2022年10月 広島の旅 ③尾道スペシャル ~その2~ 千光寺公園
尾道の続きです。
千光寺山ロープウェイを登ると、すぐ近くに展望台がありました。かなり長い通路の
ようになっており、東側の尾道大橋の方から西側の尾道水道の出口の方まで、広範囲に
眺めることができます。ちょっと曇り空でしたが、これは絶景です。
さっそく記念撮影です。(アホ)
この写真を撮っていたら、背後にいた関西弁の女子グループに発見されてしまい、
「かわい~い」(オッサンでは無くてパンダの方ね)と言われてしまった。
端っこの方で目立たないように撮影していたつもりなのに・・・(アホ)²
尾道大橋の方はこんな感じ ↓ です。
西側の方はこんな感じ ↓ です。向島の街が良く見えます。その後方には再び瀬戸内海
が広がっています。島だらけですね。
ちなみに向島までの尾道水道は幅約300メートルだそうです。しかし船が通れるくらい
ですから水深は相当あるのでしょうね。ここを昔から北前船が通り、尾道はその中継点
の一つとして栄えたそうです。一方、このしまなみ海道の周辺は瀬戸内の海を支配した、
村上水軍の暗躍する場所でもあったそうです。確かにこんな狭い範囲にいくつもの島が
連なっているので海賊の巣窟になりそうですね。戦国時代までは大変だったようですが、
豊臣秀吉が海賊禁止令を出し、江戸時代には主だった海賊の一族が幕府に臣従して海賊
の被害はほぼなくなり、商船が安全に航行できるようになったようです。
さて千光寺山展望台からの景色を堪能した後は、この千光寺公園内にある市立美術館
に参ります。ちょうど面白い展示会が開催されていました。
「隙あらば猫」というキャッチコピーで、絵本画家の町田尚子さんの絵本原画展が開催
中です。さっそく見学してきました。入り口には巨大な猫のオブジェがお出迎えです。
尾道は猫が多い街と聞いていまして、坂道の途中や民家や商店の軒先などあちこちに
猫が顔を出すということです。だからこういう展覧会が開かれたのかな?
写真撮影はOKのようでしたので、いくつか印象的な絵をご紹介します。
これは楽しいですね。女の子の背後からの絵と、猫さんの背後からの絵の対比です。
公園のぶらんこに乗り、ハトに餌をやっている?ネコですかね。
ちょっと背景が写り込んでしまいましたが、かくれんぼをするネコ? なんだか哀愁
が漂っている感じもしますが・・・
ネコだけではなくタヌキやクマさんもちらほら登場していました。うちの妻は、自分
の顔がタヌキに似ていると言って、タヌキに愛着を感じていました。(アホかいな。)
うん、まぁ似てるっちゃ似てるかな・・・(オッサンの影が写り込んでしまった。)
妻の写真とも記念撮影をしておきました。 (なんだか「ついでに」みたいな感じに
なってないか? by妻)
美術館のテラスからも、尾道の街と海を眺めることができます。歩き疲れたので近く
のカフェでのんびり・・・ということはオッサンにはありません。先を急ぎます。
市立美術館からは緩やかな下り坂を少し歩いていくと、再び海が見えてきます。
先ほどの展望台からよりは少し低い位置にありますが、街が近づいてきた感じです。
しばらく歩いていると、こんなもの ↓ が見つかりました。
平成10年(1998年)10月の大相撲尾道巡業の時の記念碑のようですね。横綱・大関
の手形と、当時の幕内力士全員の名前が刻まれています。懐かしいな~
横綱は若・貴兄弟と曙、大関は武蔵丸と貴ノ浪、関脇に千代大海(後に大関)と貴闘力、
小結は武双山と出島、前頭にも魁皇、栃東、琴ノ若、琴錦など錚々たるメンバーです。
当時は空前の相撲ブームの頃でした。本場所のチケットなど取れるはずもなく・・・
あれからもう24年、四半世紀前の事ですね。
そうそう、この道の途中で観光客が写真を撮っているスポットがありました。この時
はよくわかっていませんでしたが、後で調べたら「鼓岩(別名ポンポン岩)」というら
しく、叩くと鼓のようにポンポン音がする不思議な岩だそうです。ここに立つと尾道の
街と向島、瀬戸内海の景色が一段と素晴らしく見えるようですね。
(写真を撮り損ねたので、ネットからそれらしい写真を借用しました。)
そして辿り着いたのが千光寺山の中腹にある名刹千光寺です。真言宗系の単立寺院と
のことで、どこの宗派にも属していない独立した存在のようです。開基は、平安時代の
806年ということで、とても古い歴史を誇ります。本尊は千手観音様だそうです。
ここも観光客で一杯です。千光寺山の斜面にある限られたスペースに建てられた狭い
寺院ですので、観光客がたくさん押し掛けると、もう押し合いへし合い状態です。😩
山の中腹にあって高低差もあり、非常にわかりにくいので、境内図を載せておきます。
下の写真は三十三観音堂。江戸時代の1743年に建てられたお堂です。
本堂はちょっと上の方にありますので、また石段を登らなければなりません。これは
お年寄りや足の不自由な方にはかなりきついかも・・・
本堂は江戸時代の1686年に造られた、舞台形式の特徴あるお堂です。清水の舞台ほど
ではないですが、ここはなにしろ千光寺山の中腹にありますので、眼下にある瀬戸内海
や尾道の街を一望できる強みがあります。しかし、残念ながら本尊の千手観音様は秘仏
で、三十三年に一度しか御開帳されません。
お参りをする人、というよりも舞台から景色を眺める人が行列を作っていました。
待ち時間10分・・・まぁ仕方ないですね、この景色を堪能するには待つしかないです。
隙を見てこんな写真も撮りました。😝(アホ)
千光寺のホームページには、こんな写真 ↓ もありました。どこから撮ったんだろう?
本堂から先に進むと、せり出した岩の近くに大師堂があります。 千光寺を開いたと
される空海(弘法大師)様をお祀りしています。
写真撮影は錦糸でしたので、ホームページの写真を掲載しておきます。
大勢の人でごった返していましたので、あまりじっくり見ることができませんでした。
「玉の岩」とか「鏡岩」とか面白そうなもののあったようですが、見逃しました。😩
この千光寺から千光寺山頂までは「文学のこみち」という細い道が通じていて、著名な
詩人や俳人、小説家などの文学者を記念した石碑がたくさんありました。
川東碧梧桐、山口誓子、正岡子規といった有名な俳人の句が、岩に刻まれています。
尾道と言えば、林芙美子さんですかね。(放浪記より)
『海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい、汽車が尾道の海
へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように、拡がって来る。赤い千光寺の
塔が見える。山は爽やかな若葉だ。
緑色の海向うにドックの赤い船が帆柱を空に突きさしてる。私は涙があふれていた。』
彼女は山口県出身ですが、尾道女学校に通っていましたので尾道にゆかりの方ですね。
オッサンは訪問できませんでしたが、本通り商店街には林芙美子記念館がありました。
そして偉大なる作家、志賀直哉さんも。(暗夜行路より)
『六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ごーんとなると直ぐゴーンと反響が一つ、
又一つ、又一つ、それが遠くから帰ってくる。
其頃から昼間は向島の山と山との間に一寸頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。
それがピカリと光って又消える。造船所の銅を溶かしたような火が水に映り出す。』
尾道のこの独特な風景と街の雰囲気は、多くの文学者をも魅了したようです。
ノスタルジーの街、尾道。オッサンも魅了されました。(でもオッサンには文学作品は
書けんけどな。by妻) そらそうよ、まぁブログでも書いてお茶を濁すか・・・
この後は千光寺から階段や坂道を下って、尾道の街まで参ります。続きます・・・
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