Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

久し振りに関西の旅 ⑯中宮寺:如意輪観世音菩薩(半跏思惟観音菩薩)像

  ベイジン五輪のことばかり書いていて、関西旅行の記事が中断したままでした。
 (別にどうだっていいがな。by妻)


  法隆寺をたっぷりと二時間近くかけて見学した後、東院伽藍のすぐ先にある中宮寺に
 向かいます。ここは法隆寺を総本山とする聖徳宗(しょうとくしゅう)の寺院で、やは
 り法隆寺同様に飛鳥時代を起源とする由緒あるお寺です。聖徳太子が母后のために建築
 した尼寺ということで、聖徳太子が政事を行った斑鳩宮すなわち現在の法隆寺東院伽藍
 に隣接して建てられたということです。しかし戦国時代に寺院は焼失し、当時のお堂は
 既に無く、寺院建築としては見るべきものはありません。しかし、ここには素晴らしい
 国宝の仏像があるのです。法隆寺の境内の続きのような感じで入り口を入ると、こんな
 感じ ↓ です。後方に見えるのが表御殿です。 江戸時代に造られた書院造り様式です。

  表御殿は現在の中宮寺のメインの建物ですが、先を急ぎます。順路に従ってい歩いて
 行くと、「本堂」と呼ばれる建物が見えてきます。かなり近代的な建物だなと思ったら、
 高松宮妃の発願で1968年(昭和43年)に建てられた、和風の現代建築なのだそうです。
 この中に、お宝が! 正面の扉を広く開けているので開放的な感じがします。

  靴を脱いで、正面の階段を上がって本堂の中に入ります。中には係りの女性がいて、
 見物客の監視をしています。十分おきくらいで案内ビデオが流れ、観光客の方々が正座
 をしてじっと説明を聞いています。皆さん、このお堂の本尊様である、飛鳥時代の木造
 菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう)を見に来ているのです。それではそのご尊顔を・・・

  写真は図録(A4の豪華版)から拝借しました。

       

  中宮寺で購入した図録によれば、正式名称は「如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜ
 おんぼさつ)」なのだそうです。
  材質はクスノキ材。一木造ではなく、頭部は前後2材、胴体の主要部は1材とし、これ
 に両脚部を含む1材、台座の大部分を形成する1材などをつなぎ合わせているそうでして、
 特異な寄せ木細工だということです。像の高さは約130センチ。木像なのに、少しメタリ
 ックな感じがしますが、これは経年変化で黒ずんでしまったからだそうです。
  右足を左ひざの上に組んで顎に手をやり、静かに物思いにふける姿はとても印象的で、
 なんとも優しい雰囲気です。どうしたら衆生の民を救うことができるかを考えてくださ
 っているところなのだそうです。我が国の数ある国宝の中でも、上位に位置するであろう
 素晴らしい作品です。横から見ると、この福耳が目立ちますね。

      

  なんと紀元七世紀に、このような素晴らしい芸術作品がわが国で生み出されていたの
 ですよ。インドや中国・朝鮮にはもはや残っていないので、世界的にも貴重な仏像です。  
 一度見たら忘れられないほど印象的で美しい仏様です。オッサン、リアルに鑑賞出来て
 感激しました。法隆寺においでになったら、ぜひ中宮寺も忘れずに立ち寄りましょう。
  そうそう、この仏像は日本の普通切手(額面50円)にも長らく使われていたくらい
 有名なのです。そういえば、昔見たことがあったな・・・50円は封書用だったからね。 

           

  
  さらに中宮寺にはもうひとつの国宝があります。こちらも飛鳥時代(起源七世紀)の
 作と言われる、天寿国繡帳残闕(てんじゅこくしゅうちょう ざんけつ)と呼ばれる作品
 です。1400年以上経過している染色織物が今でも残っているのです。これはスゴイ!
  残念ながら実物は奈良国立博物館に収蔵されているため、中宮寺本堂にあるのはコピー
 なのですが、ここに飛鳥時代の情景が描かれていると思うと感動します。

 

  聖徳太子の母、穴穂部間人皇女と聖徳太子の死去を悼んで王妃橘大郎女が多くの采女
 らとともに造った刺繡、曼荼羅なのだそうです。飛鳥時代の女性たちが、聖徳太子の死
 を悼み、丹精込めて作ったと思われます。彩色もまだ残っているので、極めて貴重です。
  
  いやぁ中宮寺、見逃してはもったいないです。風通しのよい本堂で、謎めいた古代の
 微笑で現代人を魅了する、優雅な観音様の慈愛溢れる仏像。見学している人々も満足の
 表情を浮かべていました。(オッサンもいたく感動したわけやんな・・・by妻)


  さぁもう11時です。この後は斑鳩の里から西の京に向かいます。レンタカーなので
 移動は楽ですが、休日の奈良県内の観光ルートはめちゃめちゃ混雑していました・・・
  すみません、次回に続きます。