伊豆半島を少し観光して帰りました・・・その2:土肥金山
今日8月9日は長崎に原爆が投下された日でした。あの美しい街が一瞬にして廃墟と
なったとは許せません。無条件降伏なので仕方がないのですが、こんなことをしなくて
も、と思います。日本は戦争の加害者でありますが、このような面では被害者でもあり
ます。国と国の争いにはそれなりの理由があるのでしょうが、結局悲惨な目に遭うのは
罪もない一般市民なのです。長崎の平和記念公園、広島の原爆ドーム・・・どちらにも
平和を願う人々の思いが込められています。もちろん、祈っているだけでは平和は保証
されませんので、知恵と工夫が必要なのですが・・・
おっと、また始まる前から脱線しているオッサン。(昔、底抜け脱線ゲームっていう
TV番組があったやん。オッサンのためにある番組だったんちゃうか?by妻)
さて、西伊豆(正確には伊豆市)の土肥温泉で一泊した後、オッサンはクルマで伊豆
半島を観光してから帰る予定です。最初は伊豆半島の西海岸を南に下って、堂ヶ島まで
行ってみようか、それとも山道を登って修善寺や湯ヶ島の温泉に入ろうかと思いました
が、どこも昔一度行っているので今回は違うルートで帰ることにしました。
この日は明け方に激しい雨が降りましたが、朝7時頃には晴れてきました。
朝食も部屋でとることができます。朝からゴージャスな食事です。
定番の鯵の開き、カツオのタタキとイカそうめん、ワタリガニの味噌汁、塩を付けて
いただく自家製の豆腐、温泉卵など・・・オッサンはもうお腹がいっぱいです。
朝、もう一回お風呂に入ってさっぱりしてから、旅館を後にします。お世話になりま
した。いい旅館でした。・・・あれ?駐車場まで若女将さんが小走りにやってきます。
息を切らせて若女将が言うには・・・「お客様、お忘れ物です・・・」 😝😝😝
オッサン、やっぱり忘れ物をしていました。(もう手の施しようがないな。by妻)
ハンガーにかけていた(ユニクロの)服を忘れていました。うーん、部屋の中はきちん
と点検してきれいに片づけていたのに、クローゼットを確認していなかった・・・
やっぱりドジなオッサン、ケガをしたり忘れ物をしたり、毎回どんくさい・・・(by妻)
さて、今回は初めてのルートで、海岸線に沿って進路を北にとります。
おっとその前に、せっかく土肥まで来たので、この町一番の観光名所を訪れます。
はい、昔から土肥の町を有名にした「土肥金山」の博物館です。古くは天正の頃(室
町時代?)から発掘が始まり、江戸幕府に保護されて大いに栄えたと言います。米国の
西海岸を目指したゴールドラッシュではないけれど、仕事を求めて多くの男たちが土肥
にやってきて、街ができていったそうです。新潟県の佐渡と、ここ土肥の金山が、幕府
の財政を支えていたのかもしれません。お金には疎いオッサンですが、ここは必見です。
入場料は千円とかなり高めですが、観光案内所でもらった割引券を提示すると100円
割引になります。ふふふ。😉
(オッサン、普段はずぼらやけど、そういうところは結構マメやな。by妻)
中に入ると、まずはかつての坑道の跡を見学します。洞窟のようで、一歩中に入ると
ひんやりとします。気温は20℃以下ですね、これは。
中に入ると昔の坑道がそのまま保存されています。もう今では金が取れないのかな?
(いや、細々とは取れる場所もあるんちゃうか?by妻)
おっと、江戸時代の採掘現場を再現した人形がありました。機械仕掛けで動くので、
ちょっとびっくりしました。キツイ作業なので、ふんどし一丁ですね。(オッサンも、
夏の間にパンツ一丁で家事をするのはやめてんか。by妻)
手作業で、鑿(のみ)と金づちで採掘をしていたのですね、こりゃ大変だわ。
坑内は歩きやすいように整備されていましたが、天井の高さは昔のまま・・・
そしてオッサン、またやらかしました。 ゴツン! 痛っい~😢 目から火花が・・・
少し低くなった天井部分に頭を思いきりぶつけ、オッサンはもんどりうって転倒しま
した・・・(またか。by妻)今度は髪の毛の少ない(苦笑)前頭部なので衝撃をモロに
受け、たんこぶと少しの裂傷になりました。前後に人はいなかったので醜態を見られる
ことなく、すぐに立ち上がったオッサン。頭をさすりながらもなんとか歩き出しました。
(ホンマに気をつけんと、そのうち死ぬで。by妻) わーん、痛いよ~ん😭(アホ)
しばらく痛みがありましたが、持参したオロナイン軟膏を塗って応急処置をしました。
旅行に行く時には妻がいつも絆創膏やオロナインなどを入れてくれていたので、その癖
でオッサンもこういうものを持参しているのです。
(オッサンは生傷が絶えないからな。持っていてよかったやろ。私に感謝せなな。by妻)
這う這うの体で坑道から脱出したオッサン、順路に従って博物館?に辿り着きました。
ここでは採掘した鉱物を精錬するところなどを、やはり人形模型を使って展示していま
した。金をGETするためには、たくさんの工程と多くの人の力が必要だったのですね。
江戸時代の土肥の町のジオラマなどもあってなかなか興味深いのですが、やはり人気は
「ホンモノ」です。まずは江戸時代に流通していた代表的な金貨の展示です。
江戸が活気にあふれていた元禄時代、大飢饉の後で改革の嵐が吹き荒れた享保の時代、
こんな大判小判が流通していたのですね。
そういえば妻は時代劇が大好きで、平日にオッサンの帰宅を待っている間、よくCATV
で時代劇を見ていたようです。時代劇か、吉本新喜劇か、阪神タイガースの試合のどれか
は必ず見ていたようです。(オッサン、帰りが遅くなったら「駅まで迎えに来て下さい」
と懇願するから、私はビールも飲まずに時代劇を見ながら待っていたんやで。by妻)
そんな妻が満面に笑みを浮かべてよく言っていたセリフ、「越後屋、そちも悪よのう~」
えぇ?、オッサンはそんなに悪いことをしていたかな~(悪いことだらけやん。by妻)
しかし書いていて思うのは、うちの妻は嗜好がまるでオッサンやな~、ということ。
江戸時代の大判小判がザックザク、もいいですが、ここにはもっととんでもないモノ
があるのです。昔、テレビニュースでも報道されたのでご存知の方もいらっしゃるハズ。
そうです、コレ ↓ です。
旧土肥町(現在の伊豆市の一部)が、政府の地域振興施策「ふるさと創生一億円事
業?」を契機に購入したという「世界最大の金塊」です。えぇ~これ全部純金なの?
重量は250Kgもあり、大きさは見ての通りです。こりゃスゲェや。しかしこんなのっ
ぺらぼうの金塊だとなんだか有難味が感じられないですね・・・いかにも保存用という
感じ。ちなみに、ガラスケースに一部開けられた丸い穴から手を入れて、この金塊を直
に触ることができるのです。ミーハーなオッサンも世界最大の金塊を「なでなで」して
きました。ドドーンとアップで撮影。これが全部金ですか・・・感覚がマヒしそうです。
近くには警備の方が付きっきりでした。そらそうよ。なんせ時価はこの値段 ↓ ですから。
ヒィ~、にじゅういちおくにせんひゃくまんえ~ん!(動揺して平仮名か?by妻)
現実に目の前にあるのですが、もう現実味がなさ過ぎてあっけにとられました。
オッサン、角砂糖くらいの大きさでイイから欲しいです。(イヤ、それでも数十万円や。
同じ値段ならワインを買うやろ、オッサンは。by妻)
あ、そういえばうちにも金製品がひとつあったなぁ・・・
妻にせがまれて、オッサンが購入した金のペンダントです。妻はあまり自分で高級品
を買うことはないのですが、海外旅行に行った時にオッサンがワインやら皮革製品など
自分のものをさんざん購入した後で、「私はこれが欲しい」と遠慮がちに言うのです。
オッサン、「こんなモノのどこがいいんや?」と内心では思いつつも、妻のご機嫌取り
はその後のオッサンの生活にとって死活的に重要なため(笑)、購入を決意しました。
イタリアのヴェネツィアにある宝飾店のポメラートで、いかついガードマンの警備を
潜り抜け(認められたお客さんだけロック解除してくれて入店できる仕組み)、片言の
イタリア語でこのペンダントを無事GETできました。「オルソ・ドーロ(金の熊)」
で通じてしまったのがアホみたい(イタリアオペラの歌詞を覚えていてよかった・・・)
でも妻はこれが大のお気に入りで、ちょっとしたお出かけ時には必ず身に着けていま
した。もっと高級なものになると宝石があしらわれていて数百万円しますが、純金のみ
のクマのネックレスは、当時の円高ユーロ安の相場ならばオッサンでも購入可能でした。
これ、納棺の時に一緒に入れてあげようかと思ったのだけれど、妻の形見として残す
ことにしました。妻が大事にしていた宝物だからね・・・
あぁ、まさか土肥金山を見学した記事で、こんなことを書くとは思わなかった・・・
(オッサン、大概いいかげんな記事やからな。すぐ脱線転覆するしな・・・by妻)
ちょっとしんみりしてしまいましたので、今回はここまでとさせて頂きます。
あ、次は「その3」か・・・(いつまで続くんや一体?by妻)
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