Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

ミロ展に行ってきました(日曜日の話①)・・・

Bonne

  ここ数日は一気に初夏のような暖かさ、というより暑ささえ感じますね。宮崎県では

 最高気温が30度を超える真夏日になったとか・・・ソメイヨシノも一気に開花が進んで

 いるようですね・・・


  さて、今日は日曜日に行ったミロ展の記事です。興味のない方にはスミマセン。

  スペインの誇る現代美術の巨匠の一人ホァン・ミロさん、いやカタルーニャ地方の方

 なのでジョアン・ミロさんと言うのが正しいですね。ピカソ、ダリ、ミロという天才が

 同時に生まれて活躍した20世紀前半のスペインは、政治的には混乱を極め、第二次大戦

 の戦禍には遭わなかったものの内戦とその後のフランコ独裁体制の下で、戦後近代化の

 道を歩むヨーロッパから取り残されていたのでした。3人とも、フランスや米国で認め

 られ、世界の美術界を席巻したわけですが、やはりそれぞれ全く違う魅力にあふれてい

 ますね。文字通りシュールな絵画に代表されるダリさんや、キュビズムや抽象絵画の

 画家として美術世界を変えてしまったピカソさんに比べると、ミロさんは知名度の面で

 はやや地味ですが、彼の描くポップで

 キュートな現代絵画にはファンが多いようで、特に女性や若者に人気があるみたいです。


  展覧会では、地階に展示された初期の作品や、1階にある最盛期の傑作は写真撮影が

 できませんでしたが、2階にある後期の作品やポスター、立体的なオブジェなどは撮影

 可能でした。写真撮影ができなかったところは、図録でご紹介したいと思います。


  ミロは1893年、スペイン北東部カタルーニャ地方のバルセローナに生まれました。

 一度は親の勧めで会社勤めをしたもののすぐに絵画の道を志したジョアン青年の意思を

 両親は認めてくれたみたいです。比較的裕福な市民で、寛容なご両親だったのですね。

  初期の頃はやはり普通に肖像画や風景画を描いていたようです。

     

  これは1919年作の、故郷のカタルーニャ地方の田舎町モンロッチの風景を描いたもの

 です。彼の両親がこの街の近くに別荘を購入したため、この街に滞在することが多かった

 ようです。既にこの頃にはフランスで印象派やその後のさまざまな革新的絵画技法の試み

 が進んでいたため、ジョアン青年も既にそうした影響を少しずつ受けていたようです。

  初期の頃にはマティスに代表される野獣派(フォービズム)、その後は一時キュビスム

 の影響を受けた絵画が見うけられました。


  そして第一次世界大戦が終わった後の1920年、満を持してジョアン青年は芸術の都パリ

 に出ました。そこで、スペイン出身(南部アンダルシアのマラガ出身ですが、絵画はミロ

 さんの住んだバルセローナで学んだ)の先輩パブロ・ピカソさんに会うのです。

  その時、ミロさんは自信作の自画像 ↓ をピカソに見せてアピールをしたそうです。

     

  赤いシャツを着て、ちょっとナイーヴそうに見える素朴な青年がじっと正面を見据え

 ています。この絵はピカソさんも気に入ったようで、なんとミロさんから譲り受けてし

 まったそうです。そのため、この絵はパリのピカソ美術館にあるんだそうです。へぇ~

 「天才は天才を知る」というのは本当なんですね。


  しかしミロさん、この後は独自の道を歩み始めます。「絵画を破壊する、暗殺する」

 という過激なスローガン?を掲げ、従来の絵画とは違うジャンルのものを生み出そうと

 していくのですね・・・

  ちなみに後年になって描いた自画像はこんな感じ ↓ になってしまいました。😆

                    

   もうなんだか、マンガなのか落書きなのかわからん、と言う感じですね。一見大胆

 な構図と無神経ともいえるいい加減な太い線の輪郭ですが、綿密に 計算されたうえで、

 いろいろな工夫がなされているのでしょう。よぅわからんけど。

  1960年、画家67歳の頃の作品だそうです。最初の絵から40年後ですね・・・


  パリに移り住んでしばらくは、やはり貧乏で悶々としていた時期もあったようですが、

 当時のパリにはピカソさんをはじめ前衛的な芸術家が集っていましたので、ミロさんも

 彼らから多くの刺激を受けたようです。そして彼が最も関心を抱いたのはシュールレア

 リスムの画家たちの作品だったようです。

  そして1920年代のミロさんを代表するシリーズ作品「夢の絵画」が生まれました。

 ある美術評論家が名付けたようですが、つまり「現実の絵画」ではない、別のものだと

 いうことなんでしょう。まさしくミロさんが目指している世界が現れ始めました。

   何ですか?これは・・・大きなキャンバスに大雑把なタッチで淡い色で塗りつぶした

 その上に、細い線で何かが書き込まれ、意味不明の落書みたいなものが描かれています。

 何を表現しようとしたのかはさっぱりわかりませんが、なんだかおもしろいですね。

  ミロさんの描く抽象絵画と言うかシュールレアリスム絵画と言うか、あの独特の画風

 がこのころから始まっていたようです。


  ミロさんは1928年にオランダを訪れ、ハーグのマウリッツハイス美術館やアムステル

 ダムの国立美術館を見学し、オランダ絵画に魅了されたそうです。そしてその影響を受

 けて、17世紀オランダ人画家の絵を元にしたこんな絵 ↓ も描きました。

  「リュートを弾く人」らしいですが、原作者が見たら卒倒するでしょう。😆

     


  しかし故郷スペイン内戦と第二次世界大戦が彼の心に暗い影を投げかけます。ピカソ

 さんのように独裁者に迎合せず、戦争犯罪を絵画で糾弾する(あの「ゲルニカ」がそう

 です)ような激しい活動には出なかったものの、ミロさんもスペイン共和国政府の側に

 立ち、内戦を引き起こしたフランコ将軍の反乱軍とは激しく対立しました。しかし内戦

 はフランコ反乱軍が勝利し、スペインは独裁政権が支配する結果となりました。

  しかし滞在していたフランスの大半がナチスドイツに征服されると、独裁者フランコ

 の支配するスペインに戻ります。故郷カタルーニャのバルセローナはフランコの中央政

 府から抑圧され(カタルーニャ語を禁止されるなど)、ミロさんは奥さんの故郷マジョ

 ルカ島に隠遁し、戦争の世を忘れて独自の絵画世界に籠っていたそうです。

  その頃(1930年代)の代表作「星座」シリーズがいくつか展示されていました。

  「朝の星」というタイトルですが、もう笑うしかないハチャメチャさですね。しかし

 なんともいえないユーモアと楽しさを感じます。妻が好きそうな絵だな~ 


  「星座」シリーズのもう一つの作品、「カタツムリの燐光(りんこう)の跡に導かれ

 た夜の人物たち」と名づけられた、ちょっと不気味な作品です。1940年の作品です。

  人物の顔かたちが風刺マンガのようになっていますね。しかし不思議とすんなり目か

 ら頭に入って行く気がします。タッチの軽やかさ、線と図形が作り出すリズム感、考え

 抜かれた大胆な配色、の為せる業でしょうか? 

  (まぁオモロければどうでもえぇんじゃ! by妻)


  第二次大戦終結後も、祖国スペインはフランコ独裁政権のもとにあり、カタルーニャ

 では独自性を禁じられ続けましたので、カタルーニャ人であるミロさんは独裁政権下で

 は不遇をかこい続けます。しかしミロさんは「家に閉じこもったカタルーニャ人に世界

 的な価値はない。国際的なカタルーニャ人にならなければならない」と友人に語ったと

 いうことで、1947年の米国ニューヨークでの個展を皮切りに、世界に向けて自らの 

 作品をアピールしていきました。スペイン国内では地元カタルーニャ・バルセローナの

 個展以外では作品を発表する機会がほとんどなく、世界的に有名になっていくミロさん

 なのに、国内ではほとんどその作品が知られていないというおかしなことになっていま

 した。


  そうそう、ミロさんの作品は我が国にもいくつかあるのですが、そのうち恐らく最も

 早い時期にやってきたのは、この大原美術館所蔵の作品かなと思われます。

  大原美術館は妻と行ったことはないのですが、きっと妻がこの絵を見たら大喜びする

 と思います。(わしゃ昔、家族と行ったことがあったわ。見たかもしれん。by妻) 


  1966年には、日本でも回顧展が開かれたそうです。ミロさん自身も日本の文化には

 とても興味を持っていたらしく、東京だけでなく京都や奈良、焼き物の信楽、鎌倉等を

 訪れ、日本の芸術作品に触れて感銘を受けたということです。


  実はそれに先立つ1932年に、「巴里東京新興美術展覧会」なるものが開かれており、

 そこで初めて日本に公開されたミロの作品はこの絵 ↓ だったそうです。

  うーむ、やはりなんだか普通じゃないけれど、楽しい絵ですね。

  1931年作、「焼けた森の中の人物の構成」だそうです。さっぱりようわからんな。


  ここから先は、2階の展示室の作品で写真撮影が可能でした。

  文字や記号を絵画の中に書き込んでいく手法も、ミロさんの特徴の一つですね。

  ここまで来ると、もうギャグのようで笑えてきます。

   立体的な作品もありました。なんだろうね、これは・・・

    

  陶芸作品や版画(リトグラフ)、ポスターなど、様々なジャンルにも作品を残している

 のですね。ポスターではやはり「カタルーニャ愛」がにじみ出ている感じです。

  サッカーチーム「F.Cバルセローナ(通称バルサ)」の創立75周年のポスターも手掛け

 ていました。

  あ、そうだこの翌年1975年に独裁者フランコが死去し、まもなく軍事独裁政権が終焉。

 立憲君主国のスペイン王国として再スタートを切ることになりました。1973年に亡くな

 ったピカソはついに生前、祖国で名誉回復をされることもなく、故郷の土を二度と踏む

 ことがないままでしたが、1983年まで長生きしたミロさんは名誉を回復し、スペインで

 もその業績に見合った評価をされるようになりました。我慢して頑張ってきて良かった

 ですね。バルセローナには「ミロ美術館」も建設されましたし、首都マドリードの美術

 館(主にソフィア王妃芸術センター)にも作品が収蔵されることになりました。

  そういえば2006年にバルセローナに行った時(また自慢話かい?by妻)、たぶん妻は

 ミロ美術館に行きたかった思います。「地球の歩き方」のミロ美術館の部分に、付箋を

 貼っていましたから。しかしオッサンはミロ美術館ではなく、すぐ近くのカタルーニャ

 美術館の方を観に行きました。ミロの絵ならば他でも見られますが、中世カタルーニャ

 美術作品はここでしか見られないから、という理由です。妻には悪いことをしたかな。

 まぁ、カタルーニャ美術館でも「オモロイもんがいっぱいあるな~」と喜んでいたし、

 ついでにピカソ美術館にも行けたから、まぁ良かったのかも。 


  とてもユニークで楽しい展覧会でした。しかし思ったよりも空いていて、じっくりと

 鑑賞することができて良かった。

  今年の7月6日まで、東京・上野の東京都美術館で開催中です。

  チケット代は安くはありませんが、観に行く価値はあると思いま~す。