Bonne(ボンヌ)のブログ

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久し振りに関西の旅 ㉑西の京:唐招提寺~その4・新宝蔵

  西の京にある唐招提寺の続きです。なかなか進まなくてスミマセン。
  開山堂で鑑真和上の御身替わり像をチラ見してから、新宝蔵の仏像を見学しました。
 新宝蔵は唐招提寺の保有する国宝や重要文化財を収蔵するため、1970年に建てられま
 した。鉄筋コンクリートのなんの面白味もない建物ですが、まぁ博物館みたいなもの
 ですから仕方ないですね。そんなことを思っていたら突然、にわか雨が降ってきました
 ので、急いで建物の中に駆け込みました。


  ここには2019年に国宝に指定された、奈良時代後期に造られた6体の木彫仏像があり
 ます。そのうちの3体は、今は失われた旧講堂に安置されていたもので作風が似通って
 います。カヤの木の一木(いちぼく)造りで、ボリューム感のある堂々たる仏像です。
  ※撮影禁止ですので、例によって写真はすべてHPから借用いたしました。


  まずは最も迫力のある薬師如来像です。他の2体は鼻を欠損していますが、この薬師
 如来様はお顔がほぼ完全に残っていて、そのふくよかな表情を拝むことができます。
 残念ながら左手首と右手の肘から先が失われていますが、中国の唐の影響なのか、全体
 的に厚みのある、豊満な体躯をしています。等身大でこれだけの厚みのある仏像を一本
 の木から彫り出したものは、なかなか珍しいのではないかと思います。特に、太ももが
 凄いですね。スピードスケートの選手のようです。(アホ)


  お次は獅子吼(ししく)菩薩立像です。菩薩ですので如来よりワンランク下の仏様
 ですね。そのためか?素材の木は薬師如来立像よりも樹齢の若い木を使っているそう
 です。ちゃんと差をつけているんですね。鼻と両腕の肘から先が欠けてしまっている

 のが残念ですが、なかなか凛々しいお姿です。元々は腕が4本あったそうです。


  最後は衆宝王(しゅうほうおう)菩薩立像です。こちらも鼻と両腕の肘から先の部分
 が欠損していますが、やはりふくよかで厚みのある仏像です。ちょっと目つきが悪いよ
 うな気もしますが・・・これは鑑真和上自身が持つ菩薩像を具体化したものといわれて
 いるそうです。(HPの解説より) 
  鑑真が渡来した当時の中国の王朝「唐」の時代は、中国に残る絵画や仏像などからも
 豊満な人がもてはやされていたようですので、その作風に似ているのかもしれない。 

  奈良時代(8世紀)の芸術性のある木彫仏像が、完全ではないにせよ現代まで残って
 いることは驚異的です。丈夫で上質な木を使っていたとはいえ、凄いです。 


  他にも重要文化財の十一面観音菩薩像(奈良時代後期の木彫)などがあります。
 さらに面白いものとしては、金堂の鴟尾(しび)が展示されています。国宝に指定された
 金堂が創建された当時から屋根の上に載っていたもので、これも国宝として扱われます。
 奈良時代後期(天平期)作で、現存する唯一のもので、鑑真和上と共に渡来した技術者
 が指導して造られたと言われているそうです。


  もう一つ興味深いものとして「勅額(ちょくがく)」があります。カッコイイです。
 大きさは縦1.48m、横1.17m、奈良時代に造られ、材質はヒノキ材です。講堂か中門に
 掲げられていたそうです。達筆ですね。中国の東晋時代の名書家「王義之(おうぎし)」
 の作風に倣っているといわれているそうです。これも8世紀から残っているわけです。
  現在はこのコピーが、唐招提寺見学者の入口である南大門に掲げられています。
 オッサン、知らずに見逃しておりました。(いっつも慌てているからやで。by妻)

 
  さあこれでようやく唐招提寺の主要な見どころを回りました。時刻は既に2時過ぎ。
 レンタカーの返却時刻まであと3時間しかありません。またしてもタイムトライアルの
 ような状況になってしまいました。幸いにも雨が上がりましたので、先を急ぎます。
  次は、唐招提寺から歩いて7~8分程の距離にある、これまた著名な薬師寺に向かい
 ます。お腹がすいてきましたが、沿道にある数少ない飲食店は観光客でいっぱい。蕎麦
 屋さんも行列でしたので、お昼抜きになるのも覚悟で薬師寺の見学を先にしました。


  唐招提寺から薬師寺に向かう狭い道は、これまた観光客でいっぱいでした。
  人がいない時は、こんな感じ ↓ の落ち着いた風情のある小径ですが。(ネットより)

  
  薬師寺の入り口に到着しました。写真を撮り忘れたので、これもネットから借用です。
 あ、今回も自分で撮影した写真が一枚もない。(手抜きが常態化してきたな。by妻)

 
  中学校の修学旅行の時以来の薬師寺ですが、次回に続きます。(ケチめ。by妻)