Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

思い出の旅2007シチリア⑩:ロングトランスファーでシチリアを縦断+横断

  話があちこちに飛びますが、妻と行った15年前のシチリア旅行の続きです。
  パレルモに2泊して、やや消化不良のパレルモ旧市街の観光と、郊外にあるモンレア
 ーレの大聖堂を見学した後、翌日は日本から予約していたロングトランスファー(車で
 観光をしながら次の目的地までつれて行った貰うシステム)での大移動です。
  シチリア島は地中海最大の島で意外に広いうえに観光名所が点在しており、公共交通
 機関(鉄道、バス)の便があまりよくないということで、個人旅行で効率的なスケジュ
 ールを立てるのは至難の業です。そこでオッサン、ネットで検索して発見したこのサー
 ビスを利用することにしました。と言っても、企画はシチリア島に在住の日本人の方で
 予約手続きは日本から日本語で電子メールを介して簡単にすることができました。


  3日目の朝9時に、宿泊していたパレルモのホテルの前まで迎えに来てもらうことに
 なっていて、支払いは現地で運転手の方(イタリア人)に現金払い(ユーロ)で支払う
 ということです。ちゃんと予定通りきてくれるのか、少々不安に思っておりました。
 (なんせ、相手はイタリア人やからな。シチリアの人やろうけど。by妻)
  妻は、日記によるともうひとつ心配ごとがあったようです。この日は少し体調が優れ
 ず、もし車がおんぼろフィアットで、運転手がイケイケの兄ちゃんだったらどうしよう
 と考えていたようです。妻は乗り物に酔いやすいので、相当警戒していたようでした。


  しかしパレルモのホテルの前に時間通りに現れたのは、小柄なロマンスグレーのオジ
 さまです。そして車は大きなメルセデス・ベンツ。これを見て、妻は安心したようです。
 妻の日記には、「トランクも大きくて、うちのバカでかい荷物もするっと収納された」
 と書かれていました。この大荷物を持って自力であちこち移動しなくていいのは助かり
 ますね。この時ばかりは妻も「オッサンのこの選択は正解や」と言っていました。
 まぁそれなりの料金がかかりましたが、このままシチリア島内の非常に行きにくい場所
 を何か所か観光した後、次の宿泊ホテルまで手ぶらでつれて行ってくれるので、こんな
 に楽なことはありません。あれ、待てよ。でも、これってツアー旅行だったら当たり前
 ちゃう?・・・いやいや、大きな違いがあります。それはスケジュールを自分で決める
 ことができる、ということです。物理的に可能な範囲で、ですけどね。(当たり前やん。
 オッサンはたまに物理的に不可能なスケジュールを立てるからな。by妻) 


  ということで、オッサンが企画した(いつも通りパンパンの)スケジュールで、メル
 セデスに乗ってのシチリア島のロングトランスファーに出発です。
  最初の目的地は、パレルモから島を縦断した南側にあるギリシア時代の遺跡が残る街
 アグリジェントです。高速道路が通じていませんので一般道のドライブです。


  しかし、出発してすぐに妻が「トイレに行きたい」と言い出しました。やはり少し
 体調が良くないようです。オッサンがその旨をたどたどしいイタリア語で伝えると、
 運転手さんはすぐに近くのガソリンスタンドに停車し、トイレを借りてくれました。
 これで妻も体調が少し回復してきたようです。
  パレルモ市街地から抜けるのに少々時間を要しましたが、郊外に出てからは順調です。
 パレルモからアグリジェントへ行くには、標高こそそれほどではありませんがちょっと
 した山地を抜けていくため、鉄道だと2時間半くらいかかります。クルマですと一般道
 利用ですが、2時間少々でアグリジェントの街の南側の海岸沿いにある「神殿の谷」に
 到着しました。ここは紀元前5世紀に最盛期を迎えた、当時のシチリアで最大の繁栄を
 誇ったという古代都市アクラガスの遺跡です。本家ギリシャ以上に、多くの神殿が遺跡
 として残っており、おそらく古代ギリシア遺跡としては世界で最も大規模で保存状態が
 良い、貴重な遺跡ではないかと思われます。オッサンは学生時代の卒業旅行でパレルモ
 から鉄道でここを訪れていますので、二度目の訪問です。北側の丘の上にある鉄道駅か
 らは相当離れた場所にありますので、徒歩だと30分くらいかかります。

     

  上の地図の上部にあるのが、丘の上にあるアグリジェント市街地で、中世の街です。
 駅はこの街の下に突っ込んだ形の地下駅になります。階段を上って地上に出て、駅前
 の広場から神殿の谷まで行くバスがありますが、本数が少ないため、当時のオッサン
 はエッチラオッチラと丘を下り、歩いて神殿の谷(地図の下の方)まで行きました。
 横一列にギリシア時代の神殿遺跡が並んでいます。(帰りはバスでした)
  今回はクルマに乗せてもらって、直接神殿の谷の入り口までくることができました。
 これは非常に楽です。運転手のおじさんは神殿の谷の駐車場で待機してくれますので、
 その間にオッサンたちは神殿の谷と、近くにある考古学博物館を見学します。オッサン
 のたてたスケジュールでは所要一時間です。(時間が少なすぎるわ~ by妻)  


  さて、制限時間一時間ですので、急いで神殿の谷(イル・ヴァッレ・デイ・テンプリ)
 を見学します。地図の右側(東側)の入口に車を停めてくれたので、遺跡の一番東側に
 あるジュノー(ギリシア神話のヘラ:神々の王ゼウスの妻)神殿から見学します。
  燦燦と照り付ける太陽のもと、乾いた大地の上に巨大な神殿の跡が現れました。周囲

 にはオリーブの樹、サボテン、夾竹桃、リュウゼツランしか生えていません。 

  ジュノー神殿は四辺形の一辺しか列柱が完全には残っておらず、半ば廃墟のようには
 なっていますが、現在残っている姿だけでも巨大で神々しい感じがします。神々への
 信仰が強かった(といっても多神教です)ギリシア人は、神殿造りには全力をかけてい
 たようです。アクラガス(アグリジェント)はこの後、敵対勢力に滅ぼされて、幾多の
 地震による倒壊、中世のキリスト教による異教排撃による破壊を経て、完全に消滅しま
 したが、この神殿の谷のいくつかの神殿は2500年近い時を経て、今もその姿をとどめて
 いるのです。これは本当にすごい。世界でもこれより古い時代のものが本来あった場所
 にきちんと残っているのはエジプトの遺跡くらいでしょう。
  それにしてもギリシア人は団結が苦手で、仲間同士で争った挙句に衰亡しましたが、
 本土のギリシア人だけでなく、海外の植民地でも同じだったのですね。   

  このジュノー神殿をはじめ、アグリジェントの神殿はすべてドーリア式(どっしりと
 した重量感のある様式)だそうです。この神殿は結婚の祝宴に利用されていたらしいの
 です。そうか、ギリシア神話のヘラは結婚を司る神でしたからね。しかし、建立後100
 年も経たない紀元前406年、アクラガスを侵略したカルタゴ(北アフリカの都市国家)
 人によって火を放たれ、焼け落ちたのだそうです。カルタゴ人め!
  近くで見ると、すごい迫力です。しかし、柱に支えられた部分がこれ以上落ちない
 のか、ちょっと心配になりますね。

     

  このジュノー神殿の建つ場所からは、南に地中海が見渡せます。ギリシア人たちは
 こういう見晴らしの良い場所に神殿を建設することが多いようです。

  巨大なオリーブの樹の下で記念撮影です。樹齢はいったいどのくらいでしょうか?
 オリーブは長寿だとききますが、まさか樹齢2500年ということはないでしょうね・・・

     

  あちこちに大きなサボテンが自生していました。このトゲトゲのコブのようなもの、
 「サボテンの実」として食用になるのです。ウチワサボテンというのかな?スゴい。 

  「神殿の谷」の尾根伝いに西に向かって歩いていくと、次の神殿が見えてきました。
 ここアグリジェントで、いやシチリアで最も完璧な形で残っているコンコルディア神殿
 です。既に観光客がたくさん訪れています。

  ちょっと長くなりそうですので、神殿の谷の観光は次回に続きます。