Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

鉄道博物館に行ってきました・・・②戦後昭和の国鉄車両

  2月ももう半ばですが、相変わらず寒い日が続きます。早く暖かくなってほしいです
 が、今年はもうしばらく我慢でしょうか。
  さて、先日行った大宮の鉄道博物館の記事を続けます。今回は戦後日本の発展ととも
 に歩んだ国鉄の花形車両たちが登場します。(多少、年代が前後するかもしれませんが
 ご容赦ください。)


  まずは東海道本線の花形特急列車を牽引してきた電気機関車EF58型です。これは
 昭和50年代くらいまでは東海道線を走っていまして、オッサンも見たことがあります。
 ただしその時は青い塗色でしたので、この茶色の塗色の機関車を間近で見るのは初めて
 です。客車列車をけん引するので、たまにお召列車に使われていたこともあるようです。
 鉄道博物館では、この後ろに見える青い客車をけん引する形で展示されています。  

  その青い客車とは、そう「ブルー・トレイン」の愛称で親しまれた、寝台特急用客車
 です。デビューは昭和33年、高度経済成長が始まる頃でしょうか? これまでは寝台
 列車と言うと、ちょっとうらぶれて寂しいイメージだったようですが、目の覚めるよう
 な濃い青色で統一されたオシャレな新型客車が登場し、一躍脚光を浴びたのだそうです。
 東京と下関を結ぶ夜行寝台特急「あさかぜ」号に使用され、颯爽と夜の東海道・山陽路
 を走り抜けました。まだ飛行機が一般的ではない時代、出張のビジネスマンや旅行客の
 憧れの列車だったそうです。
  この20系客車の最後尾の向かって左半分は、乗客が車窓を眺めることができる展望
 デッキのようになっています。

   

  なんと外からですが、一応社内の様子も見られるようになっていました。オッサンも
 小学生の頃はこのブルー・トレインにあこがれて、いつか乗りたいと夢見ていましたが
 オッサンが大人になって自由に旅行できるようになった頃には、寝台列車の需要が落ち、
 次々と廃止されてしまいました。九州行きの豪華な個室寝台や食堂車のある列車はなく
 なり、辛うじて残っていた東京~大阪間の夜行寝台急行「銀河」号に、大阪から東京へ
 向かう出張の時に乗っただけでした。その時乗った車両は、この一番古い20系客車でし
 た。三段式のB寝台だったので、ちょっと狭かったけどテンションが上がりましたよ。
  昼間は上段・中段の寝台を畳んで向かい合わせのボックス型の3×3の座席になり、
 夜はベッドを起こして向かい合わせの3段ベッドになります。

  乗務員の方が準備をしてくれます。ただしオッサンの乗った東京・大阪間の「銀河号」
 は乗車時間が夜だけなので、最初から寝台がセットされたままでしたけど。

    

  シックなダークブルーの車体にクリーム色の線がアクセントとなっています。優雅な
 イメージですよね。あぁ、あさかぜ号でも富士号でもさくら号でもはやぶさ号でもいい
 から、九州まで乗ってみたかったなぁ。子供の頃、朝7時過ぎに踏切を通過するブルー
 トレインを羨望の眼差しで見ていたオッサン・・・もうあれから40年以上たつのか。

 
  解説のパネルには詳しい説明が書かれています。そうそう「走るホテル」と呼ばれて
 いたそうですね。冷房完備で、目覚めた翌朝には目的地に着くので(少々狭くてプライ
 バシーの面ではちょっと難ありですけど)、当時はとても人気があったそうです。

  しかし新幹線が開通し、高速道路が整備されて安価な夜行高速バスが走るようになっ
 てからは衰退の一途。通常運転のブルー・トレインは平成に入ると姿を消しました。
 その後、北海道に向かう豪華寝台列車の「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」と
 いった特殊な観光用列車が一世を風靡しましたが、北海道新幹線(新函館まで)の開通
 とともに、それらも姿を消してしまいました。今も日本に残る寝台列車は、東京と山陰・
 四国を結ぶ電車型の寝台列車「サンライズ出雲/瀬戸」だけとなっています。寂しいね。


  「北斗星」の車両でも展示してあれば楽しいのですが、残念ながらそれはありません。
 かわりに、北斗星の豪華な車内を360度の角度で見られるウォークスルー体験コーナー
 がありました。うーん、これじゃぁイマイチようわからんわ。

    


  一方、全国各地の鉄道が電化されていくにつれて、高速な電車タイプの特急専用車両
 が開発されてきます。東海道新幹線が開通するまでは、東海道本線を電車特急「こだま」
 号が6時間かけて結んでいました。この電車の登場で、初めて東京・大阪間の日帰りが
 可能になったと言います。(でも朝7時に出発しても着くのが午後1時やで・・・by妻)
 電車特急「こだま」号の保存車両はありませんでしたが、座席の模型が展示されていま
 した。ちょっと見づらいですが快適なリクライニングシートです。卓上電話まであった
 のでしょうか?ゆったりした車内でくつろいだり、仕事をしたりしていたのでしょう。


 その後、日本の鉄道シーンを一変させる東海道新幹線が昭和39年10月に開通しました。  
 (オッサンの生まれる前ですが、オッサンの両親は新婚旅行で開通したばかりの新幹線
 に乗ったと言っていました。そんなことはどうでもえぇか・・・)
 ・・・しかし新幹線の展示は特別コーナーにありますので、後から見学します。


  さて新幹線が開通して東京・大阪間の在来線の優等列車は徐々に廃止されていきます
 が、そのかわり全国各地の幹線鉄道が電化され、「こだま号」の後継ともいうべき電車
 特急網が本州・九州に張り巡らされました。(北海道、四国はディーゼル特急が主役)
  鉄道博物館に展示されているのは、やはりJR東日本管轄の車両ですね。上野と新潟を
 結ぶ特急「とき」号と、上野と仙台を結ぶ特急「ひばり」号です。電車特急「こだま」
 号とスタイルがよく似たボンネット形式の車両です。
  「とき」号は直流型181系電車、「ひばり」号は交直両用型481系電車です。

 「ひばり」号の隣には、上野と秋田・青森を結ぶ夜行寝台特急「あけぼの」号をけん引
 した交流型電気機関車ED75型が展示されています。これもブルー・トレインだった
 と思います。あ、あけぼの号(現在は廃止)は、青森から秋田までの区間で寝台の座席
 利用ができましたので、オッサンは東北出張の時に一度利用したことがあります。
 (弘前から秋田の間だったかな。寝台列車の座席利用って、少し違和感があるけどね。)

  ところで、日本の鉄道の電化方式には直流型と交流型があって、当初は直流型が多い
 のですが、後から電化された区間はほぼ交流型となっているようです。そのほうが地上
 の設備投資が少なくて済むからだそうです。(九州や北陸も交流電化区間が多いです。)
  そのため、この上野・仙台間を結ぶ特急「ひばり」号は、上野から栃木県の黒磯まで
 は直流方式、黒磯から仙台までは交流方式に対応するため、交流直流ハイブリッド型の
 車両になっていました。そうそう、この博物館では電車の屋根や床下も見られるような
 構造になっていますので、「ひばり号」の屋根にあるパンタブラフを見るとその構造が
 わかるようですが、オッサンは電気や機械には疎いのでパスです。
  ちなみに特急電車「ひばり」号の普通車の車内はこんな感じ ↓ です。「一億総中流」
 時代なんて言われていましたけど、昭和40年代は一般人が普通に旅行や仕事で特急電車
 を利用するようになった頃なのでしょうね。内装も普通で、トキメキ感がありません。
 (贅沢言ったらあかんで。by妻) 

 
  お次は「とき」号の隣にいるさらにフツーの電車、451系急行車両です。こちらも
 交直両用型で、東北本線等の急行電車として運用されていたとのこと。

  座席はさらにフツーで庶民的ですね。こういうタイプの車両ってよく乗りました。
 たぶん直流型でも交流型でも社内設備はほぼ同じみたいですね、国鉄時代は。
  こういう座席配置の電車って、今でも走っているような気がしますけど・・・

  
  最後は極め付きの庶民型、通勤用の国電車両です。戦前タイプよりは多少洗練されて
 来たように思いますが、それでも歴史を感じさせる車両ですね・・・

 
  昭和30年代から40年代に投入された、画期的な通勤電車101系も展示されています。
 これは皆様おなじみですよね。(若い人は知らんと思うで・・・by妻)
  国鉄の通勤型車両のイメージを一新させるモダンな電車です。しかも路線ごとに色を
 塗り分けるという画期的なアイデアにより、国鉄の通勤電車の象徴になりました。
 このように中央線快速はオレンジ、中央線各駅停車は黄色、山手線は黄緑、京浜東北線
 は青と言う感じです。(イヤ、オレンジは大阪環状線で、青は阪和線、黄緑は関西本線、
 黄色は宝塚線:福知山線やで。by妻)

  花形列車だけでなく、通勤電車などの庶民的なものもきちんと展示しているのがいい
 ですね。人々が実際に利用したものを、記念として残してくれているのはいいことです。
 人々が慣れ親しんだ車両も、いずれは過去の歴史的遺物になってしまうのでしょう。
  
  今回も専門的(マニア)な内容になってしまいスミマセン。
  鉄ちゃんシリーズはまだ続くんかい?ほどほどにせんとな・・・(by妻)