
この聖徳太子像とお供の像をじっくり見学していました。そうか、ここ ↑ に収められて
いたのですね。平安時代の木像彩色彫刻で、太子様は険しい表情をされています。
対照的に従者である太子のご子息や恵慈法師の姿は、ユーモラスな表情をしています。
さて、東室・聖霊院のさらに東側にも国宝建築が2つあります。「食堂(じきどう)」
と「綱封蔵(こうふうぞう)」です。「食堂」は僧たちが食事をとる場所で、奈良時代
の創建です。元々は社務所のような場所でしたが、平安時代に食堂として利用されるよう
になったといいます。似たような建物が2つ並んだ独特の建築です。
「綱封蔵」は法隆寺の宝物を所蔵するための高床式の蔵で、平安時代中期の建築だと
いわれています。かつてはこのような蔵が33もあったそうですが、現存するのはこの
綱封蔵ただ一つです。中にあった寺宝は、今では「大宝蔵殿」に移されています。
そして次は、かつてはこの綱封蔵にあった法隆寺の寺宝を展示している「大宝蔵殿」
(百済観音堂)を見学します。博物館のようにじっくりと見られる常設展示の場所です
から有難い。しかし、ちょっとまた長くなりそうなので、続きは次回で・・・
いつもこんな展開でスミマセン。(どうせ、そんなこったろうと思うたわ。by妻)
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