Bonne(ボンヌ)のブログ

死別者ですが余生は少しでも楽しく

思い出の旅 2007年:番外編ナーポリ周辺①国立考古学博物館 ~その1~

  昨日、今日と暑い日が続いて少々バテ気味のオッサン。(まだ月曜日やで。by妻)
  晴れても曇っても湿度が高い関東地方南部、汗がダラダラで不快指数MAXです。


  ということで、気分転換に15年前の南イタリア・シチリア旅行の番外編でも書こうか
 と思いました。(全く何の脈絡もないやん。by妻)
  シチリア島、カプリ島を巡ってから、あとはローマの空港から帰国するだけの最終日。
 しかしオッサンは最終日のギリギリまで観光します。(いつものことやけど、毎回ドタ
 バタでハラハラするわ~。新婚旅行で帰りの飛行機に乗り遅れそうになったことを全く
 反省しとらんな、このオッサン・・・by妻)


  さて2泊したカプリ島のホテルをチェックアウトし、今度は自分で荷物を運ばずに、
 ポーターさんに頼みました。なんだかちょっと申し訳ない気がするのは貧乏人根性かな。
 と言っても、運んでくれたのはケーブルカー(フニコラーレ)の駅の手前まででした。
 ここからケーブルカーで玄関口マリーナ・グランデまで下り、来た時同様にジェット・
 フォイルでナーポリの中心街に近いベヴェレッロ港まで戻ります。


  そうそう、カプリ島でもシチリア島同様に陶器のお店がありました。妻が面白がって
 いたデッカイ魚の置物が忘れられません。(こんなの誰が買うんやろ・・・by妻)


  再びジェットフォイルに乗るので、船酔いを恐れて緊張していた妻・・・
 (オッサンはウキウキしとったけど、私は酔い止めの薬を飲んでいたんやで・・・by妻)
  ※この写真 ↓ はナーポリからカプリに向かうときの写真の再掲です。スミマセン。


  幸い妻が船酔いになることもなく、無事にベヴェレッロ港に到着しました。ここから
 再びタクシーでナーポリ中央駅へ。タクシーの運ちゃんはやはりナーポリらしく陽気な
 方で、たいして言葉が通じない相手なのに結構しゃべってくれました。


  中央駅はまだ朝10時前だというのに結構混雑しています。かつてのように見るからに
 危険そうなヤバイ人は見かけませんが、アフリカや中東からの移民の方と思しき方々も
 多く、これまで訪れたタオルミーナやカプリ島とは雰囲気が全然違います。シチリア島
 でも大都市のパレルモやカターニャはちょっと治安が悪い箇所もありましたけど、比較
 にならない大都会ですからね、ナーポリは。妻も日記に「なんだか緊張する」と書いて
 いました。なんとか無事に荷物を預け、地下ホームに降りて地下鉄乗り場に向かいます。
 正確には地下鉄ではなく、イタリア鉄道の路線が一部ナーポリの地下を通って東西間を
 結んでいるのですが、この市内区間を地下鉄(メトロポリターナ)と呼んでいるみたい
 です。ややこしいな・・・総武快速線の品川~錦糸町間みたいなものか?😆


  その地下鉄駅はピアッツァ・ガリバルディ駅、中央駅の地下にあります。行き止まり
 式の中央駅ですと発着にかなり時間を要するので、ナーポリを通るイタリア鉄道の長距
 離列車は中央駅ではなくこのガリバルディ駅に停車します。数日前に、オッサンたちが
 シチリア島のタオルミーナから乗って来たIC特急もここに停車し、終着駅のローマまで
 向かうのです。行き止まり式の中央駅よりも、通過型のガリバルディ駅の方が効率的な
 ためなんですね。(わしゃ行き止まり式の駅の方が、風情があってえぇと思うけどな。
 それにヨーロッパの町の地下駅は暗いからちょいとコワイで。by妻)

  さて、このガリバルディ駅から「地下鉄2号線」の列車に乗り、次のカヴール広場駅
 で下車します。ガリバルディもカヴールも、19世紀末の統一国家イタリア誕生に貢献を
 した人の名前です。ヨーロッパにはこういう祖国の英雄みたいな人の名前を駅や空港や
 広場や通りの名前につけることが多いですね。あちこちにそんな名前の場所ができるか
 ら、ややこしいです。日本各地に坂本龍馬駅とか、西郷隆盛通りなんていうのができる
 イメージかな・・・(どうだってえぇわ、そんなん。早うしてんか。by妻)


  カヴール駅のすぐ近くに、オッサンのお目当ての場所があります。その名も高き?、
 ナーポリ国立考古学博物館です。(オッサンが好きなギリシア・ローマ美術館やな。)

    

  椰子の樹の並ぶ広い遊歩道に照り付ける、南国の日差しがまぶしい!  
  この写真 ↑ 右手の濃いピンク色の建物が国立考古学博物館です。ギリシアのアテネに
 ある博物館と並んで、古代ギリシア・ローマ文化を今に伝える傑作・芸術作品が数多く
 所蔵されています。オッサンは学生時代に一度訪れたことがありますので約20年ぶりの
 訪問です。ちょっと楽しみです。本当はカプリ島に行く前に見学したかったのですが、
 それができなかったので最終日になんとかスケジュールを入れました。(当初はナーポリ
 旧市街の教会やサンタ・ルチア海岸を見物する予定でしたが、そちらは断念しました。)
 (要はオッサンの頭の中では、ギリシア・ローマ文化の方が優先度が高いっちゅうこと
 やな・・・by妻)


  さぁ限られた時間での見学ですので、先を急ぎます。入り口正面の大階段からして、
 ド迫力ですね。古代ギリシア・ローマ芸術の最たるものは、神を象った造形美術であり
 大理石や青銅の彫刻に代表されます。かなり大きな作品も多いので、それらを収蔵する

 博物館は大きな展示スペースを持つ頑丈な造りとなっています。  

   最初に目についたのはコレ ↓ 、 紀元前2世紀(古代ローマ時代)の大理石像ですが
  その名も「暴君誅殺(ちゅうさつ)」。紀元前514年、古代ギリシアのポリス(都市
 国家)アテネの暴君ヒッパルコスを暗殺した二人の青年(髭ぼうぼうだけど・・・😅)
 の像らしいです。民主国家アテネの象徴として、アテネの広場に置かれていたそうです。
 まぁ暗殺はあんまりよろしくはないですが、それよりも暴君はもっとダメということで
 すよね。現代のどこぞのPとかKとか、他にも許せないような暴君が世界各地に生息して
 いますが、奴らを誅殺してくれる人が現れないかな~(政治的発言はあかん。by妻)

     

  振りかざした手には、元は剣が握られていたそうです。オリジナルの像はきっとさらに
 圧巻のド迫力で、アテネの広場から都市国家アテネの繁栄を見守っていたのでしょう。
  ちなみに後ろから見るとこんな感じ ↓ です。

  しかし日本ではまだ縄文時代以前の石器時代ですよね、この頃は・・・
  それにしてもギリシア人の造形美術の才能はすごいですね。そしてそれに魅入られて
 しまった古代ローマ人が、ギリシアからイタリアに持ってきてしまったのでしょう。
 いや盗品ではなく、オリジナル作品を大理石で摸刻した作品なのかもしれない。
 近年では大英博物館やルーヴル美術館にも、ギリシアから持ち去られた芸術作品が多く
 ありますが、古代ローマ時代に持ち去られたものはイタリアにも残っているのですね。
 まぁナーポリ自体が古代ギリシア人が移民して造った町ですから住民はギリシア系で、
 古代ローマ時代(少なくとも共和制の頃)はギリシア語が共通語だったらしいです。


  この1階の回廊は、こうした古代ローマ時代に摸刻された古代ギリシアの彫刻がずらり
 と並び、壮観でした。もうたくさんありすぎて、最後の方は飽きてしまいますが。😆
  妻はこんなポーズを取って喜んでいましたけど・・・(アホ)

    

  ファルネーゼの宛名ちゃうアテナと呼ばれる、古代ギリシアの女神であり、都市国家
 アテネの守護神でもあるアテナ様の像ですね。ギリシア神話の12神の一人にも列せられ
 る格の高い女神さまです。そんな方を前にして、何をやっとるんじゃい!
  これも古代ローマ時代に大理石で摸刻されたものらしいですが、オリジナルは紀元前
 5世紀、都市国家アテネが最盛期を迎えたペリクレスの時代のものらしいです。


  しかし、これはまだ序の口です。この後も続きます・・・
  (おまけの番外編やのに、何回続ける気なんや?by妻)