思い出の旅2007シチリア⑦:パレルモの市場で昼食
今日は朝から墓参りに行ってきました。しかし今日は10月とは思えない暑さで、少々
体力を消耗しましたので帰りは新幹線で早めに帰宅しました。
さて、妻と行ったシチリア島の旅行記を少し進めます。
パレルモの旧市街の街中をウロウロしていたオッサンたち、次の場所に向かおうとし
た時、日本語で「●●さ~ん!」という声がしました。え?誰だろうと思ったら、あの時
のタレントさん夫婦(声をかけてきたのは奥様)でした。こんなところで再会するとは。
聞くところによりますと、タレントさんご夫婦はパレルモのプンタ・ライージ空港到着
時に預けた荷物が出てこず、さらに大変なことになっていたようです。どうやら、当初
乗る予定の便に荷物だけ積み込まれ、先に到着していたようで、しばらくすったもんだ
した後に無事発見されたそうです。いやぁ、あのオーバーブッキング事件の後に荷物の
紛失事件もあったのでは、かなり精神的にダメージがきつかっただろうと思われます。
オッサン、荷物をスルーにせず、再度チェックインをして正解だったと思いました。
タレントさん夫婦はとても旅慣れているようで、この後はレンタカーでミラッツォと
いう町まで行き、フェリーでリパリ諸島まで行くそうです。個人旅行でここまでの行動
力というのはさすがです。知る人ぞ知るリゾート地のリパリ諸島でのんびり休暇を過ご
されるようです。しばらくお話した後、お互い、良い旅行をと言ってお別れしました。
そういえばこのタレントさん、有名人なのに全然そのような態度はなく、気さくに話を
してくれまして非常に好感が持てました。ま、こっちも有名人だという気兼ねをしては
おりませんでしたけど(つぅか、その時オッサンはよく知らなかったやろ。by妻)。
さてオッサンたちはこの後、シチリア考古学博物館で古代ギリシア時代の貴重な芸術
品を鑑賞するもりでしたが、なんと入口が閉まっています。おかしいな、休肝日ちゃう
休館日ではないはずなのに・・・まぁイタリア人のことだから職員が寝坊して午前中は
休みにしてしまったのかも。ひょっとして気が向いたら?、午後から開けてくれるかも
しれない、なんて勝手に想像して、次の目的地を先に見学することにしました。
はい、ここはパレルモのオペラハウス、テアトロ・マッシモです。マッシモ(最大)
というだけあって大きくて堂々とした劇場です。しかし訪れた時は夏ですのでオペラ
は上演しておらず、入口も閉まっていました。ちょっとくらい見学させてくれてもいい
のにな・・・まぁ、イタリア人は余計なことは絶対にしませんからね。上演がない時は
意地でも開けてくれないようです。余計な仕事をしないことが最優先なのでしょう。
(なんや、オッサンとそう変わらんやん。by妻)
ネットから写真を借用しますが、内部はこのように ↓ 豪華絢爛なようです。見たかった。
そうそう、この劇場はクラシック音楽ファン以外にも有名なのだそうです。それは、
あの有名な映画ゴッドファーザー・パートⅢのロケ地となったからです。マフィアの
ドン(主人公)家族が、観劇を終えてこの正面の大階段を下りてくるところを、敵対
する勢力に狙撃されてしまうのですが、ドンではなくその娘が凶弾に倒れてしまうの
です。その衝撃的なシーンはこのパレルモのテアトロ・マッシモなのでした。しかし
そのお陰でシチリア島=マフィアみたいなイメージが強まってしまったのは残念です。
まあマフィアが暗躍しているというのは事実のようですが・・・しかし、普通に観光
をしている限りでは、そのような暗い影は微塵も感じることはありませんでした。
さて、ちょっと寄り道しましたが次の目的地に参ります。ここも変わっています。
サンタ・チータ礼拝堂というのですが、外観はこのように ↓ パッとしない古ぼけた建物
ですが、狭い入口から中に入るとビックリです・・・
なんじゃこれは! 建物内部の壁一面に漆喰の彫刻が施されています。これは「漆喰
のパガニーニ」と異名を取った、パレルモ生まれのジャコモ・セルポッタが造った作品
です。その中でも最高傑作が、この ↓ 「レパントの海戦」です。
16世紀にギリシア西部のレパント沖で戦われた、オスマントルコとキリスト教諸国
連合軍による歴史的な海戦のシーンを表現したものです。圧倒的な兵力(数)の大軍
と破壊力抜群の大砲による物量作戦で、当時のキリスト教世界を侵略して脅威となって
いたオスマン・トルコの海軍を、ヴェネツィア共和国海軍を主体としたキリスト教諸国
の海軍が総力戦の末に破り、オスマントルコの西欧への進出を抑え込んだ歴史的な戦闘
です。(なんだか21世紀の今も、似たようなことが起きそうですが。)
この作品は、その壮大な歴史絵巻を漆喰彫刻で立体的に描き出しています。18世紀の
バロック時代(スペイン統治下)の作品ですが、一応レパントの海戦のキリスト教国側
の大将はスペイン王家の者でしたので、題材として選ばれたのでしょう。ただ実際には、
スペイン王国は地中海東部にはさほど権益を持っていなかったので自らの手を汚さず、
その地域に死活的な権益を有していたヴェネツィア共和国の海軍が主役となりました。
人のふんどしで相撲を取っておきながら、勝ったら自分たちのおかげと言い張る当時の
スペイン王国。ヤな奴らですね。(また脱線しとるで。by妻)
そうこうしているうちにお昼時になりました。このサンタ・チータ礼拝堂の近くには
パレルモの「庶民の台所」と呼ばれるア・ヴッチリアという市場がありますので、そこ
を見学しながら、昼食をとることにしました。
狭い路地に肉、魚、野菜・果物、雑貨などを売る店(屋台?)がたくさん出ています。
パレルモの市場は、この町の魅力の一つでもあるのです。築地市場のような仲買人向け
の市場ではなく、普通の庶民が毎日の買い物をするような場所です。ただ時間帯がお昼
でしたので、人通りが少なくて活気がいまいち感じられません。それらしい雰囲気を感
じるには、やはり朝方か、夕刻に訪れるのがいいようです。
しかし、この時はお目当てのレストランを探すのに必死で、あまり写真を撮っていま
せんでした。ネットの写真から、イメージに近いと思うものを掲載させていただきます。
やっぱりパレルモ・シチリアといえばカジキマグロですね。こんな ↓ 風に店頭でその
お姿をあちこちで見ることができます。シチリアでは日本のような赤身のマグロもぶつ
切りです。刺身では食べませんからね、グリルしてステーキというのが一般的です。
さてお目当てのレストランは、この市場の中をウロウロしているうちに偶然見つかり
ました。お店の写真を撮り忘れたので、お店の雰囲気をお伝え出来ず、すみません。
妻はだいぶお疲れ気味のようでした。しかし、ここのお店の兄ちゃんに勧められた
前菜のトマトのオーヴン焼きが美味しかったらしく、食欲が回復したと言っていました。
前菜の写真を撮り忘れたなぁ、私は何を食べたんだっけ?
妻の日記によると、妻が食べたのは「ブカトーニ(やや太めのパスタ)アッラ・ノル
マ」という茄子とトマトのシチリア風です。定番のパスタですね。オッサンは、あまり
記憶にないのですが、どうやら「ブカトーニ・パレルミターナ」というパレルモ名物の
パスタを食べたようです。マグロのカラスミ(粉末)がまぶしてあって、アンチョビと
ペペロンチーノで味付けされていて、ちょっとしょっぱ辛かったと言っていたようです。
松の実、パン粉で揚げたイワシ、レーズン、トマトも入っていました。
オッサン、暑くてもうシャツのボタンをはずしていました。
腹ごしらえをして、再び観光に出掛けます。(忙しいの~ by妻)
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