Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

村上選手が56号ホームラン、そして最年少で三冠王!

  10月に入ってプロ野球の公式リーグ戦は終了しまましたが、今年は最後までいろいろ
 話題がありました。セ・リーグは早々にヤクルトが2年連続の優勝を決めて、2位には
 阪神をコテンパンにやっつけたDeNAが入ると、暗いMAXシリーズ出場権の3位を
 阪神、巨人、広島、中日の負け越し軍団が最後まで争うという情けないけれど目の離せ
 ない展開になりました。そのどうでもいい低レベルの争いをなんとか勝ち抜いて阪神が
 3位に滑り込みました。CSの相手はこのところ負けっぱなしのハマスタでのDeNA
 戦ですので、せめて一矢を報いてほしいところ。
  そして昨日はパ・リーグの優勝が劇的な形で決まりました。マジック1となっていた
 首位のソフトバンクが敗れ、1ゲーム差で2位につけていたオリックスが楽天のマー君
 を打ち崩しての逆転勝利。これにより76勝65敗2分けでソフトバンクとオリックス
 がピッタリ並んだのですが、ルールにより昨年の順位が上のオリックスが大逆転優勝と
 なりました。マジックが一度も点灯せず、最終試合で「まくり」の大逆転なんて、これ
 までなかったのでは?終わってみれば両リーグとも、昨年の覇者が連覇となりました。


  さぁそして、公式リーグ戦最終戦となったこの日、また大きな記録が生まれました。

  ヤクルトの若き主砲、22歳の村上崇隆選手が最終戦の第四打席で待望の56号!
 王貞治さんの持つ日本人のホームラン記録を58年ぶりに更新しました。スゲェ!
 そして、史上最年少での三冠王です。これまで三冠王と言えば王貞治さんや野村克也
 さん、落合博満さんなどの超一流打者が、しかもキャリアの最盛期に達成するような
 ものという認識でしたが、若武者村上選手がその常識を覆してくれました。
  打率3割1分8厘、打点134、ホームラン56本と堂々たる成績です。特に打点と
 ホームランはそてぞれ2位の選手が87点(阪神・大山とDeNA・牧)と30本(巨人
 ・岡本)ですから図抜けています。全く持って脱帽ですね。タイガースの大山・佐藤も
 来シーズンは少しでも村上選手に近づくくらい活躍してほしいものです。
  ともあれ、日本人新記録の56号ホームラン、史上最年少3冠王をダブルで獲得です。
 おめでとうございます。でも来シーズンはお手柔らかにお願いしますよ・・・


  ところで、歴代の三冠王ってどのくらいいるのでしょうか?
  まずは、この人です。戦後初の三冠王、1965年(オッサンの誕生年)のことです。

        

  南海ホークスの4番、故野村克也さんです。キャッチャーという頭脳を使うポジショ
 ンでありながら、戦後初の三冠王を達成しました。
  ご本人も自覚していた通り、人気のセ・リーグの人気球団巨人の花形選手である長嶋
 茂雄さんに強烈なライバル心を燃やしていましたが、球場に閑古鳥の鳴く?当時不人気
 なパ・リーグの南海ホークス(親会社は南海電鉄)では、いくら活躍しても全国的な知
 名度はあがらず、「長嶋はひまわり、俺は月見草。」とぼやいていたということです。
 でも栄えある三冠王は、長嶋選手はついに達成できませんでしたので、もっと自慢して
 もよかったのかもしれませんね。でもノムさん、またスゴイ男が出てきましたよ!


  そして三冠王と言えば、真っ先に思い出すのがこの人でしょう。ご存知世界のホーム
 ラン王、王貞治さんです。今回、日本人最多ホームラン記録は抜かれてしまいましたが、
 確か当時は1シーズン130試合で、今より10試合以上少なかったわけですから、実質的
 にはまだ上といえるのかもしれませんね。なんと王さんは1973年、74年と二年連続で
 三冠王を獲得しているのですから、こりゃスゴイ。さすが世界の王さんです。

  オッサンはタイガースファンですので、王選手には何度も痛い目にあわされましたが
 (イヤ、別にオッサンに何かしたわけやないやろ。by妻)、誰もが認める大記録です。


  そして、三冠王といえば上には上がいます。そうです、「オレ流」の天才打者です。

      

  パリーグのロッテ(まだ千葉ではなく川崎球場だった頃かな)だったので、ノムさん
 同様にあまり全国的な人気は出ていなかったのですが、1982年、85年、86年と3回も
 三冠王を獲得し、一躍注目されました。1985年には打率3割6分7厘、ホームラン52本、
 打点は146点という驚異的な記録でした。しかしこの年は、阪神タイガースが日本一に
 なったために日本中が大騒ぎとなり、落合さんのスゴイ記録もかすんでしまったようで
 す。(そういうオッサンも、よう覚えてへんやろ。by妻)

  落合さん、ウィキペディアを見たら、結構苦労人だったのですね。ものすごい才能の
 持ち主と認められていたのに、古い体質の野球部(高校、大学)には馴染めず、やる気
 をなくしてしまったのですが、社会人野球に入って注目され、25歳でプロにスカウトを
 されたそうです。(実はその前年に阪神が指名するという話があったらしいですが、な
 ぜか立ち消えになったそうです。落合さんが阪神に入っていたら、もっと早く優勝でき
 ていたかもしれない。(イヤ、阪神球団のカラーには合わなかったと思うで。by妻)


  その阪神タイガースを日本一に導いた立役者の一人、史上最強の助っ人と呼ばれた
 ランディ・バース氏も、1985年と86年に二年連続で三冠王を獲得しています。

  そら、阪神タイガース21年ぶりの優勝(+日本一)とバースの三冠王の前では、落合
 さんのパ・リーグ三冠王は目立たなかっただろうと思います。パの優勝は西武ライオン
 ズでしたからね。日本シリーズはトラ対ライオンの獣王シリーズ。オッサンは、阪神の
 日本一が決まった第6戦を西武球場(当時は屋根がなかった)で生観戦したのですよ!
 (何を自慢しとるんや。また話がズレてるで!by妻)


  そうそう、この時期にはもう一人外国人の三冠王が誕生しました。これまた不人気の
 パ・リーグで最も人気のない球団(失礼)だった阪急ブレーブスの助っ人、ブーマー氏
 です。1984年にパリーグの三冠王に輝きました。(下の写真の中央の方)

  1980年代は、毎年のように三冠王が誕生していたのですね。これは1985~86年頃で
 しょうか?三冠王の3選手(落合さん、ブーマー氏、バース氏)がオールスター戦?で
 顔を合わせた時の一枚でしょうか。三冠王のそろい踏みとはスゲェです。もはや今後は
 あり得ないでしょう・・・


  そしてその後はかなり時が流れて、2004年のソフトバンクいや、その前身の福岡ダイ
 エーホークス黄金時代のこの方です。

            

  九州男児、松中信彦さん。平成時代の唯一の三冠王だそうです。そうなんですね。
  やっぱりホームランを量産する長距離打者は、打率(アベレージ)を稼ぐのが得意で
 はない人が多いのでしょうね。この時代にはむしろ「3割、30本塁打、30盗塁」と
 いうバランスの取れた選手が注目されていたように思います。


  ということで、戦後から昭和・平成・令和とたどっても、三冠王を達成した選手は、
 なんと6人しかいないのです。そして今夜、令和初、7人目の三冠王が誕生しました。
 村上選手はまだ若いですから、落合さんの三冠王記録更新まで狙えてしまうかも。
 いや、阪神タイガースの選手が奮起して、それを阻んでもらいたいものです。


 ・・・ということで、今日は三冠王のお話だけになってしまいました・・・