Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

思い出の旅2007シチリア ⑪ アグリジェントの神殿の谷 ~その2~

  このところちょっと気まぐれな記事が続いておりましたが(いつもちゃうん?)、
 久しぶりにシチリア島の旅行記事を続けたいと思います。始めたのはいいけれども、
 こりゃいつ終わるかわからんな・・・(考えなしに始めよったからじゃ、アホ。by妻)  


  シチリア島の南側の真ん中あたりの、ギリシア時代から栄えたアグリジェントにある
 「神殿の谷(イル・ヴァッレ・デイ・テンプリ)」の続きでした。複数形で示されてい
 るように、ここには古代ギリシア時代の大都市アクラガス(最盛期は紀元前5世紀)の
 神殿がたくさん残っています。
  ただし、ほぼ完全な形で残っているのは、コンコルディア神殿のみです。
 アクラガスがカルタゴ人に滅ぼされた時に焼き払われて崩壊した神殿もあれば、その後
 の地震で倒壊した神殿、さらにはキリスト教徒たちが教会を建てるための石材を持って
 いってしまったために崩れて残骸のようになってしまった神殿がほとんどです。その中
 にあって、唯一元の姿をなんとかとどめているのがこのコンコルディア神殿なのです。

  うーん、「調和、和解」の神殿と呼ばれるだけあって美しいですね。柱はどっしりと
 した形のドーリア式神殿で、本家アテネのパルテノン神殿と同じスタイルです。確かに
 よく似ています。コンコルディア神殿の建設は紀元前450年ごろ、パルテノン神殿は
 アテネの傑出した政治家ペリクレスが作らせたので政策年がわかっていて紀元前438
 年に完成とのことですので、アグリジェントの方が本家アテネよりも僅かながら早かっ
 たのかもしれませんね。
  海を見下ろす丘の上に建つ、堂々たるこの雄姿。約2500年近くこの場所に立ち続けて
 いるのです。ちょっと感動します。オッサンもいたく感銘を受け、妻に記念写真を撮って
 もらいました。こうして見ると巨大さがわかりますね。

     

  この神殿には正面に6本、側面に13本の列柱が残っており、正面上部も装飾部分
 は剝ぎ取られているものの、なんとか原型を残しています。(パルテノン神殿の正面
 上部の装飾は、現在大英博物館に収蔵されていて、ギリシアが英国に「返せ」と抗議
 しているそうです。)
  この神殿は紀元6世紀頃からキリスト教の教会として転用されたため、キリスト教
 徒たちの破壊から免れたようです。まったく一神教ってやつは困ったもんだ。
  妻もこの神殿の素晴らしさには満足したようです。でも暑いわ~(by妻)

  オッサンが購入した絵葉書には、建築当時のコンコルディア神殿の想像図が書かれて
 いました。CGで再現しているっぽいですが、意外に極彩色だったようです。正面上部
 にはギリシア人好みの絵が描かれていたようです。今では装飾がすべて剥ぎ取られて、
 むき出しの岩(土)の、くすんだ色になってしまいました。しかし長い年月を経て現在
 残っている姿こそが、歴史の真実なのかもしれません。無理して昔風に復元しなくても
 いいと思います。


  コンコルディア神殿も、崖のすぐ間際に建っています。ギリシア人はこういう眺めの
 良い場所に神聖な神殿を建設したのですね。周囲にはオリーブの樹と、イチジクの樹が
 ありました。下の写真の右後方には、最初に見てきたジュノー(ヘラ)神殿が見えます。
 コンコルディア神殿までは、結構距離がありました。照り付ける灼熱の太陽の下、日陰
 もないので暑かった・・・しかし妻はちゃんと日傘を持ってきていました。(当然や)

  コンコルディア神殿の近くにあった、イチジクの樹です。結構大きく育つのですね。

  オッサンは神殿の周りを一周してビデオ撮影をしていましたので、結構見学するのに
 時間がかかってしまいました。まだまだ神殿はたくさんあるので、急がないと・・・


  その前に妻がトイレに行くというのでしばし休憩。妻の日記によれば、トイレ番?の
 オヤジに料金(確か1ユーロ)を払うと、「ありがと~」って日本語でお礼を言われた
 そうです。ここでは日本人はおろか東洋人を一人も見かけなかったとも書いてありまし
 た。そうだったのかな?結構ここは人気観光スポットなので、たまたまでしょう。
  海とは反対側(山の方)には、谷を挟んで中世都市アグリジェントの街が見えました。

  ちょっと小さくて見にくいですが、神殿の谷の地図を再掲します。下の方にある黄色
 い道の近くの長方形の印がある部分が神殿です。右側(東側)のはずれにあるジュノー
 神殿のところで車を停めて降ろしてもらい、西に向かって歩いていくと神殿の谷で最大
 のコンコルディア神殿に着きます。神殿の北側にある白い道(ヴィア・サクレ:聖なる
 道)をさらに西に歩いていきますと、次々と廃墟となった神殿の跡が出現します。

     

  続いては、崩壊した神殿ですが有名なエルコーレ(ヘラクレス)神殿です。この近く
 に駐車場とバス停があり、運転手さんはここで待っていてくれます。


  ヘラクレスの神殿と呼ばれるだけあって、元々は正面の列柱6本、側面の列柱は15本
 と、コンコルディア神殿を上回る豪壮で巨大な神殿だったようですが、古代の戦争と、
 その後の地震により完全に崩壊し、今では側面の列柱が8本残るだけで、その周囲には
 崩れた石塊が無造作に転がっています。こんなに巨大な遺跡が崩れて岩になってしまう
 と、もうどうしようもないようです。
  しかしエルコーレ神殿も、この8本の列柱が廃墟の中にすっくと立ち並んでいる姿が
 もうイメージとして定着しています。よく見ると、黄土色部分と白い部分が模様のよう
 になっていますね。ちなみに、エルコーレ神殿はアクラガス(古代アグリジェント)の
 最古の神殿で、建造されたのは紀元前520年頃だと推定されています。

  神殿の列柱には何本もの溝が彫られたようになっていますが、どうやら運ぶときには
 ここにロープを引っかけていたそうです。そして溝のように掘った専用通路を一本ずつ
 運んでいたのだそうです。巨大な神殿を造るということは、土木技術の進歩が必須です。
  エルコーレ神殿の列柱の間から、遠くに地中海が見えました。

     


  ここでいったん神殿の谷の門を出て道路を渡り、西側のゾーンの神殿を見学します。
 言い忘れましたが、神殿の谷の見学は有料ですので、チケットを見せて再入場します。
 ここには「ジョーヴェ(ユピテル)神殿」がありました。しかし、神殿の柱は皆無で、
 木っ端みじんに砕け散った廃墟として残っているだけです。ギリシア神話の神々の長、
 最高神ゼウス様(ローマではジュピター)に捧げた神殿なのにね・・・
  背後には丘の上のアグリジェントのダウンタウン(たぶんかなりの数が違法建築)
 が見えました。改めて、古代と現代が隣り合わせになっている街なのだと感じました。 

  このさらに先にもう一つ見どころの神殿があるのですが、妻は疲れたので、この近く
 のベンチに座って待つというのです。確かに炎天下の中を結構な距離を歩いたので無理
 もないです。ということで、オッサンは一人で次の神殿を観に行きました。(オイ、妻
 が疲れて休みたい言うてんのに、置き去りにして自分だけ観光かい!激オコや。by妻) 


  ということで、オッサンが向かったのは「ディオスクロイ神殿」です。別名カストル
 &ポルックス、そうです、双子の神の神殿ですね。しかし思ったより遠い、オッサンも
 遂に足がガクガクになってきたので近くまで行くのは断念し、遠くから写真とビデオの
 撮影だけをしてジョーヴェ神殿のところまで戻ってきました。
  ディオスクロイ神殿は、隅っこの4本の列柱に支えられた部分しか残っていません。
 しかし、この独特の「残り方」も案外「絵になる」ので、人気があるのようです。

  ネットできれいな写真が見つかりましたので、参考までに掲載しておきます。なんだか
 「つはものどもが ゆめのあと」という感じですね・・・まぁ西洋は石の文化ですので、
 地震でも火事でも戦争でも、残骸は残りますね・・・そこが日本と違うところです。


  さてジョーヴェ神殿のところに戻ると、妻はちゃんといました。(当たり前や。by妻)
 ここには「テラモン」という巨人が横たわる石像(コピー)があるのですが、妻は一人
 でそれを見ていたら、イタリア人夫婦に呼び止められ、写真を撮ってもらったそうです。
 妻の日記によると「なんだか東洋人の女の一人旅だと思われた」ようですが、「その後
 でオッサンがひょこひょこと戻ってきたので、今度は二人一緒に写真を撮ってもらった」
 と書いてありました。しかし妻は、イタリアではやたらと声をかけられていたなぁ・・
 (そら私がかわいいからやで・・・by妻)


  これ ↓ が、その「テラモン」の石像です。腹筋運動をしているみたいやな、と妻が
 言っていました。(アホ)

  イタリア人夫婦の旦那さんに撮ってもらった写真です。(オッサン、土建屋みたいな
 恰好やな・・・by妻) だって暑かったんだよ~(byオッサン)


  ジョーヴェ神殿付近にはデッカイ「リュウゼツラン」がワサワサ生えていました。
 テキーラの原料になる植物ですね。後方にはエルコーレ神殿の8本の円柱が見えます。


  「神殿の谷」は予想通り素晴らしいモニュメントでしたが、エリアが結構広くて歩く
 距離が長かったのでかなり疲れました。ここを訪れる時は十分体調を整えて行かれた方
 が良いと思います。
  さて、駐車場でずっと待っていてくれた運転手のオジサンに声をかけ、次はこの近く
 にある「シチリア州立考古学博物館」に参ります。歩くと10分くらいの距離なのですが、
 クルマで行ってくれますので楽ちんです。しかも荷物は持たなくてよいのです。
  しかし神殿の谷と考古学博物館を合わせて1時間半の予定を立てていたオッサン、既
 に1時間10分が経過しています。運転手さんは「20分で見てきてね」とにこやかに?
 言い放ちます。妻の日記には「無理だし。」と一言。 (こんな無理なスケジュールを
 立てたオッサンが悪いんやで。いっつもこんな感じやから困るわ~。by妻)
  ということで、20分では見学不可能な考古学博物館の記事は、次回に続きます・・・