Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

思い出の旅2007シチリア⑨ モンレアーレ大聖堂 ~その2~

  始めたばかりなのに、長らく中断していたシチリアの思い出の旅の記事を再開します。
  他人の、しかも15年も前の旅行記なんて、大方の皆様にはつまらないの極致だと思い
 ますが、自分の忘備録にもなりますし、始めた以上は最後まで続けたいと思います。


  さて、2日目(実質初日)の午後、パレルモ郊外のモンレアーレにあるアラブ・ノル
 マン様式の素晴らしい大聖堂(ドゥオーモ)内部のモザイク画を鑑賞したところでした。
 妻もオッサンも、さすがにこのモザイク画には感動し、ここまではるばる来てよかった 
 と思ったものでした。

  しかしこの大聖堂のみどころはもう一つあります。それは、隣接した修道院の回廊式
 中庭です。イスラームの香りが残っている、素晴らしい空間です。しかし、ここに入る
 には別料金でした。しっかりしとるの~。ここの窓口の若い男女がイケメンと美人だっ
 たと妻の日記には書かれていました。(いや、これはオッサンがそう言っていたんや。)


  この回廊は1182年の創建当時から残っているものと推定されていますので、当時の
 エキゾチックなシチーリアの雰囲気を今に伝える貴重な場所となっています。
  回廊内の面積はおよそ2,200平方メートルという広さ。ひし形の模様が施された尖頭
 アーチを支えるのは2本の柱が1組となった脚で、合計216本の白大理石の柱が使用され
 ているそうです。柱は未装飾の組と、彩色模様が施された組が交互に並べられているの
 が面白いです。彩色には金、ガラスのテッセラが使用され、垂直の帯模様や、縦または
 横方向の模様が何重にもかけられた柱身があります。彩色された柱は優雅で美しい。

  柱頭には一つ一つ、聖書をもとにした別々の寓意彫刻が葉飾りとともに描かれている
 らしいです。ちょっとゴチャゴチャしていてよくわからないですが、同時代(12世紀)
 のロマネスク彫刻のようですね。少しグロテスクな感じです。

      

  この広い回廊の四辺すべてに、この特徴ある楽しい列柱がめぐらされ、回廊になって
 います。中庭には大きなオリーブの木と椰子の木、刈り込まれた植栽がありました。
  回廊の一角には僧侶のトイレとして大理石の噴水が設けられた四角形の区域があると
 いうことですが・・・その様式から、制作はムスリムの彫刻家によるものだそうです。
  あ、下の写真の左側にあるのがその場所かな・・・全体像が写っていないけど。 
  オッサンが妻に撮影してもらった写真です。 

     

  外の日差しはきついのですが、この回廊は風も通り抜けて涼しいです。当時も快適な
 空間だったのでしょうね。妻もこの大聖堂と回廊に満足したようです。世界でも稀有な
 モニュメントですからね。

  大聖堂内部の見学を終えて、今度は外観をじっくり観察します。正面は、ちょっと後世
 (バロック時代)の手が入っているのですが、右側の鐘塔は創建当時の姿を残していると
 言われています。それにしても抜けるような青空。真夏のシチーリアです。

  大聖堂の裏手の後陣は、創建時のものを再建したのかな?独特の様式です。

      

  見学を終えて、もう一度見晴台のところに行きます。オッサンたちが眼下のパレルモ
 盆地を見下ろして寛いでいると、地元の方らしきオジサンに声をかけられました。年頃
 の娘さんとご一緒のようです。日本ではオッサンと娘が一緒に散歩する姿などなかなか
 想像できないですね。このオジサン、かなり庶民的でオッサンたちに「どこから来たの
 ?」、とか「名前は?」とか質問攻めにしてきます。そんなに東洋人が珍しいのかな?
 この頃はまだC国人が大挙して押し寄せる前だったからですね・・・
  このオッチャン、しょうもないオヤジギャグを飛ばしていて、妻も苦笑していました。
 一緒にいた娘さんは恥ずかしそうで、あからさまにイヤそうな顔をしていました。オッ
 チャン、こんなことでは娘にまた嫌われるで😩・・・でも、最後は親切に写真を撮って
 くれました。グラーツィエ、チーロさん(このオッチャンの名前)。

  モンレアーレの街は崖のギリギリまで住宅が立ち並んでいました。ちょっとコワイ。

  午前中のパレルモ旧市街観光は駆け足でしたが、ここモンレアーレは見どころが大聖
 堂だけということもあり、ゆっくり内部とモザイクと回廊を見学し、周辺の散策をしま
 した。オッサンにしてはじっくり腰を落ち着けた観光でした。所要約2時間です。ツア
 ーの場合はせいぜい1時間でしょう。自由旅行ですと、面倒なことやリスクが多い反面、
 好きなところはじっくり観光できるというのが長所です。
  さて、この後は再びバスに乗ってパレルモ市街に戻ります。旧市街の入口のインディ
 ペンデンツァ(独立)広場でバスを乗り換え、再びホテルのある新市街に向かいます。
  夏のヨーロッパは日が暮れるのが遅いのですが、パレルモに到着した頃はもう午後5
 時過ぎ。観光名所はもう閉まっていますので、いったんホテルに戻ります。
  
  妻の日記によりますと、シャワーを浴びてさっぱりした後、着替えをしてホテル周辺
 のポリテアーマ広場をプラプラしてウィンドウショッピングをしたと書いてあります。
 (オッサンは、そういうことはほとんど覚えていないやろ。by妻)
  ポリテアーマ広場は旧市街と異なりヨーロッパの普通の街のようにお洒落で、高級そ
 うなお店も多いのです。旧市街よりも治安が良いので安心です。その分パレルモらしさ
 はありませんけどね。
  妻の日記によると、何気なく見ていたお店のショーウインドウにあったカメ柄の手提
 げバッグが気に入り、購入したと書いてあります。そこにオッサンが「カルピーザとい
 うイタリアのブランドみたい」と書き込んでいました。ちょっと調べてみますと・・・

  そうそう、こんな感じ ↑ のデザインでした。今でもあるのね・・・
  結構ちゃんとしたブランドのようですが、妻は単にこのカメのマークがカワユイという
 理由で、布製の安いショルダーバッグを購入していました。記録がないので値段は不明で
 すが、かなり安かった(数千円)と記憶しています。しかし、布製なので擦り切れて既に
 廃棄してしまっているので、もうありません。せっかくなら、革製のちゃんとしたものを
 買えばよかったのにね・・・でも妻はかなり気に入っていて、普段の買い物などの時に、
 よく使っていました。あぁちゃんと写真を撮っておけばよかったかな・・・  

         

  その後は、ロ・スクディエーロという、ちょっといいレストランで夕食です。ミシュ
 ランのイタリア版ガイドを日本で購入していて、事前に調べていました。ここは予約を
 しなくても入れそうだということで、少し早め(イタリア人の一般的な夕食は午後8時)
 の開店直後の午後7時過ぎに行きました。ちょっと心配でしたが、無事にちゃんとした
 テーブルを用意してくれました。
  何を食べたのかはすっかり忘れていましたが、妻の日記にちゃんと書かれていました。
 前菜は、生ハム、海の幸のマリネ。パスタはシェアして(イタリア語でウーノ・イン・
 ドゥーエというので、妻はいつの間にかこの言葉を覚えていました。)魚介のリングイ
 ネ。ちょっと太目のスパゲティのようなパスタです。食べ物の前で、妻がご機嫌です。

     

  セコンドピアット(メインディッシュ)は、妻はシチリア名物カジキマグロのロール
 巻き、オッサンは牛ヒレ肉の木の実ソース。たぶん、シチリアの赤ワインを飲むために
 そういうメニューを選んだとおもわれます。(ホンマに本末転倒もええとこやな。by妻)
  カジキマグロのロール巻きはこんな感じ ↓ です。(ネットから写真を拝借) 日本人
 の口にも合いそうですね。チキンカツのミルフィーユ巻きみたいな感じ。


  この日選んだワインは、シチリアの著名生産者ドンナフガータのフラッグシップの、
 「タンクレディ」です。写真を見ておわかりのように、黒みを帯びた濃い赤色で、もの
 凄く味が濃くてアルコール度が高い、シチリアを代表する強烈な赤ワインです。
 品種はシチリア特有の品種、ネロ・ダーヴォラですね。        

     

  ドンナフガータとは「逃げてきた女」という意味で、19世紀初頭にナポリのブルボン
 朝の王フェルナンデス4世の妃マリア・カロリーナ王女が、ナポリで起きた革命から逃
 れて、シチリアのドンナフガータ社の自社葡萄畑や醸造所のあるコンテッサ・エンテリ
 ーナの地へ逃げてきたという歴史に因んで名付けられたそうです。その頃から既に著名
 な生産者だったようですね。いわゆる名門ワイナリーです。


  しかしまだ若いヴィンテージ(2003年?)だったようで、パンチが利いた強烈な濃さ
 で、ちょっとキツかった記憶があります。(そういうことだけは覚えとるんやな。by妻)
 妻の日記にも「アルコール度が高くて酔いが回る」と書かれていました。妻はかなりお酒
 には強いのですが、疲れもあったのか、この日はかなり酔ったようです。
  最後にお店の方に記念写真を撮っていただきました。(オッサンの顔出しはNGですの
 で悪しからず・・・)
  ・・・なんや、ふざけとるな・・・(by妻) 
  ・・・のっぺらぼうではまずいかなと・・・(by私)


 翌日はパレルモを出発し、シチリアを縦断+横断します。(なんやらまた忙しくなりそう
 やの~ by妻)・・・次回に続きます。