Bonne(ボンヌ)のブログ

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2015年GW フランス・ドイツの旅 ⑯ブルゴーニュ・ワインツアー その2 ボーヌ観光

   今夜はブルゴーニュ・ワインツアーの続きに参ります。
   ディジョンのホテルまでガイドの方に迎えに来てもらって、バンに乗ってボーヌの
  町まで向かいます。私のリクエストは、「私の愛好するワイン生産者を訪問して試飲
  をさせて頂くこと」「ブルゴーニュワインの有名な畑を見学すること」がメインです
  が、せっかくボーヌまで行くので「ボーヌの街の観光名所の見学と、レストランでの
  食事、ワインショップでの買い物」もリクエストしておりました。(ずいぶん欲張り
  やな、オッサン。by妻)
   しかしボーヌから合流するグループの方々が、「ガイド推奨のワイン生産者の経営
  するレストランでのテイスティング・ランチ」をリクエストされたので、ガイドとし
  ては当然そちらを優先します(追加料金が割高なので、私は申し込みませんでした。
  イヤ、その生産者のワインしか出てこないと予想されるので、興味が無かったという
       のが本当のところです。日本のエノテカさんで見つかるワインだし。)
  そのため、ボーヌの街の観光と私の昼食・ワインショップめぐりのリクエストは、
  「ボーヌの街中で適当に自由時間を取るのでその辺で勝手に済ませてくれ」、という
  ことになりました。
   合流するグループの方は午前10:00にボーヌのホテルでピックアップだそうなので、
  ボーヌに到着してから10:00までがボーヌの街での自由行動時間となりました。
  
   さて車は「特級畑街道(ルート・ド・グラン・クリュ)」を走り抜けて、午前9:00
  少し過ぎにはボーヌの街に到着しました。ここは、確か世界遺産にも登録されている
  と思いますが、ブルゴーニュ地方の中でも由緒ある町で、ほぼ完全に残っている中世
  の城壁に囲まれた魅力的な小都市です。ディジョンが人口15万人なのに対し、ボーヌ
  は人口3万人にも満たない可愛らしい町です。でもブルゴーニュワイン生産の中心地
  であるコート・ドール地区では最大の街なのです。つまり、この辺りは相当な田舎と
  いうことになりますね。地域経済の大半がワイン産業に依存しているということです。
  車は城壁の廻りを少しめぐってから、市街地に入りました。


   こんな感じ ↓ で城壁のところどころに防衛のための城塞が築かれていました。城壁
  はところどころ破れていますが、それでもかなり完全に近い形で残っています。

 


  城壁内は中世の雰囲気を残しつつも、現代の観光都市として快適に過ごせるように
 ホテルやさまざまなショップがあり、歴史的建造物や博物館など観光名所もきちんと
 整備されています。車は城壁内にあるボーヌの主教会「ノートル・ダム寺院」近くの
 駐車場に止められ、ここで下車します。これから集合時間までの約50分でボーヌの街
 を観光します。(またもバタバタ貧乏旅行になってしまいました。)



  まずはノートル・ダム寺院・・・といきたいところですが、50分しかないので残念
 ながら後回しです。後ほど昼食をボーヌの町中で取ることになっているので、その空き
 時間に改めて訪問することにしました。とりあえず外観の写真だけ載せておきます。
 なかなか堂々としていますが、ややピンクがかったベージュ色で、柔らかく優しい雰囲
 気がする教会です。

 
  さて、最優先に観光すべきところと言えば、何といってもココ。その名も「オテル・
 デュー(神の家)」、またの名を「オスピス・ド・ボーヌ(ボーヌ施療院)」です。
 ボーヌを訪問したら、絶対に訪れなければならない最大の歴史的建造物です。入口は
 こんな感じで、外観は地味で素っ気ない感じがしますが、見過ごしてはなりません。 

      

  
  入口の扉の上には「オテル・デュー 1443」という表記があります。
  ここは、ブルゴーニュ公国の名宰相「二コラ・ロラン」さんが私財を投じて1443年
 に設立した施療院(当時の病院)なのです。もちろん王侯貴族のためではありません。
 貧しい方々の救済のために造られ、運営されてきた高名な施設です。古代ローマ以来、
 キリスト教会以外の運営する本格的な福祉施設としては初めてではないかと思われる、
 画期的なものだったと思われます。もちろん二コラ・ロランさんは賢明なので間違って
 も「私のおかげです」等とは言わずに「神の恩寵」だとして、「オテル・デュー(神の
 家)」と名付けました。
  何が画期的かと言いますと、まずもって政界の有力者が貧民を救済する目的で、当時
 は存在しなかった本格的な施療院を設立したということ、その運営が「王侯貴族や宗教
 界の実力者が寄進したブドウ畑から上がる収入(つまり、ワインの販売によって得られ
 た収益)」で賄われたということです。
  中世キリスト教世界においては、「現世で善行をした者は天国の席を約束される」と
 いうようなことが信じられていた(カトリック教会はそれを「商売」に利用しましたが)
 ので、財力のある敬虔な方々や、ひょっとすると脛に傷を持つような方々が贖罪のため
 に、私財(この場合はブドウ畑)を提供するということが起こりえたのですね。当時は
 累進課税もありませんから(というか、有力者や宗教界は免税か・・・)、こういう形
 で富の再分配をする必要もあったのかもしれません。今でいう、ノーブレス・オブリー
 ジュですかね。 
  理由はともあれ、二コラ・ロランさんの政策は成功し、「オテル・デュー、別名オス
 ピス・ド・ボーヌ」は経済的に安定して運営され、中世から近世にかけてのヨーロッパ
 でも屈指の療養施設として存在し続けました。なんとワインがこの事業を支えていたん
 ですね、スゴイです。 


        


  ここは朝9時から開館しているので、この時間でも問題なく入場できました。 
  さぁ、そんな歴史的なオスピス・ド・ボーヌの内部をさっそく見学しましょう。  
  扉をくぐって入場料を支払い先に進んでいくと、目の前には中庭ときらびやかな建物
 が見えます。見学者の皆さんが、思わず「おおっ」と声をあげてしまうような光景です。

  ブルゴーニュに特有の、派手に彩色された瓦屋根はかなりインパクトがありますね。
 中庭をぐるっと囲むように四方に建物が配置され、それぞれに優美な回廊が設けられて
 います。回廊の上の二階もテラスのようになっていて、これまた中庭を一周できるよう
 な造りになっています。建築様式としてもかなり面白いですね。
  中庭には由緒ありげな井戸もありました。

      


   回廊部分から入口方向(右側)を見るとこのような ↓ 感じです。


  まだ朝早いので観光客も少なく、待つことなくじっくり内部を見学できました。
  ちょっと長くなりそうなので、内部の見学はまた次回に。(ケチやな。by妻)