2020年3月 京都 ⑬嵯峨野・大覚寺 ~その2~
今週は年度末から年度初めの数日間となり、ドタバタしました。ようやく週末になり
一段落、洗濯・布団干しも終わってやれやれ。
延び延びになっていた昨年3月の京都の記事を急ぎます。もう関東地方南部は🌸の花
も盛りを過ぎ、花吹雪が舞っていますからね。いつまでも🌸の記事を書いていられない
ですからね。
さて大覚寺のお堂巡りを再開します。メインの宸殿(しんでん)には、「牡丹図」と
並んで「紅梅図」の襖絵もあります。こちらも狩野山楽の作品です。
見物客がほとんどいないので、パンダ君のゲリラ撮影にも成功。(アホ)
続いて宸殿の裏手に回ると通常は非公開の正寝殿(しょうしんでん)があります。
ここの各部屋には襖絵が描かれ、廊下から見られるようになっていました。
ここも見物客がいないので、こんな写真 ↓ も撮り放題(あかんのちゃうか?)。
宸殿と右手の正寝殿の間の中庭が美しいです。
ここから「村雨の廊下」という風流な名前のついた渡り廊下を通って、心経前殿(しん
ぎょうぜんでん)、別名御影堂に向かいます。
村雨の廊下は直角に折れ曲がり、屋根が低い造りになっています。これは高貴な方の
命を狙う狼藉者?が刀を振り回しにくくするための防犯対策なのだそうです。ほう。
床は鴬張りでキュッキュと鳴ります。これもセキュリティ対策か?
心経前殿(手前)は大正時代に移築されたもので新しい建物です。大覚寺の歴史上、
特に重要な嵯峨天皇、弘法大師(秘鍵大師)、後宇多法皇、恒寂入道親王の尊像をお祀り
するため「御影堂」とも呼ばれています。しかし尊像はいずれも撮影禁止です。
奥に見えるのは、さきほど通ってきた村雨の廊下です。
心経前殿の前には広い石庭が広がり、遠くに勅使門(唐門)が見えます。江戸時代末
の創建で比較的新しいものです。その前には「石舞台」と呼ばれる台座があります。
勅使門の拡大画像です。ここは特別な時にしか開きません。
心経前殿からさらに渡り廊下を進むと右手に安井堂、その先に五大堂(本堂)があり
ます。五大堂が現在の大覚寺の本堂になります。位置関係が分かるように境内マップを
再掲いたします。親切やろ?(イヤ、自分でもわからなくなってきたからやろ?by妻)
心経前殿から安井堂が見えます。別名御霊殿、明治時代に移築されたものだそうです。
江戸時代中期に建てられた五大堂(本堂)には、不動明王をはじめとする五大明王が
祀られています。この東側は大沢池に面しており、池に張り出すように観月台(濡れ縁)
があります。そこから大沢池のほとりに咲く桜が良く見えました。
ちょっと逆光なのでうまく写真が撮れませんでしたが、ここからの眺めはなかなかの
ものです。
そして、ここから大沢池のほうに下りていくことができます。
しかしなんと!大沢池エリアに入るには別料金です!来た道を引き返すのが好きでは
ない私、渋々料金を支払って大沢池のほとりを散策して帰ることにしました。
大沢池は大覚寺の東に位置し、周囲約1kmの日本最古の人工の林泉(林や泉水などの
ある庭園)です。嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、唐(中国)の洞庭湖を模倣して
造られたところから、庭湖とも呼ばれるそうです。
池のほとりには茶室望雲亭、心経宝塔、石仏、名古曽の滝跡があり、国指定の名勝地
になっています。お堂エリアの五大堂の観月台の脇から下りていきます。
このエリアにも小さなお堂がいくつか建ち、周囲をサクラの花が彩っています。
下の写真は聖天堂(しょうてんどう)というらしいです。
そして最近(昭和42年)に建てられた心経宝塔(しんぎょうほうとう)です。
妻の生まれた年だなぁ・・・
ぐるっと池を一周しようかと思いましたが、1Km以上あるとのことで、時間が勿体
ないので断念。池のほとりを散策して大沢池参拝口から退出します。
池のほとりのサクラはなかなか絵になりますね。遠くに望雲亭が見えます。
結構な距離を歩きました。大覚寺は広いですね。
さぁここから再びバスに乗って、嵯峨野から嵐山方面に向かいます。京都でも屈指の
人気観光地です。混雑も覚悟しなければなりません。(続きます。)
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