Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

思い出の旅2007シチリア⑧:モンレアーレ大聖堂

  シチリアの旅をもうしばらく続けさせてください。(まだ1日目だけどな。by妻)
  パレルモ旧市街の市場にある庶民的なレストランで昼食を取り、再びシチリア考古学
 博物館に行ってみましたが、やはり鉄の門扉がガッシリと閉じられたままです。えぇ~
 (写真はネットから借用。この鉄の門が締まり、入口の扉も固く閉ざされていました。)

  ここはものすごく楽しみにしていたところなので、オッサンはあきらめきれず裏手に
 回ってみます。すると裏口の門が開いていて、博物館に勤めている人と思しき人たちが
 何やら憩いの一時を過ごしている感じです。オッサン、意を決して「あの~、何時から
 開くのでしょうか?」と尋ねます。すると、「今日を含めて数日間は休館なんです」と
 無情の答えが。「イヤ、そんならなんであんたたちはここにいるのですか?」、という
 複雑なイタリア語は話せませんので、オッサンは一言「ペルケ⤴?(なぜ?)」と必殺
 のセリフを繰り出しました。(アホ) 
  (「なぜ」と訊いても、返って来る答がどうせ理解できんやろ。アホちゃうか。by妻)
  どうやらしばらく修復作業に入るのだということのようです。ちょうどバカンスシー
 ズンなのでこの時期に傷んだ展示品の修復や、掃除をするみたいです。こういう場合は
 もう大人しく引き下がるしかないですね。ここにはシチリア島内の著名な古代ギリシャ
 遺跡(セリヌンテやセジェスタ)から出土した超一級の芸術品が展示されているので、
 オッサンはこれを鑑賞できるのをとても楽しみにしていました。もう、がっかりです。
 (なんだかパレルモでは見たかったものがなかなか見られないの~ オッサンの日頃の
 行いがいかに悪かったかっちゅうこっちゃな~。by妻) 


  本当ならこんなすばらしい作品 ↓ が見られたはずなのに・・・
  紀元前3世紀頃の作と言われる、シラクーザ(シチリア島南東部)の青銅製の雄羊
 です。迫力満点ですね。     

  そしてシチリア島南西部の古代ギリシャ遺跡のセリヌンテの神殿の一部が展示されて
 います。現地の神殿は地震で壊れた後の建物の遺跡しか残っていませんが、神殿正面を
 飾る貴重な彫刻がこの博物館に収められていて、じっくり鑑賞できるはずでした。
 ここもやっぱりお預けです。2回パレルモを訪れて、2回とも見学できないとは・・・
 なんとかしてもう1回シチリアに行って、今度こそ考古学博物館(とパラティーナ礼拝堂
 のモザイク)を見学するぞ、と秘かに心に誓ったオッサンでした・・・

  実は本場ギリシアよりも、シチリアの方がギリシア時代の美術品が多く残っているの
 です。古代ギリシアのポリス(アテネやコリントなど)の人たちは、祖国の肥沃な土地
 が限られるため、より豊かな暮らしを求めて多くの人たちが船で海外に移民し、南イタ
 リアや北アフリカ、小アジアの地中海沿岸に植民をしました。しかし後代の植民地とは
 違い、入植した人たちは終生その地を故郷とし、本国の支配からは独立した都市国家に
 なっていたそうです。シチリア島にはシラクーザ、セリヌンテ、そして後日訪れるアグ
 リジェントなど、本国ギリシアのポリス(都市国家)を凌駕する繁栄を極めた町が多い
 ということです。その最盛期は紀元前5世紀前後なのですが、その時の文化遺産がここ
 シチリアにはたくさん残っているのです。
  シチリアには、古代ギリシア、古代ローマ、イスラム、アラブ・ノルマン、ゴシック、
 バロック、ネオ・ルネッサンスというように、さまざまな時代を代表する文化遺産が、
 一つの場所に今でも残っているという、世界でも類例がない魅力的な場所だと思います。


  シチリア考古学博物館を見られなくてがっくり肩を落としたオッサンですが、仕方が
 ないので気を取り直して次の目的地に向かいます。パレルモの郊外モンレアーレです。
 遠いのでバスで行く予定でしたが、モンレアーレ行きのバスは日中は一時間に一本しか
 ないため、時間の節約のためにタクシーで向かうことにしました。ちょっと痛い出費で
 すが、ヨーロッパは日本と比べますとタクシーの料金は割安だと思いますので、貴重な
 時間を節約できると思えば利用価値はあります。
  パレルモ旧市街から車で約20分。町の南側にある小高い丘の上にモンレアーレの町は
 佇んでいます。こんなところまでやって来たのはわけがあります。ここには世界トップ
 クラスのモザイク画を有するモンレアーレ大聖堂(ドゥオーモ)があるのです。
  実はオッサン、35年前の学生旅行の時にもバスでここを訪れましたが、やはり大聖堂 
 は閉まっていて内部の見学ができませんでした。(そんな話ばっかりやな・・・by妻)
 この時はなんとしてもリベンジして、その素晴らしいモザイク芸術をこの目で見たかっ
 たのでした。ということで、いざ参らん!

  ・・・その前に、パレルモの町を見下ろす高台で記念撮影です。この日もメチャ暑い。
 コンカ・ドーロ(黄金の盆地)と呼ばれるパレルモ市街を一望し、遠くにはイオニア海
 (地中海の一部、シチリア島の北側の海域)が見えました。


  モンレアーレ大聖堂はノルマン王朝のグリエルモⅡ世の命により、12世紀後半に創建
 されました。しかし当時の建築で残っているのは塔の一部だけで、他は後代に再建され
 たものだそうです。特に正面入り口近くのアーチ部分は比較的新しいみたいで、周囲と
 少しアンマッチな感じがしますね。 

  そのアーチ部分を潜り抜けたところにある正面の青銅製の扉は、1185年にボナンニ・
 ピサーノ(ピーサの人の意味)さんが作り上げた傑作です。
  少し見にくいですが、扉の左右にびっしりと旧約聖書の場面が刻まれています。この
 門は芸術品として観賞対象なので、ここからは入ることができません。     

      

   
   そしてはやる心を抑えつつ、巨大な大聖堂の内部に足を踏み入れますと・・・おぉ!

  たまげました・・・なんという豪奢な空間でしょう。正面主祭壇の上部には「全能の
 キリスト」の巨大なモザイク画が厳かに我々を見下ろしています。このキンキラキンの
 ガラスモザイクは当時ビザンチン帝国(東ローマ帝国)のコンスタンティノープル(現
 トルコのイスタンブル)から最高の技術を導入して造られたと推定されています。
  そして主祭壇周辺だけではなく、この広い内部の身廊部分もすべて、大理石の列柱が
 支える上部はモザイク画でびっしりと埋め尽くされているのです。壮観そのものです。


  旧約聖書の各場面が精緻なモザイク画で描かれています。アダムとイヴのシーンや、
 ノアの箱舟のシーンなど、信者が理解しやすいような絵になっていますね。

  列柱の上の梁の部分には、諸聖人や王様たちの像が描かれています。いやあ見事だ。
  そして、「全能のキリスト」像を間近で鑑賞します。とても大きいのですが、堂内は
 暗いので写真をうまく撮影できません(ストロボは厳禁)。どうしようか、とマゴマゴ
 していたら、突然ぱぁっと主祭壇付近が明るくなりました。え?なんだろう?

  全能のキリスト様が明るい光に照らされて、金色のモザイクが光り輝くように美しく
 見ることができました。どうやら1ユーロを投入すると、観賞用のスポットライト?が
 30秒ほど点灯してくれるようです。ケチなオッサンは自分では支払わずに、誰かがお金
 を入れて明かりがつくのを待ってから撮影しました。(アホ、どケチ。by妻) 

  妻も驚いて、非常に感動していたようです。「あっかんだ(漢字がわからん)」と
 日記に書かれていました。(アホ・・・「圧巻」ね。) 

  学生旅行の時の悔しさを20年ぶりに晴らすことができました。
  オッサンはこの広い堂内を何度も行ったり来たりしながら、写真とビデオ撮影をして
 おりました。ノルマン王宮のパラティーナ礼拝堂のモザイク画が見られなかった鬱憤を  
 少し晴らせました・・・
  いやぁ素晴らしいです。でも、モンレアーレ大聖堂のすばらしさは、これだけでは
 ありません。少し長くなりましたので、続きは次回に!(やっぱり、どケチや。by妻)