Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

思い出の旅2007シチリア③:おぉパレルモ!ノルマン王宮へ・・・

  台風14号が九州に上陸し、オッサンが4年間を過ごした宮崎県ではとんでもない暴風
 雨になっているとのニュースが。オッサンが宮崎に居た4年間には、幸い台風の直撃は
 なかったのですが、それでも九州西部を通る台風では窓ガラスが割れるかと思うような
 風雨の激しさに驚いたのを覚えています。九州地方には台風がまだ勢力を保った状況で
 接近するのだと実感しました。どうか、宮崎・鹿児島および九州の皆様に被害がありま
 せんように。


  気を取り直して、2007年の夏に妻と行ったシチリア島の旅の記事を再開いたします。
 アリタリア航空のオーバーブッキング騒動に巻き込まれた妻とオッサン、なんとかその 
 日の最終便に滑り込んで、真夜中を過ぎてシチリアの州都パレルモに到着しました。
 空港バスがパレルモの新市街中心部に到着した頃には、既に午前1時を過ぎていました。
 日本時間では午前8時。朝起きてから、丸々26時間くらい経過しておりますので、完全
 に徹夜状態です。妻もオッサンもヘロヘロになってなんとかしてホテルにたどり着きま
 した。深夜1時をとっくに過ぎていましたが、フロントは開いていて、なんとか手続き
 ができました。この1年前に、ローマのホテルで予約が入っていないトラブルがあった
 のでちょっと心配しましたが、幸いホテルではハプニングはありませんでした。もしも
 ホテルの予約が入っていないと言われたら、オッサンは暴れていたと思います。(いや、
 もう暴れる元気もなかったと思うけどな・・・by妻)
  ともあれ、26時間経過してようやく布団に入ることができました。妻もオッサンも、
 バタンキューでした。しかし先が思いやられる・・・


  翌朝はゆっくり7時起き。ホテルの朝食はなかなか美味しかったと、妻の日記には
 書いてありました。イタリアは甘い菓子パンのようなものが多く、濃厚なエスプレッソ
 と一緒に頂くと非常においしいのです。妻は、これまでに泊まったイタリアのホテルの
 中では一番おいしい朝食だったと、日記に書いていました。
  さぁ朝食をしっかりとったら、パレルモの町を一日がかりで観光します。天気は晴れ。
 カラッとしていますが、じりじりと暑くなりそうです。宿泊ホテルの前で、出発前の妻。

     

  オッサンはホテルのすぐ近くにあるポリテアーマ劇場(演劇やコンサート会場)の前
 で記念写真を撮りました・・・あ、これは妻に撮影してもらったんだよね・・・
 (上手に撮れているやろ~。感謝せぇよ。by妻)

    
  ホテルがあるポリテアーマ広場はパレルモの新市街で治安が良く、周囲にはお洒落な
 カフェやブランドショップが軒を連ねていますが、パレルモの観光名所はここから少し
 離れた旧市街にあります。オッサンは広場近くのカフェ(バール)でバスのチケットを
 購入し、バス停に急ぎます。イタリアやヨーロッパではバスの切符はカフェやキオスク
 でしか購入できないことが多いので、注意が必要です。
  オッサンがバスの切符を購入している間、妻はカフェのディスプレイをじっと見てい
 て、シチリアのお菓子やグッズが面白いと言っていました。何か買っておけばよかった。


  この日は土曜日でしたが、朝のバス停は結構人が多くて賑やかでした。同じバス停に
 違う行先のバスがいっぱい来るので、オッサンは乗り間違えないよう注意しながらバス
 を待っていました。目的地の旧市街中心部のインデペンデンンツァ(独立)広場行きの
 バスは10分ほど遅れて到着し、オッサンたちはそそくさと乗り込みました。バスは遅れ
 を取り戻そうと、もの凄いスピードで飛ばすのでインデペンデンツァ広場には案外早く
 到着しました。この近くにあるヌオーヴァ(新しい)門から先が、歴史的なパレルモの
 中心になります。幹線道路もこの門を通っていますが、なにしろこのような狭さ ↓ です
 ので、交通のネックになってしまうようです。歩道もないので、行き交う車に注意しな
 がらヌオーヴァ門をくぐります。 


     

  この門は下のゲートのところに4人のムーア人(北アフリカのイスラム教徒)の像が
 刻まれており、ちょっとエキゾチックな雰囲気です。中央と、頂上の彩色屋根には神聖
 ローマ帝国の権威を表すワシの紋章が記されています。シチリアが最も栄えた11世紀~
 12世紀は、アラブ人のイスラム教徒に勝利したノルマン人(北欧系)の王朝がシチリア
 を巧みに統治していましたが、その後を継いだドイツ系のホーエンシュタウフェン家の
 フェデリーコ(フリードリッヒ)Ⅱ世が神聖ローマ帝国皇帝(ローマ教皇と権威を分け
 合う世俗君主のトップ)に就任したため、シチリアは一時期ヨーロッパの中心の一つと
 なり、パレルモの宮廷はヨーロッパでも屈指の力を持つことになりました。


  中世ヨーロッパはキリスト教(カトリック)勢力が絶対で、イスラム教などの異教は
 もちろん許容されず、世俗君主ですら教会に従属する時代でした。しかしシチリア島を
 制覇した荒くれ者のノルマン人は「おれたちそんなの関係ないもんねぇ~」と言ったの
 かどうかは知りませんが、信心深いキリスト教徒ではあったものの、少ない勢力で広大
 なシチリアを統治するには、「やっぱ今まで住んでた人に頼るしかないよねぇ~」など
 と言ったかどうかは知りませんが、前住民のアラブ人を懐柔しました。ところがこれが
 大正解だったのです。当時は土木技術や建築技術、灌漑技術や農業、天文学や地理等の
 学問はイスラム教勢力の方がはるかに高度な知識があり、優れていたのでした。結果と
 してシチリアを支配した緩い?キリスト教信者のノルマン人が、宮廷役人や技術者には
 征服したはずのアラブ人のイスラム教徒を重用するということになったのです。
  そしてノルマン王家の血筋とドイツ系の血を引くフェデリーコさんは、さらに一歩を
 踏み込んで、「仕方なく」ではなく、明確な意思を持ってキリスト教の束縛から自由に
 なろうとしたのです。中部イタリアのフィレンツェで、政治的なルネッサンスが始まる
 100年も前に、このパレルモでその先駆けともなる活動があったわけですから凄いです。
  ということでパレルモの町には、この11世紀~14世紀までのシチリア最盛期をしのば
 せる見どころがたくさんあるのです。オッサンもその見学を楽しみにしていました。
 ・・・能書きはえぇから、はよう先に行かんかい!(by妻)  


  はい、最初の見どころは、いきなりパレルモのノルマン王宮です。今でもシチリアの
 州政府・州議会として利用されていますので一般公開されているのは一部ですが、先程
 グダグダ述べていたノルマン王朝の時代から、増改築を繰り返して現在まで残っている
 貴重なモニュメントなのです。周囲は南国らしくヤシやソテツの樹が植えられています。

  ちょっと広くてどこが入口なのか迷いました。庭園に面したこちら側ではなく、裏側
 が王宮の見学入り口になっていました。
  ここはアラブ・ノルマン様式の中庭と、(ビザンチン帝国の文化遺産を継承したとい
 う)中世のモザイクで埋め尽くされた王宮礼拝堂や、ノルマン朝の王の居住スペース等
 が見学できるパレルモでも最も重要な観光名所なのです。

  王宮の中庭は二階建てになっており、回廊にはアーチ状の列柱が並び、エキゾチック
 な雰囲気です。これは13世紀くらいから修復されながらもずっと存続しているんですね。
 この写真の背後に見えるのが、歴代ノルマン王朝の王様たちが使った私的な礼拝堂です。
 ここはパレルモが誇る素晴らしいモザイクの宗教画があることで有名なのです・・・が。
      
  なんじゃぁこりゃぁ! 修復中で主祭壇のあの有名な「全能のキリスト」モザイク画
 を見ることができません。そしてあちこちに工事の足場が組まれています。あちゃ~。 

     

  オッサン、シャツの下のお腹が膨れていますが、パスポートや現金・貴重品を入れた
 袋を首からさげているのです。オッサンの場合、盗難対策というより忘れ物対策なので
 すが(笑)、こうして見るとちょっと格好悪いですね・・・


  それでも一部、柱や梁の部分のモザイクは見学できました。これだけでも相当スゴイ
 ことがわかります。古代ローマからビザンチン帝国に引き継がれたモザイクの芸術が、
 ここシチリアに引き継がれているのは興味深いことです。中世の西欧は文化的には遅れ
 た地域であり、むしろイスラム圏やここシチリアの方が芸術的なレベルは高かったのだ
 と言われています。なるほど・・・まぁ題材はキリスト教ばっかりだけどね。

     

  これは北イタリアのラヴェンナにあるモザイクに匹敵しますね。あ、ラヴェンナに
 あるのは6~7世紀とか言われていますので、パレルモより600年近く前なのですね。
 さすがにパレルモのモザイクの方が変化に富んでいて、細かいような気がします。

     

  床面にはコズマーティという、幾何学模様のモザイクが敷き詰められていました。
 これはなかなかオモシロイです。これを完成させるのはかなり根気がいる作業ですね。

  
  この時は修復中で見られなかった、このパラティーナ礼拝堂のすばらしさを、ネット
 から借用した写真でご覧いただきましょう。く~ぅ、生で見たかったなぁ・・・
 (悔しかったら、もういっぺん行くしかないやろな・・・by妻)

  もう何も言うことはありません、絶句です。人類の偉大な遺産の一つであることは
 間違いありません。オッサンはパレルモを二回訪れていますが、いまだにこの礼拝堂の
 モザイクを拝むことができておりません。なんとしてもリベンジしなければ・・・


  最後にオッサンが敬愛するイタリア・オペラ最大の巨匠、ジュゼッペ・ヴェルディ様
 の「シチリア島の夕べの祈り」から、アリア「おぉ、祖国パレルモ」で締めくくりたい
 と思います。(はぁ?by妻) ミラノ・スカラ座のライブ画像ですが画質が悪いです。
   
Ferruccio Furlanetto - O patria... o tu, Palermo
  後半部分からが有名なプロチーダさん(バス・パート)のアリアです。
 あ、これはオッサンが酔っぱらってお風呂に入ってよく歌っていた曲やな。近所迷惑
 にならんようにせんとな。(by妻)
  スミマセン・・・