Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

鉄道博物館に行ってきました・・・①戦前の名機たち

  昨日は三連休の中日(なかび)で、関東地方では唯一好天の予報でしたので、朝から
 出かけてきました。かねてから行こうと思っていた、博物館・美術館巡りです。
  まずは渋谷から湘南新宿ラインに乗って、埼玉県の大宮へ参ります。そうです、鉄道
 博物館(略称:てっぱく)です。大宮駅からは、新交通システム「ニューシャトル」で
 一駅です。この乗り物は大宮駅の新幹線高架下に駅があり、モノレールのような感じで
 す。大宮駅は始発駅ですが、ループ型になっているので列車は折り返すことなく、その
 まま大宮駅を通り過ぎて逆方向へ向かうことができます。遊園地の乗り物みたいな感じ
 で面白いですね。(下の写真の右手方向から大きくカーブして大宮駅に到着します。)

  ニューシャトルは、東北・上越新幹線開業にあたり、新幹線が通るだけの沿線の方々
 の便宜を図るため、通勤用に新幹線と並行して建設されました。実際新幹線の車窓から
 も見ることができますが、実際に乗車するのは初めてです。
  大宮駅を出発して数分で、「鉄道博物館」駅に到着します。

  この駅と鉄道博物館は直結していて、とても便利です。休日なので、お子様を連れた
 ご家族がたくさん下車して鉄道博物館に向かっています。そんな中を50過ぎのオッサン
 が一人でノコノコと出かけているの図・・・(鉄っちゃんやからな。by妻)


  通路のコンクリート床には東北新幹線の昔の時刻表が描かれています。昔はグリーン  
 車に個室があったんですねぇ。


  今はコロナ対策のため、あらかじめ時間指定予約をしておかなければ入場できません。
 オッサンは前日の夜に気づき、慌てて予約をしました。危ないところだった・・・
  まだ午前11時前ですので、さほど混んでいません。90%くらいはお子様を連れたご
 家族という感じでした。ただ、若いカップルやグループもいたりして、それなりに人気
 があるようです。オッサンはちょっと肩身が狭いけど・・・

  中は天上が高く、広くてのびのびしています。ここはJR東日本20周年となる2007年
 の10月14日(確か鉄道の日:日本初の鉄道の開通日)に完成したそうです。鉄道の要衝
 であった大宮が建設地に選ばれたのは納得です。
  さてメインの1階の広い実物車両の展示コーナーを見学します。ここは本場イギリス
 のヨーク鉄道博物館によ~く似ていますね(アホ)。というか、ヨークの鉄道博物館が
 お手本になっているのでしょう。(オッサンは、2019年の夏休みにヨーク鉄道博物館に
 行きました・・・自慢すんな!by妻) 本場英国ヨークの鉄道博物館の蒸気機関車は、
 こんな感じ ↓ でした。ドームに覆われ、転車台(ターンテーブル)の上に蒸気機関車が
 乗っているところもそっくりでしたよ・・・英国の蒸気機関車は、なんとなく監査法人
 トーマツ(失礼)ちゃう、機関車トーマスに似ているなぁ。(そらそうよ。by妻)

  さて、日本の鉄道博物館でまず出迎えてくれるのは、日本で最初の鉄道(1872年開通:
 新橋~横浜間)で走っていた第一号の蒸気機関車です。これは鉄道先進国の英国から輸入
 したものだそうです。歴史的な車両ですね。(なんと重要文化財に指定されています。
 鉄道車両としては初めてのことで、その名も「一号機関車」と呼ばれています。正式には
 国鉄5100型蒸気機関車というそうです。)



  その隣には、これまた有名な「弁慶号」と呼ばれる蒸気機関車がありました。北海道
 に鉄道が敷かれた時(1880年)に、米国から輸入された国鉄7100型蒸気機関車です。
 北の大地の開拓・開発に大きく貢献したのでしょう。このタイプの機関車は、ほかにも
 「義経号」「しづか号」など、粋な名前が付けられています。義経号は京都の鉄道博物
 館に、しづか号は小樽の総合博物館に展示されているそうです。
  弁慶号の雄姿です。力強い感じですね。

 
 あれ、なんだか壁面に蒸気機関車が埋め込まれたような展示があります。なんだろう?

  これは運転シミュレーターだそうです。最強の蒸気機関車D51の運転台に立って、自
 ら機関車を運転している気分になれるというアトラクションです。結構小さなお子様も
 チャレンジしていました。人気があるので抽選で当選した方しか参加できないようです。
 オッサンは不器用で車の運転も下手なので、こういうのはあまり興味がありません。
 (そや、オッサンは運転せん方がええわ。乗せてもらうだけにしときや。by妻)


  その奥には、お召列車(天皇陛下や皇室の方向けの御料列車)に使われた車両が展示
 されています。一般人には関係のないものですが、なかなか見る機会がありませんので
 ちょっと覗いてみました。しかし車両ごとガラスに覆われていて、よく見えませんでし
 た。やはり保安上の問題なのかな。

  お召列車をけん引する蒸気機関車には国旗が掲げられていました。鉄道雑誌などで
 こんな感じだったのを見たことがあります、那須の御用邸に行くときとかに使われたの
 でしょうね。蒸気機関車はC51型でした。菊の御紋とクロスする国旗が黒光りする蒸気
 機関車の車体にマッチします。走っているところを見てみたかったね・・・
 (オッサンの子供時代は、オッサンの生まれた町を通る東海道本線からはもう蒸気機関車
 は引退していたように思います。保存鉄道の大井川鉄道には今でも走っていますけど。)

  C51型蒸気機関車の解説パネルがありましたので掲載しておきます。


  さて、この大きなドームに覆われた展示場はとても広くて天井も高いのですが、少々
 暗いので見づらいです。スポットライトで車両を照らしてくれるのですが、ちょっと光
 が反射してしまって撮影しにくいですね・・・
  中央の大きな転車台(ターンテーブル)の上には、戦前の超特急燕号をけん引したと
 思われるC57型の蒸気機関車が展示されていました。迫力のD51に比べると、洗練され
 て優美さを感じさせる名機です。

 「貴婦人」と呼ばれていたのはC62型だったかな?このC57型も美しいと思うけど・・・

  いろいろなアングルから撮影しているオッサン。(ほぼ「危ない人」やな・・・by妻)


  この手前側には、主に東京や関東地方で使われていた、戦前の電気機関車や電車が
 多数展示されていました。茶色の地味な塗色がとても味わい深いですね。下の写真は、
 英国から輸入された電気機関車を改良して1930年~50年頃にかけて製造されたED17型
 電気機関車です。戦後しばらく、甲府と富士を結ぶ身延線などで走っていたようです。


 (Utubeで身延線を走るED17型電気機関車の八ミリフィルムの映像がありました。)  
 この頃から鉄っちゃんは存在したのですね。勝手に掲載してスミマセン・・・)
 


  お次は「ナデ6110形式6141号電車」と呼ばれる戦前の電車です。なんと、この車両も
 国の重要文化財に指定されています。仏像とかと同じレベルなのですよ、びっくりです。

     


  明治末期から大正時代、近代都市化する東京の山手線の混雑に対応するために造られ
 た電車だそうです。昆虫のバッタのような二本のアンテナが特徴的ですね。製造は1911
 年、関東大震災以前の貴重な車両です。

 

  車内の模型が展示されていて、着席することもできました。三等車(今の普通車)と
 いうネーミングも歴史を感じさせますね。床も板張りのオール木製車両です。 

     


  お次はもう少し時代が下って昭和の山手線。第二次世界大戦前、1932年から1942年の 
 間に造られた、ちょっとゴッツイ兄ちゃん?です。混雑する東京や大阪の国電区間で使用
 された、ロングシートタイプの車両です。今の通勤電車のハシリかな?

   

 この車両の後継タイプは東京近郊の南武線などで昭和40年代まで見られたようです。
 車体の鋲がリアルですね。いかにも頑丈そうです。車内はこんな感じで、通勤電車の
 雰囲気ですね。戦前のサラリーマンが、こんな電車に乗って通勤していたのでしょう。


  一方、地方の鉄道ではいまだに蒸気機関車に牽引された客車が主力でした。オッサン
 の住んでいたいた静岡県でも、昭和40年代前半までは客車列車があったようです。
 (記憶にはないですが、オッサンが赤ちゃんの頃、客車列車に乗った写真があったので。
 でも、こんな古い車両ではなかったような気がしますけど・・・)

     

  ストーブが設置されているのは、この車両が最後には青森県の津軽鉄道に譲渡され、
 「ストーブ列車」として活用されていたからのようです。解説は以下の通りです。形式
 はオハ31型というそうです。(だんだん手抜きになってきたの~ by妻)

 

    
  次は戦前の電気機関車の花形、流線型のフォルムが美しいEF55型の電気機関車です。
 愛称は「ムーミン」というらしいですが、名付けられたのは戦後のことですよね。まぁ
 確かにそんな感じがしないでもない・・・ 
  ちょっと満州鉄道の高速列車「あじあ号」を模倣した感じですね。狭い日本ですから、
 大陸のようなスピードは出なかったようですが・・・

  この電気機関車は、国鉄の東京~大阪間を結ぶ特急つばめ号などに利用されました。
 日本のトップ車両ですね。日本を代表する日立製作所、日本車両、東芝の3社が製造を
 委託されていたようです。ちょっと運用性・保守性に問題があったようですが、戦後も
 しばらくは目にすることができたようです。


  さぁ、戦前編?の最後を飾るのは、歴史を飾る一等展望車の「マイテ49型」です。
 東京と下関を結び、朝鮮の釜山に渡る船便に接続し、朝鮮半島や大陸の中国へ向かう人
 たちが利用した、特急かもめ・富士などの超一流特急列車の最後尾に繋がれていました。 
 当時の時刻表では「欧亜連絡国際特急列車」とありますので、中国からさらにロシアの
 シベリア鉄道を経由してヨーロッパまで行く人がいたのですね。

     

  内装はとてもゴージャスで、白いカバーがかけられたソファが向かい合わせに配置され
 当時の上流階級の方々、政治家や高級将校たちが利用していたのだと思われます。いやぁ
 これは豪華ですね。

    

  最後尾のデッキに立てば、景色を眺めながら旅を楽しむことができました。いいなぁ。

  東京駅からは下関と米原(乗り換えて敦賀まで行くと、ロシア極東に向かう船に乗る
 ことができる)まで、どちらかというと海外に行く人を運んだ列車が出ていました。
 まるで今の羽田空港の飛行機みたいですね。そういう役割だったのでしょう。

    


   やっぱり鉄道博物館はスゴイ展示でした。まだこれで車両展示コーナーの半分しか
  見ていません。次回は戦後の名列車をご紹介します。 (予想通り長くなりそうやな。
  みんな鉄っちゃんやないんやから、ほどほどにせんとな。by妻)