Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

思い出の旅2007シチリア ⑤ パレルモのカテドラル(大聖堂)

  明日から再び3連休、しかしまたまた台風が日本列島に近寄るとのこと。イランなぁ。
 今回の台風は普通サイズ?のようですが、迷惑千万ですね。もう来なくていいのに。


  さて今日もシチリアの旅行記事を続けます。15年も前のことなんてちゃんと書けるか
 な?と不安に思っていましたが、妻の日記を参考にしながらではありますが、意外に?
 書けますね。(いや、いつも通りテキトウでいい加減な記事やと思うで・・・by妻)
  さてノルマン王宮とモスクを改造したサン・ジョヴァンニ・デッリ・エレミティ教会
 を見学した後は、これまたパレルモを代表する観光名所であるカテドラル(大聖堂)に
 参ります。カトリック王国のイタリアの町には、どんな小さな町でも主教会があります
 が、それは別名ドゥオーモと呼ばれることが多いのです。(ミラノ、クレモーナなどの
 北イタリア、フィレンツェやシエーナ、ルッカ、ピーサ等の中部イタリア、アマルフィ、
 ナーポリ、バーリ等の南イタリアや、シチリアでもカターニャやシラクーザの主教会は
 みんなドゥオーモと呼ばれています。)しかし、なぜかここパレルモの主教会はドゥオ
 ーモオではなく、カテドラルと呼ばれます。これはノルマン王朝の後にシチリアを支配
 した専制君主国家のフランス(アンジュー系)やスペイン(アラゴン系)の影響なのか
 なと思っています。バルセローナや、フランス各地の主教会はカテドラル(カセドラル)
 と呼ばれていますからね。(またウンチク?が始まったな・・・by妻)


  ノルマン王宮の前を通って、歩いて10分ほどでカテドラルに到着しました。これも
 壮大で荘厳な建築ですが、キリスト教会として長い間ずっと機能し続けてきたため、
 改築・増築のたびにその時代の建築様式が加わっているので、非常に個性的な建築と
 なったそうです。

  最初は古代ローマ時代末期の4世紀にキリスト教会として建設されましたが、のちの
 アラブ人の侵略によりいったんモスクに改造され、その後12世紀に北方のノルマン人に
 より再びキリスト教勢力が再復した後、1184年に改めてキリスト教会として再建された
 ということです。その時のオリジナルはアラブ・ノルマン様式と呼ばれる、イスラーム
 文化の様式を取り込んだ特異なスタイルですが、現在は一部にしかその痕跡は残ってい
 ないようです。その後、支配者が変わるたびにフランス風のゴシック様式、スペイン風
 のバロック様式といった感じでその時代の建築様式が追加されていったそうです。こう
 して見ると確かにいろいろなパターンが混ざってゴチャゴチャしている感じを受けます
 が、それでもなんとなく調和が保たれている感じがしないでもありません。


  この辺 ↓ の塔(鐘楼)の部分はゴシック様式のような感じがしますね。こちらは14世
 紀(フランスのアンジュー王朝支配時代)に造られたそうです。だとすれば、ゴシック
 様式になるのも当然かな。いかにも「付け足しました」という感じですが、変化が加わ
 って楽しいです。

     

  こちら ↓ の正面入り口部分はロマネスク様式のように見えます。後ろに見えるクーボラ
 (ドーム)はスペイン支配時代の18世紀に造られたバロック様式のようです。
   建築に詳しい人だったら興味津々でしょうね。

  建物の外観を見ているだけでも楽しいのですが、ここは内部の展示物?も素晴らしい
 のです。さっそく中に入ってみます。

  大きな教会なので内部もかなり広々としています。15~16世紀に大改築をされたため
 やはり当時のバロック様式の装飾がなされているようです。

    

  いかにもバロック様式といったゴチャゴチャした天井画が描かれていますが、主祭壇
 は意外にシンプルな感じです。ピンボケで見づらくてスミマセン。
  主祭壇よりも有名なのが、パレルモの守護聖人である聖ロザリアの礼拝堂です。確か
 に豪華な感じですね。聖ロザリアの聖遺物が安置されているのでしょうか。

  もう一つ有名なのは、金色の王冠を被った聖母子像です。これまたピンボケですみま
 せん。柔和な表情をした聖母にしがみつくような幼子キリストが印象的です。

     

  ここは今でも現役のパレルモの主教会なので、内部への入場は無料なのですが、一部
 の特別なゾーンと、地下にある宝物庫は有料となっています。もちろん、そこを見学し
 ないのではカテドラルに来た意味がありません。ケチなオッサンですが、渋々入場料を
 払って、まずはノルマン王家の霊廟を見学します。当時で2ユーロくらいだったかな?
  オッサンはお墓というのはあまり好きではなく、特に西洋のお墓は火葬ではないため
 遺体がそのまま収められているはずなのでさらにちょっとビビるのですが、このノルマ
 ン王家の霊廟は、お墓そのものはともかく、その周囲のモザイクを施された列柱が芸術
 的価値があるので、興味がありました。シチリアをアラブ人からキリスト教徒の手に取
 り戻したノルマン王朝の王様ルッジェーロⅡ世(まぁ早い話が元ヴァイキングですな)
 の華麗に装飾されたお墓をご覧ください。(オッサンはお墓の写真は撮らない主義です
 ので、ネットからの写真で代用いたします。)

        

  棺を取り囲む屋根とそれを支える6本の柱には、モザイク模様がはめ込まれていて、
 大変豪華です。柱のモザイクが1本ずつ絵柄が違うところも芸が細かいですね。北欧の
 荒くれ者の元ヴァイキング一家の皆さんは、イスラーム支配下のシチリアで育まれてい
 た古代ローマ時代のモザイク芸術のとりこになってしまったようですね。王宮の礼拝堂
 や自分の寝室をモザイクで飾り立てただけでなく、お墓にまでモザイクを取り入れてし
 まうのですから恐れ入ります。よっぽど気に入ったと見えますね。
  このルッジェーロⅡ世のお墓をはじめ、歴代のノルマン王朝の王様のお墓が並ぶ姿は
 大変壮観でした。これは見るべき価値があるものだと思います。お墓ですけど・・・ 


  そして続いては地下にある宝物庫に参ります。大きな教会というのは大概地下に秘密
 の?部屋があって、重要な品を収蔵していることが多いですね。
  ここで一番有名な宝物はこれ ↓ です。

  ノルマン朝のシチリア王かつ神聖ローマ皇帝に選出されたフェデリーコⅡ世の妻、
 スペイン・アラゴン王家から嫁いだコスタンツァの王冠です。少し色あせてはいます
 が、宝石がちりばめられ、左右にぶら下がる装飾的な飾りが特徴的です。ノルマン王
 家が滅んで以後も、こうした宝物が散逸せずに残っていることは奇跡的ですね。有難
 く拝観いたしました。ちなみに妻は日記帳にこんな漫画 ↓ を描いていました。(アホ)

     

  他にもよくわかりませんが、いろいろと珍しいお宝がたくさん展示されていました。
 こういうことにお詳しい方なら、十分楽しめるでしょう。王家の菩提寺?でもあります
 ので、純粋にキリスト教関係の宝物だけではなく、王家のお宝も展示されていました。

  あ、今気づきましたが、写真の妻が手に持っているノートが妻の残した旅行日記です。
 いつ書いていたんだろうと思っていましたが、こうやって観光の合間にちょこちょこと
 書いていたようです。(そうやで。めちゃくちゃ忙しかったわ。by妻)


  やっぱり、カテドラルはただの教会ではなかった。素晴らしい芸術品を見せて頂き、
 オッサンはやや機嫌が直りました。(単純やの~ by妻)
 ここまでで、まだ午前11:00前。まだまだたくさんパレルモには見どころがありますが、
 一日でどこまで見学できるか!(普通は3日くらいかけて見学しないと無理やで。by妻)  
 ということで、まだまだ続きますパレルモ編。