2025年8月:クロアチア・オーストリアの旅 ㉑ 世界遺産ドゥブロヴニク旧市街を駆け足で見学しました・・・その1
平常運転やな・・・(by妻)
ということで、午後2時から5時近くまでの約3時間で、世界遺産に指定されたドゥ
ブロヴニク旧市街の見どころを駆けずり回りました。この町最大の見どころは、旧市街
をぐるりと完璧に囲んでいる中世の城壁の上を歩くことなのですが、日陰がないうえに
一方通行で出入口が3カ所しかなくて辛くなっても途中で戻れないため、真夏の日中の
散策は危険だから避けたほうがいいという現地在住の日本人の方のレポートを見ていた
ので、ハイライトの城壁歩きは夕方になってからにすることにしました。
その前に、めぼしい城壁内部の見どころは先に回っちゃえ!という訳です。😀
旧市街の西の外れにあるフランシスコ会修道院を見学した後は、目抜き通りのプラツァ
通りを東に向かい、旧市街の中心となるルジャ広場に向かいます。石畳に反射する日差し
がキツイです。気温は30℃程度ですが、体感気温はそれ以上に感じました。ただし乾燥
していますので、風が吹いたり、日陰に入れば過ごしやすかったです。
参考までに「地球の歩き方」に掲載されていた旧市街の地図を載せておきます。この
プラツァ通りが一番低い場所で、ここから北側、南側の狭い路地に分け入ると、急な坂
道(階段)となって、標高が高くなります。旧市街で宿泊できる場所は限られますが、
なるべくプラツァ通りから離れない場所に宿泊しないと、荷物を運ぶのが大変です。
オッサンの宿泊しているブティックホテルは、プラツァ通りのすぐ近くで便利でした。
プラツァ通りは中世の頃に狭い水路(海)だったところを埋め立てたのだそうです。
つまり昔は、この通りより北側が陸地で、南側は小さな島だったようです。最初は蛮族
スラヴ人の襲撃を避けるために島に住んでいた人たちが城壁を造ったと思われますが、
次第に手狭になって陸地側にも領地を増やし、島との間にあった水路を埋め立てて陸地
の一部を含めて城壁で囲うことになったみたいです。現在のような堅牢な城壁が築かれ
たのはヴェネツィア共和国がアドリア海の覇者として栄華を誇った15~16世紀の頃に、
そのヴェネツィアを真似て大改造を行った時だということです。おそらくイタリアから
優れた土木建築技師と熟練作業員が招かれて大々的に改築をしたのでしょう。この街は
17世紀に大地震によって旧市街のほとんどの建物が崩壊して一時廃墟となったのですが、
この街を囲う城壁は無傷だったという事ですから、ものすごい頑丈な造りだったという
わけです。ですから、21世紀の今でもほぼ完全な形で残っているのですね。
しかし街の目抜き通りのプラツァ通りは全長200m程ですので、5分も歩けば街の西
端から東端まで歩いて行けるくらいで、旧市街の規模としては意外と狭い感じです。
ということで、ものの3分ほど歩いただけでルジャ広場に到着しました。
プラツァ通りの行きどまり地点には、ヴェネツィア風の時計塔(鐘楼)が建ち、広場
の東側(上の写真の奥)にはラグーサ共和国(中世ドゥブロヴニク)の総督宮殿があり、
その隣にはこの街の守護聖人である聖ヴラホを祀った聖ヴラホ教会があります。
まずはその聖ヴラホ教会の見学に参ります。あ、この広場の中央には、中世自由都市
の象徴である吟遊詩人・騎士オルランドの像が建っているのですが、あいにく修復中の
ため灰色のシートが被せられていて見る事ができませんでした。(上の写真中央にある
四角い箱みたいになっているところです。)
ルジャ広場周辺の映像を少し撮影していましたので、ご参考までに・・・
2025年8月5日 ドゥブロヴニク旧市街④ 時計塔と聖ヴラホ教会
教会は広場から一段高い場所に聳えており、石段を登って教会の中に入ります。
この教会も1667年の地震で崩壊し、現在の建物は18世紀に当時のバロック様式で再建
されたものだそうです。この街一番の格式の教会ですが、ちょっと地味ですね。内部も
小さ目で、バロック式教会のわりには簡素な造りでした。この頃には都市国家ラグーサ
共和国の繁栄にも陰りが生じていたのかもしれません。ファサード(正面)の最上部に
は、聖ヴラホの像が立っています。人間並みのサイズのようで、かなりデカいです。
主祭壇には銀製の聖ヴラホ像が飾られ、その手には地震で崩壊する以前のドゥブロヴ
ニクの街の模型が載っています。この街が守護聖人聖ヴラホにささげられていることを
示すものなのですね。しかし、それ以外は思ったよりシンプルでした。
ルジャ広場の北側、聖ヴラホ教会の反対側には中世貴族の館スポンザ邸があります。
お、これはヴェネツィアのゴシック様式の建築みたいな個性的な感じです。
それもそのはず。この建物は旧市街の主要な建物で数少ない、1677年の地震で崩壊を
免れた建物なのだそうです。ですので、それ以前の建築様式が残っているのですね。
1516年の建立ですので500年以上経過しているのです。元は税関、その後は貴族の集ま
るサロンとして利用されていたそうです。現在は当時の貴重な古文書を保管する場所と
なっていて、残念ながら一般非公開です。チラッとでも見せてほしいよな~
地図の図面を見ますと、聖ヴラホ教会よりもスポンザ邸の方が大きいです。
聖ヴラホ教会の東側の通りの先には、奥にもう一つの有名な教会、聖母被昇天教会
が見えます。そして通りを挟んで大きな総督宮殿(ラグーサ共和国の首長の公邸)が
あります。
しかしこちらは後のお楽しみといたします。その前に城壁内の東側奥にあるドミニコ
会修道院を先に回ります。こちらはフランシスコ会修道院と違って、内部が博物館とし
て展示されていて見学ができます。外観はやはり修道院なので地味な感じです。修道僧
が贅沢をしているみたいに思われたらよろしくありませんからね。(でも、身分の高い
僧は結構贅沢していたんちゃうん?
こちら ↓ が修道院の入口です。日陰の石段には疲れた観光客がたくさん座っています。
この街はすべて徒歩観光で、アップダウンもあるので体力的にはキツイのかも。
しかしオッサンはまだ元気ですので、てくてく歩いてドミニコ会修道院に入場です。
こちらの建物も西のフランシスコ会修道院と同様に、15世紀に建てられたものです。
この頃は2つの修道会が小さな都市国家の中で張り合っていたみたいですね。
内部は確かに宗教美術館という感じで、聖遺物を収める装飾具や絵画・彫刻などが
たくさん展示されていました。
この絵は聖母マリアの死のシーンかな。先に亡くなっているはずの息子イエス・キリ
ストが画面中央で見守っているというあり得ないシーンですけどね・・・
こちらは聖遺物入れかな・・・銀製のものが多くてかなり凝っています。
「聖遺物」って正直に言って「眉唾モノ」だと思うのですが、それを信じている人が
いる以上は必要なものなのでしょう。(なんだか棘のある言い方やな。by妻)
下の写真左側の聖遺物入には聖人(とされた)と思しき方の骨の一部が収められて
います。ひー、キリスト教信者ではないオッサンにはオカルトとしか思えないんです
けれども・・・(まぁ、えぇやん。by妻)
とはいえ、中世の工芸品の技術の高さを感じさせるちょっとした芸術品ですね。
お、装飾的な細密画が挿入された古文書もありました。細かい字がびっしりと書き
込まれています。印刷技術が普及する前は、書物はとても貴重だったんですよね。
実際のサイズは思ったよりも小さいのです。本を作ることには、とても根気と技術が
必要だったと思われます。(オッサンにゃ無理やな。by妻)
これは文房具セットでしょうか? かなり凝っていますね。
絵画や彫刻も、数は多くありませんが質の高いものが展示されていました。ラグーサ
共和国の文化レベルの高さ、経済的な豊かさがしのばれます。
あ、フランドルの画家の作品と思われる絵画もありました。キリストとマグダラの
マリアかな? 結構有名な画家の作品だったと思いますが、覚えていない・・・
ハンス・メムリンクだったかな・・・
そして・・・やっぱり坊主も贅沢しとったんやな。宝石をちりばめた冠?なのか、
金・銀・財宝をふんだんに使っていますね・・・けしからん。(まぁまぁ。by妻)
キリスト教自体には関心のないオッサンですが、優れた宗教美術の作品は見ごたえが
ありました。まぁ信仰心のある方が見る姿勢とは違いますけれども・・・
そして大規模な修道院ですので、やっぱり回廊式の中庭がありました。
やはり真ん中には井戸があります。フランシスコ会修道院の中庭よりも大きくて、
ちょっと頑丈な(ゴッツイ)造りのように感じました。ドミニコ会の方が戒律が厳しい
のかな?(まぁ、そういうのは関係しているかもな・・・by妻)
中庭から修道院の鐘楼を見上げます。鐘楼には登れないみたいでした。
ここまでで1時間弱を要しました。残りは2時間ちょっとです。急がなければ・・・
(また時間との闘いになっとるんかい! by妻)
続きは次回です・・・
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