Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

2022年10月 広島の旅 ⑪岩国・錦帯橋を観に行きました・・・

  広島旅行の記事も滞りがちになっていました。急がないと越年しそうです。(アホ)
  3日目の朝、窮屈なホテルを早々にチェックアウトし、タクシーで広島駅に向かい
 ます。なんとオッサン、広島から電車で約1時間の岩国まで参ります。岩国は、広島県
 ではなく隣の山口県なんですけどね・・・(なんでこういうスケジュールなん?by妻)
  でも、ちゃんと広島の観光ガイドブック(るるぶ)には、岩国も載っていました。  


  祭日の朝の広島駅前、新旧の路面電車が並んでいます。 

  広島駅からはJR山陽本線の普通電車に乗車します。岩国は終点なので安心です。

  約1時間ほどで岩国駅に到着しました。ここもなんだか殺風景な駅です。糸崎駅も
 そうでしたが、電車の車庫があるようなだだっ広い構内の駅は、なんだかうら寂しい。
 駅舎は橋上にあって、これまた近代的ですが面白味がないですね。便利なのはいいです
 が、全国的に堂々とした駅舎が少なくなっているような気がします。
  祭日の午前9時前の閑散とした駅ですが、外国人の家族連れが目立ちます。岩国には
 米軍基地がありますので、その関係者が多くお住まいのようです。休みの日に広島まで
 遊びに行くのでしょうか・・・


  さて、オッサンがわざわざ岩国までやって来たのは、あの有名な「錦帯橋」を見学す
 るためでした。これまで訪れる機会がなかったのですが、広島からは近いと思っていた
 ので、無理やり予定に詰め込みました。(いつもこんなことばっかりやったな。by妻)
 しかし有名な観光地なのに、駅前からのバスはほぼ30分に1本。しかも電車に接続して
 いるわけでもなく、次のバスまでは30分以上時間があります。オッサンは時間が勿体な
 いのでタクシーで行くことにしました。しかし、思ったよりも遠い。たっぷり20分以上
 かかり、料金は4,000円もしました。バスターミナルは錦帯橋の目の前にありますので、
 やっぱりちゃんとバスの時間を調べて行けばよかった・・・
  
  まだ早い時間なので、観光客はそれほどいません。橋を渡るだけでお金を取られるの
 ですが、維持費の捻出のためには仕方がないのでしょう。徳島の祖谷のかずら橋もそう
 でしたからね。
  いよいよ、錦川にかかる日本三名橋の一つ、岩国の錦帯橋を見学します。

    

  川幅の広い錦川に架かる、堂々たる威容を誇る錦帯橋です。幅が広いけれども急流の
 錦川に橋を架けるため、このような連続したアーチ状の橋になっているそうです。
  あれ? でも昔に見た写真と少し違うような気がする・・・

  実は平成13年(2001年)に平成の大修復で、橋上部の木造部分を全てかけ替えたのだ
 そうです。改修から20年ほどしか経過していないので、木造部分がまだ新しいのですね。
  人通りがまだ少ないので、今のうちに記念撮影です。(アホ)

  美しいフォルムで見映えがしますね。さすが日本三名橋。(あとの2つはどこや?)

 <答え> 東京の日本橋と、長崎の眼鏡橋だそうです。眼鏡橋は今でも観光名所ですが、
      日本橋はちょっとどうかなぁ~と思います。まぁ歴史的存在意義があるので
      選ばれたということかもしれません。


 さて、せっかくここまで来ましたので、渋々料金を支払って橋を渡ってみます。

  おお、このアーチ部分は意外に急ですね。昇り降りをするのに結構大変でした。
  アーチの上から写真を撮りますと、こんな感じ ↓ です。

     

  錦川は思ったよりも川幅が広いです。のどかな風景ですね。

  この錦帯橋は、江戸時代初期の岩国の領主:吉川(きっかわ)家によって架けられた
 そうですが、当初は大雨による急流でたびたび流失してしまったそうです。
  そこで、長崎の眼鏡橋(こちらは石造り)や、中国・杭州の橋を参考にして、アーチ
 が連なる現在のような構造で再建されたのだそうです。しかし、それでも1673年に架け
 られた初代のアーチ橋は翌年の洪水で流失してしまいました。その後、「流されない橋」
 を実現するためにさまざまな改良が加えられていくことになります。
  オッサンの拙い説明では技術的なことは無理なので、HPの記事をご参考までに。
  


  先人たちのたゆまぬ努力と創意工夫のおかげで、1674年の再建後は、なんと276年も
 の間、錦帯橋は流失することなく存在し続けたということです。これは凄いことです。
  HPに明治時代(1870年代)の頃の写真がありましたので、参考までに。

       

  しかし、戦後間もない1950年の台風で、遂にその栄光の記録は潰えてしまいました。
 その後、再建方法をどうするかでかなりもめたらしく、最終的には地元の要望が通って
 原型での復元となったそうです。もし、この時にコンクリート製の何の変哲もない橋に
 なってしまったら、錦帯橋の名は残らなかったでしょう。もちろん、今の橋では自動車
 は通れませんので、利便性とのトレードオフだったのです。それでも便利さよりも歴史
 的遺産として復元させようとした地元・岩国市の判断は、間違っていなかったでしょう。
 それでも強度を高めるための改良として、橋桁の基礎部分をコンクリートにするとか、
 橋の高さを1メートルほど高くする、木造部分には防腐剤を施すなどの措置が取られた
 そうです。そうか、少し高さが上がったのですね。知りませんでした。


  このような歴史を知って、実際にこの遺跡のような橋を現実に渡ってみますと、感慨
 深いものがあります。

  橋の上からは、山のてっぺんにある岩国城が見えました。ロープウェイで昇ることが
 できるそうですが、あそこまで行くのはちょっと時間とパワーが足りません。

  景色を眺めながら、ゆっくりと対岸に渡りました。

  タクシーの運ちゃんの話では、春の桜の頃、晩秋の紅葉の頃は素晴らしそうです。
 四季折々の風景の中に見る錦帯橋、何度でも訪れたくなりますね。無理だけど・・・

  対岸の橋のたもとに「槍倒し松」という松の木がありました。確かに槍を突くような
 形をしていますね。

  川べりに降りて、下から見上げてみると、また違った印象を受けます。なるほど構造
 的にもユニークな感じがしますね。


  対岸には、ちょっとした公園(吉香公園)があって憩いの場となっています。観光客
 向けのお店もかなり出ています。ガイドブックに出ていた「日本一のソフトクリーム屋」
 に寄ってみました。しかし、このお店のどこが日本一なのか?

     

  何が日本一かと言いますと、「種類の多さ」だそうです。そうやったんか・・・
 ということで、まだ寒い朝でしたがオッサンは「瀬戸内レモンのソフトクリーム」を注文
 し、公園のベンチで食べていました。(傍から見たらドン引きやで。by妻)

     

  
  公園にはフジバカマが咲いていました。こんな花やったんか・・・

  公園内には最初に錦帯橋を架けさせた第三代岩国藩主、吉川広嘉公の像がありました。

     

   紅葉にはまだ早い季節でしたが、少しずつ色づいてきているようでした。

     


  再び錦帯橋を渡って(料金は往復分で310円でした。)、バス停前に戻ります。
  名残惜しくて、この ↓ ベストスポットで最後に自撮りの記念写真を撮りました・・・

 

  この後は再び電車に乗り、広島随一の観光名所、日本三景の一つ宮島へ参ります。
  続きは次回・・・この分では年内には終わらないかも・・・(反省せいよ。by妻)