Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

2015年GW フランス・ドイツの旅 ⑪ 印象派の殿堂 その7

  もうオルセーだけで7回目か。ちょっと長すぎますね、スミマセン。
  今回は妻の大好きだった画家、ゴッホの登場です。
  私は海外に行くとよく美術館や教会の絵を観に行くのですが、妻はあんまりイタリア
 ルネッサンスの絵画や、フランドル・オランダの絵画は好きではなかったようで、私が
 見たいというから仕方なしに付いてきた、と言う感じでした。しかし印象派絵画や現代
 美術は大好きだったようで、オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館に行った時は、
 かなり興奮していました。そうか、もっと妻が好きそうな絵を見せてあげればよかった
 かな・・・(イヤ、どうせ自分ファーストやろ。知ってんねん・・・by妻)


  ということで、オルセーにも素晴らしい代表作が目白押しの、フィンセント・ファン
 =ゴッホさんの作品を見てみたいと思います。
  まずは有名な「アルルのゴッホの寝室(1889年)」です。あれ?、これはアムステル
 ダムのゴッホ美術館にもあったような気が・・・そうです。ゴッホさんはこの絵を3枚
 残しています。オルセーにあるのは第三番目の最後のヴァージョンだそうです。何度も
 描くとは、それなりのこだわりがあったのですね。
  それにしても、この大胆な色遣いと、危うい均衡の上に配置された家具や出窓のユニ
 ークさ。よく見ると自分の自画像を飾っていたりして、なんだか楽しくなりますね。


  続いて、そのゴッホさんの肖像です。これもいくつかのヴァージョンがあります。
 ゴッホさんはその短い生涯のうちに、自画像をこれでもかというくらい描いていました  
 が、時がたつにつれて異様さが増してきた感じがします。オルセーにあるのは、1889年
 のアルル時代のものです。斜めを向いたゴッホは目をそらしたくなるような険しい顔を
 して、背景は波打つような荒いタッチで塗りつぶされています。もし道端でこんな人に
 出くわしたら、思わず避けてしまいそうな感じですね。なんともおどろおどろしいよう
 な、負のオーラを感じてしまいます。でも一度見たら脳裏に焼き付くようなインパクト。

    


  続いては風景画?と言っていいのか。「ローヌ川の星月夜(1888年)」です。これは
 なんともロマンチックで幻想的な絵画ですね。実際にこんなふうに見えるわけではない
 と思いますが、ゴッホの心の目にはこのように映ったのでしょう。川べりに憩う男女の
 背後に、町の灯と明るい星月の光が、満々と水をたたえたローヌ川の川面に反映してい
 る様子ですね。かなり誇張されて大袈裟な感じがしますが、これまた吸い込まれるよう
 な魅力をたたえた作品です。心象風景っていうやつかな・・・

  さらに、次も有名な「オーヴェール・シュル=オワーズの教会(1890年)」です。
 1889年から1890年にかけては、ゴッホの創作意欲が爆発していたのでしょう。精神の
 均衡が崩れるギリギリの所で踏みとどまって、数々の名作が生まれたのですね。
  かなりピンボケで見づらくてスミマセン。しかし教会をこのような色で、しかも歪ん
 だ形に描くとは、かなり独創的です。これまた見る人に強烈なインパクトを与えます。  

     

  
  皆様ご存知の通り、今でこそゴッホの絵は世界中でもてはやされていますが、生前は
 ほとんど彼の絵は売れませんでした。生活は困窮し、失意の中で精神を病み、自分の耳
 を切り落とすという異常な自傷行為に走り、最後にはピストルで自殺を遂げるという、
 なんとも痛ましい人生でした。せめて今の名声・賛辞の一部でも、彼の存命中にかけて
 あげたかったと思うのは私だけではないでしょう。ゴッホさん、今ではあなたの絵は、
 世界中の美術ファンや、一般の愛好家の方々に称賛されていますよ!安心してください。


  そして次にご紹介する画家は、もうご想像がつきますよね。
  ゴッホさんと志をともにし、一時はアルルのゴッホの家で共同生活を送ったという、
 これまた個性的な画家、ポール・ゴーギャンです。彼もまた、世間離れした行動で名を
 残してしまいました。
  ゴッホとの共同生活は、個性の強すぎる二人が衝突して早々に破綻します。ゴッホの
 亡きあとも活動を続けますが、最後にはプリミティブな芸術に憧れて(妻子を捨てて)
 南太平洋のタヒチへ移住し、そこで生涯を終えるというなんとも破天荒な人生でした。
  
  まずは彼の「自画像(1893年)」です。自意識の強い画家さんは、まず間違いなく
 自画像を残しますね。彼も自作の絵を背景に描き込み、鑑賞者に向けて鋭い視線を投げ
 かけています。「俺のやることに、なんか文句あっか?」みたいな感じ。 

   

 
  そして、彼の名を有名にしたのは、やはり南太平洋のタヒチの風俗を描いた一連の絵 
 です。ヨーロッパ文明では忘れられて久しいプリミティブ(原始的)な美に心を奪われ、
 ついにヨーロッパから遠く離れた南太平洋の島に移り住み、そこで多くの絵画や彫刻を 
 作り上げました。西洋絵画とは趣が違う、呪術的な雰囲気の作品が多く残されています。
 オルセーにあるのは、まだ比較的穏当な作品、「タヒチの女たち(1891年)」です。

  タヒチと南太平洋の島に住んだ時代の彼の所業を知ると、ちょっとげんなりしますが、
 唯一無二の個性的な作品を生み出した天才画家であったことは認めざるを得ません。


  こうしてみると、オルセーの展示方針は比較的モデラート(穏健)な感じがしますね。
 極端にデモーニッシュな作品はなるべく避け、その画家の最良の部分を見せようとして
 いるのかもしれませんね。作品の収集方針がそうなのかな?(国家の威信がかかってい
 るからかもね・・・)


  さぁ、後半の大物画家のシリーズが終わりました。
  この後は、こんな画家もいたのよシリーズ(なんじゃそら?by妻)で締めくくりたい
 と思います。スミマセン、また明日です。